昨年の今頃、前から訪れたかったオックスフォードシャーのDorchester ドーチェスターと言う村に在る修道院を見学し、その後は村の中も散策しました。車で通って来た時から、古都に相応しい古い建物が並ぶ素敵な村だと思っていました。
正式には「Dorchester-on-Thamesテームズ川沿いのドーチェスター」と言います。今は小さな村ですが、かつてはサクソン時代の王国Wessex ウェセックスの首都でした。
ん?ウェセックスの首都はWinchester ウィンチェスターじゃなかったのか?と思いましたが、確かに政治や宗教の中心は概ねウィンチェスターだったものの、当時は、特にアルフレッド大王の治世以降は、首都と呼ばれる都市が王国内に幾つか存在したのだそうです。このドーチェスターを始め, かつてHamwicと呼ばれていた港町Southamptonと、ドーセット州北西のSherborneがそれでした。
日本でも、ほぼ時代が重なる奈良・飛鳥時代に何度もあちこち遷都していた事、また飛鳥時代に宮が置かれた政治の中心地が現在の明日香村である事を考えると、少し納得が行くかも知れません。
因みにドーセット州の州都も同名のドーチェスターですが、単なる偶然の一致で両者には全く関係はないとの事。ただし、「~chester」が付く地名であるからには、どちらも古代ローマ時代から続く町(村)ではあります。
ここで、凄く大雑把にアングロ・サクソン時代についてザクッとおさらいします。紀元五世紀に入ってすぐに、本国の衰退に伴い(西)ローマ帝国がブリテン島の支配権を放棄し撤退すると、入れ替わるように現在の北ドイツやデンマーク周辺からゲルマン系のアングル人、サクソン人、ジュート人等がブリテン島に入植の為に渡って来ました。
先住民であるケルト系のブリトン人と戦って土地を奪った場合だけでなく、平和的に交渉・契約して定住した場合もあるらしく、詳しくは未だ解明されていない部分も多いようです。
ゲルマン人やブリトン人は最初は各部族に寄る小国群を形成していましたが、七世紀頃には、アングル人はイングランド北部にノーサンブリア王国、中部にマーシア王国、東部にイースト・アングリア王国を建国して統治し、サクソン人は南東部にエセックス(東サクソン)王国、南部にサセックス(南サクソン)王国、西部にウェセックス(西サクソン)王国を、ジュート人は現在のほぼ現在のケント州にケント王国を築きました。未だ小さな属国や衛星国は残れど、その時代は七王国時代と呼ばれました。
それらの国々は争い侵略・支配・併合・吸収を繰り返す内、次第にウェセックスが台頭し、ヴァイキングの度重なる来襲やデンマーク王国の支配を乗り越え、最終的にはウェセックスがイングランド(アングル人の土地と言う意味)王国を名乗るようになりました。
現在もイングランドの主要民族は一般的にアングロ・サクソン人であると言われ、現代英語はアングロ・サクソン語を礎として発展して来ました。そのイングランドのハロルド二世が1066年にノルマンディーからのウィリアム征服王に敗れるまで、アングロ・サクソン時代は続きました。
この家には、外壁にケルト十字架のようなモチーフが装飾されています。オーストリアのようなカソリックの国なら、民家の外壁に聖母マリア像が嵌め込まれていたり、日本の地蔵や野仏のように路上のあちこちにキリスト教の祠が祀ってありましたが、イギリスでは戦争慰霊碑等の十字架以外は、街中でとんと見掛けないので意外でした。
こちらの家の外壁に掲げられているのは、昔修道院教会の鐘楼で使われていた木材です。かつては村の多くの面積を修道院が占めていたでしょうし、今でも修道院教会は村人の生活に大きく関わっているようです。
まるでティー・コジ―のような典型的な田舎家の白い漆喰壁に、蔓バラは文句無しに絵になります。やはりイギリスの家並みを眺めるのは、バラの季節が最高です。
茅葺屋根の家は、この村では多く見掛けました。川沿いだと氾濫原の湿地帯で茅が育つので、材料を調達し易いからかも知れません。
この木組みの家は、外壁のレンガがヘリンボーン型に組まれていて目を引きます。
いつも思う事ですが、もしこう言う村で、前庭を花いっぱいにせず不要家具等で山積みにしていると、村八分とまでは行かなくとも、やはり文句を言われるのだろうか??
正直歴史の重みは特に感じられませんでしたが、親切なおじいさんにも出会って、歩くのが心地良い村ではありました。本当に毎度ながら、単に民家を眺めて公道を歩いただけ。だからこそ景観そのものの魅力が重要ですし、日本と違って買い物や食べ歩きはまるで期待出来ないので、少しでも歴史や建築の基礎知識、または植物や野鳥の名前の一つでも憶えた方が、ここイギリスでは寄り散歩を楽しめるのです。