2024/04/29

共食い? ぴよりんバウムとサブレ

 

昨年のGWに帰省した姉が実家に持って来たお菓子の中に、この「ぴよりん」のバウムとサブレがありました。GW直前の名古屋出張の際、お土産として買ってくれたそうです。何故なら、ぴよりんが私に似ているから。ぴよりんは、JR東海系列の食品会社が名古屋駅内に経営する、名古屋コーチンの卵を特製化した洋菓子店のブランドのキャラクターで、新名古屋名物となっているそうです。元々ひよことプリンで「ぴよりん」でしたが、今は様々なぴよりん柄のお菓子を販売しています。

まず、バウムクーヘンは三個入り。

型抜きバウムとなっており、ぴよりん型のプリント部分を抜き取る事が出来ます。何故わざわざ型抜きにしたのか?と言うと、「カタヌキヤ」と言う銀座のバウムクーヘン専門店とのコラボだそうです。

そしてサブレは、ダイレクトにぴよりん型。

しかし、GW中も次々に地元ならではの美味しい物を楽しんだ為、これらを食べる機会はなく、結局東京の姉の家に持って帰って貰いました。

姉の家も常に貰い物等のお菓子で溢れており、ついでに私の頂いたお菓子も加わり、中々食べる機会はありませんでしたが、賞味期限が来る前に食べる事にしました。

しゅぽんと綺麗にぴよよん…じゃなかったぴよりんを押し抜く事は難しい為、予め下部に切れ目が入っています。

トップに軽羹(かるかん)のような白いぶわぶわが乗っていて、これは甘さ控えめで文句なしに美味しい。

サブレは卵たっぷりの、懐かしい素朴な味わいでした。

パッケージ共に可愛い事は確かだし(自分で言うのもなんだが)、味も悪くなく一パックの量もそれ程大きくないので、これを貰って困る事はまずない堅実なお土産だと思います。



2024/04/28

欲望の栗

 

 

昨年の一時帰国で福島県の実家に帰省中、酷く散らかった実家の片付けに明け暮れていました。どうせ片付けてもまたすぐに元の状態に戻るよ…と周囲からは言われも、毎回帰省の度に実家の掃除に疲弊する姉の為と自分に言い聞かせ、それを目標に励みました。GWになり、その姉夫婦が帰って来ました。しかし、その直前に姉の家のトイレが壊れたから今日は帰れないかもとか、車での移動が苦手な愛猫ハイトが粗相したりと(食べ物の話題の前にナンですが)、てんやわんやでやっとこさな帰省でした。

姉達は自分達の冷蔵庫に残っていた食料も含め、色々食べ物を実家に持って来ました。その中に、高速常磐道のSAで買った、このお菓子もありました。「欲望の栗」と言う栗好きを挑発する名前で、栗菓子専門店の拘りの逸品と謳われ、その上重箱のようなパッケージで高かったそうです。姉は、こう言う物を見ると逆らえない質です。

沢山持って来た食べ物の内、まずこれを食べてみました。和栗ペーストと栗の粒の入ったクリームを挟んだスポンジの上には、たっぷりの和栗モンブラン、更に渋皮煮のトッピングと言ったスタイルで、確かに栗三昧の美味しさです。イギリスで西洋栗しか味わっていないと、和栗の美味しさは身に染みます。しかし、正直凄く独特とか感動的と言う程ではありませんでした。値段を考えると、リピはないかな~と言うのが食べた全員の意見です。この菓子店の他の栗菓子には、日持ちはしないのかも知れませんが、もっと美味しそうな物があります。


 

2024/04/26

シュガー・ピンクな乙女

 

昨年の姉の家に滞在中、ツインテール&姫カットのToday’s momokoに、自作の「シュガー・ベイビー・ピンク」のドレスを着せ、姉作の背景で撮影してみました。

元々少しハイウェスト気味に仕上がってしまったので、ティーンボディの方がサイズ的にしっくり来るのではと思っていました。

未だ前髪の陰に気付いていなかった為(イギリスに戻ってからダウンロードした)、眼の周囲に大きな影が出来たままですが、サイズと雰囲気的にはドレスは合っているようです。

少し見上げている角度なので、唯一顔に影が出なかった奇跡の(大袈裟…)ショット。

最初に見た時は、ちょっと甘ったれな明るい女の子の印象のドールでしたが、この衣装&背景だと、物憂い寂しげな乙女に見えて、着せ替え人形遊びはやはり面白いと思いました。



2024/04/25

松下家の墓所

 

また墓の話題か。福島県の実家に近い三春は城下町で、街並みを見下ろす小高い丘に、かつては城が立っていました。「舞鶴城」と呼ばれるこの城は、16世紀の初頭に田村氏に寄って築かれ、その後三代続きました。

豊臣秀吉の奥羽仕置に寄る田村氏の改易の後、城主は伊達政宗、会津領として蒲生氏郷&秀行親子、同じく上杉景勝、加藤明利、松下長綱と短期間で目まぐるしく替わり、やっと秋田氏が三春藩主となってからは十一代続いて明治維新を迎えました。

この歴代三春城主の内、田村氏、松下氏、秋田氏の墓所は三春町内に在りますが、松下氏のみは未だ見た事がなかったので、ふと気になって見学&お参りに行ってみました。

菩提寺は、三春町新町の曹洞宗州伝寺。名前は、松下長綱の父重綱の法名に因みます。松下氏は三春城主(藩主)として二代続いたと聞いていましたが、実際には長綱の一代のみで、その治世も僅か16年でした。しかしその間、三春城の修築や城下町の整備に意欲的に取り組んだと聞きます。

長綱は縁戚の二本松藩加藤家の改易に連座して改易され、正室(山内一豊の孫)の実家土佐藩に身柄を預けられ余生を送ります。そんな遠方で亡くなったのにも関わらず、この三春の地に両親、土佐で早世した長男も含めて墓所があるのは、ここに思い入れが強かったからなのかも知れません。

武家の松下氏と聞いてピンと来る人が居るかも知れませんが、長綱の祖父・松下之綱は、木下藤吉郎、すなわち後の豊臣秀吉が織田家の家臣になる前に仕えた人物です、つまり之綱(ドラマで中井喜一が演じていたのを思い出す)は、秀吉の武将への道を開いた恩人でもあります。また長綱は、剣豪・柳生十兵衛の従兄弟に当たります。

全体的に山勝ちの三春では、寺院は必ず山の中腹に立ち、古い墓地はその周辺・背後の斜面に広がっています。

大抵は木々が鬱蒼と茂る昼尚暗い場所で、お盆の時期は藪蚊の攻撃が凄まじく(しかし殺生禁止!)、冬期は坂が滑り易くて墓参りが厄介です。

何処に松下氏の墓所にあるのかは分かりませんが、恐らく一番奥深い上部で古くて格式高そうな場所だろうと勝手に推測。案内板が出ていたので、結局すぐに分かりました。

右から長綱、父の重綱、息子の豊綱の墓となっています。

一つは自然石だし、然程大きくもなく一見地味な古い墓石ですが、蓮華台の立派さから流石は大名の墓なのが分かります。

右脇には、それを見守るかのように歴代住職の墓所があります。

また近くには、最後の三春藩主秋田家の支族・中津川秋田家の墓所もあります。現在この一族が何処に住まわれているのかは知りませんが、比較的新しい墓石もあり、現在も末裔に大事にされているようでした。

松下長綱の生母で重綱の正室、加藤嘉明の娘・星覚院の墓所は、三春町の別なお寺・光岩寺にあります。やはり、蓮華座の立派さが目を引く墓石です。星覚院は法名に因む呼び名で、本名は分かっていません。大名の正室だから江戸屋敷に住んでいたはずで、彼女が生前三春に来た事は一度もなかったと思われます。父親の加藤嘉明は、秀吉の子飼衆の一人で優れた武将でした。 

加藤家も松下家もその後旗本として存続しますが、もし豊臣家の権力が続いていたら、もうちょっと優遇され大名で居続けていたかも知れない、などと勝手に想いを巡らせます。

 

 


2024/04/24

ホーンジーのサミットのマスタード入れ

 

山小屋風チャリティショップで、モッズ時代の陶器メーカーとして人気のHornsea ホーンジーの、Summit サミットのマスタード入れを買いました。クリュエット(卓上調味料入れ)セットの内のマスタード入れだけで、チップもありますが、このシリーズを見掛けるのはイギリスでも結構稀です(値段は50ペンスだったし)

直径約4㎝、高さは蓋の取っ手も含めて7㎝位。蓋に切り込みが入っていて、ここにマスタード用の小さなスプーンを差して使用したようです。

イギリスのマスタードは和辛子に似ていて、つまりワサビのような鼻からツンと抜けるヴェイパー・アクションな辛さです。ドイツやフランス等のマスタードなら好きなんですけど、私はイングリッシュ・マスタードは苦手ですP太も余り必要としないらしく、我が家で買った事はありません。

元は、やたら背の高い塩&胡椒入れと一緒に専用のトレイに乗った、とてもスタイリッシュなセットでした(写真は拾って来た)。しかしマスタード入れ単独でも、何気にぽってりしたフォルムや模様の付け方、色と白地の絶妙なバランスに、デザイン性の高さが十分感じられます。

 

 

 


2024/04/22

二本松散歩 2

 

二本松駅から霞ヶ城に通じる久保丁坂を登り切った所の左右の尾根伝いに、遊歩道が伸びていました。ここも桜が綺麗そうなので、霞ヶ城を訪れた後に歩いてみる事にしました。

ところが案内板が全く不十分で、遊歩道は橋となって坂を跨いで見えているのにも関わらず、その登り口が中々分からず、しばらく周辺をぐるぐる探しました。

やっと遊歩道に辿り着け、東に向かって進みます。確かに、美しい桜の木は拝めました。

また所々の木々の隙間から、この時は大分霞んで来ていましたが霞ヶ城公園の城山の全景が見えます。

その内、遊歩道は自動車道と並行します。
 

しかし、ここすら案内板が不十分&分かり辛い。

帰りはお寺の多い通りを下って行くつもりでしたが、犬の散歩中の地元民に尋ねても分かりません。結局元来た道を戻る羽目に。

正午はとっくに過ぎていましたが、周辺にはこれと言った魅力的な飲食店が全く見当たりませんでした。ネットで検索し、かなり遠い市街地の西の店へ行く事に。

初めての場所だからか、道のりは本当に遠く感じられました。おまけに、途中の街並みが一向に城下町らしくなくて面白くありません。ほんの一軒ぐらい、こんな古い建物が残っているだけで。

目的の店は、海鮮が得意な和食屋「めぐみ家」。飲食店が在るとは到底思えない普通の住宅地にぽつんと立つもんだから、余計に道のりが長く感じられたのかも知れません。

実際に、到着したのはランチ・タイムぎりぎり。随分歩いたし汗ばむ程暖かい日だったので、思わず昼からビールをかっくらうキチ吉ちゃん。

注文した昼食は、二人ともお刺身と天ぷらのセット「恵定食」。新鮮なお刺身は厚切りで、特製の出し巻き卵が付いているのが嬉しく思いました。

ポテサラも付いて来ます。

私は、ビールの代わりにデザートを注文しました。抹茶アイスと「みねおかどうふ」。

胡麻豆腐のピーナッツ版のような物で、もっちもちのトロトロで、これが一番美味しく印象的でした。

最後に、線路沿いに歩いて駅に戻りました。これは市民交流センター側の、二本松出身の長沼智恵子(高村光太郎の妻)像。彼女は、「ほんとの空」を指差しているようです。

二本松は、霞ヶ城や岳温泉、安達ケ原(黒塚)、智恵子の実家等のスポット的には観光に力を入れていても、街自体の観光は余り構っていないようです。飲食店は本当に少なく、二本松で食事をするなら、花見時期は出店で済ませるか、車で来た場合は郊外に行くのに限ると思います。こんな事も、訪れてみたからこそ初めて分かった事です。