2026/10/10

ソーニーの修道院

 

昨年の十月に夫婦で訪れた、国内唯一の川無し橋とダイナミックな修道院の廃墟が残るCrowland クローランドを訪れた後は、其処より南東へ約7~8㎞のThorney ソーニ―村の修道院を訪れる事にしました。州境を超え、ここはケンブリッジシャーの北端になります。

こんな近くにもう一つ修道院が在ったなんて、そりゃ随分乱立していたものです。もっとも日本の仏教寺院の宗派のように、修道会にも幾つかの種類があり、思想や戒律が大きく異なっていたようだから、仕方ないのかも知れません。…と思ったら、ここもクローランド修道院と同じくベネディクト会だったそうで…やっぱ多過ぎ。

一般的にThorney Abbey ソーニ―修道院と呼ばれていますが、教区教会としての正式名はthe Church of St Mary and St Botolph  聖母マリアと聖ボトルフ教会です。7世紀中頃の庵(私的な修道生活場)を起源に持ち、その後ヴァイキングに破壊され、10世紀にベネディクト会修道院として創立されます。 

例に寄って16世紀に解散させられましたが、身廊部分は生き残り、単なる村の教区教会にしては高さが際立つ西側ファサードが聳え立って見えます。

上部の壁龕には、精巧な彫像が並んでいます。その下と両脇の塔にも、浅めの壁龕のみが装飾されています。

正面玄関も、見事な大きさです。
 

玄関上部には中世の教会装飾らしい原始的で気持ち悪いコ―ベルも健在ですが、17世紀に大きく修復された為、オリジナルに基づいているかどうかは分かりません。

内部に入ります。実は現在の教区教会は、修道院教会だった時代の中央交差部までの長さしかなく、全体的に東西のほぼ半分の奥行きしか残っていません。そして当時は南北両脇に側廊が在りましたが、今残っているのは中央の身廊部分のみです。それでも、教区教会としては十分な大きさはあります。

典型的なノルマン様式の柱は、当時の物がそのまま残されているそうです。

東側祭壇の見事なステンド・グラスは、カンタベリー大聖堂トリニティ礼拝堂の13世紀作のステンド・グラスを模した物で、初期ヴィクトリア時代の最高傑作の一つと言われています。題材は、聖トーマス・ベケットの生涯。

こちらの渋いステンド・グラスは、もっと古い物のようです。

訪問者は誰でも(募金すると)、自分で紅茶を入れて飲める仕組みが用意されていました。お布施用に、クレジット・カード支払い機も用意されています。

う、こんな可愛い十字架、初めて見ました。石製の洗礼盤の上に乗っているようです。編み物はイギリスで最も人気の手芸なようで、イギリス人はありとあらゆる物を編み物で装飾します。アクリル毛糸だと屋外でも多分カビないらしく、郵便ポストや自転車、ベンチとかでも編み物で飾り立てます。


現在墓地になっている部分には、かつては回廊等の修道院の施設が立っていたはずです。しかし今残っている建築物は本当にこの教区教会のみで、他の修道院の名残りは礎石すら全く見当たりませんでした。

近年の発掘調査に寄れば、この敷地の東側は既に昔は海岸線だったそうです。

教会の正面には、背が高めで古い石造りの(と言うのが既に)裕福そうな家屋が並んでいました。

今は店舗が数軒しかない村ですが、明らかにかつて栄えた痕跡が残っています。




2026/10/09

ショックトーバー・フェスト

  

 

毎年この季節になると、ウェスト・サセックス州の観光農場Turley’s Farm タリーズ・ファームで「Shocktober Fest ショックトーバー・フェスト」なる物が開催されます。南ロンドン辺りを走る二階建て路線バスのラッピング広告にもデカデカと宣伝されているから、否応無しに目に入ります。

ショックトーバー・フェストとは、有名なミュンヘンのビール祭りに引っ掛けた単なる造語で、実際に行った事は勿論ないけれど、多分ハロウィーンに向けたお化け屋敷イベントだと思います。今サイトで確認したら、ヨーロッパ最大のホラー・テーマパークと謳っていました。そんな緩~いオヤジギャグ的な名前の割に広告のイラストはガチ怖くて、毎年見掛ける度に夫婦で笑っています。

しかしこの造語から、ドール向けに南ドイツやオーストリアの民族衣装ディアンドルの闇深き版を作ってみようと思い立ちました。が、問題は布地です。この所ずーっと黒い手芸素材を集め続けていますが、それだけでは十分ハロウィーンらしくもゴスっぽくもならないと言う事は重々分かっています。 

イギリスは言わばゴスの本場なので、それらしいプリント生地も売られてはいますが、何せ布地の値段が高いから、禍々しい柄の生地をわざわざ高いお金を出して買おうとはどうしてもなれません。おまけにゴス柄には蛾とか混じって描かれているし、そんな布、手に取りたくもねーわ。

やむを得ず、山小屋風チャリティショップで最近手に入れた、オドロオドロしい柄の端布を使ってみました。綿サテンのような光沢もあって柄的には十分合うのですが、残念ながらインテリア用の布なので、ドール服にとっては厚みがあり過ぎるのです。  

それで出来るだけ縫い代等の厚みを抑えたり、見返しを付けなかったり、スカートのギャザーをギリギリの量にしたりと、ディアンドルの形に仕上げる為には色々工夫せねばなりませんでした。厚みと張りがある生地な分、スカートはパニエやドロワーズ無しでも十分膨らみます。 

 

モデルには、未だデフォ服しか着せた事のなかった「Bratzillaz ブラッツィラズ」のヤスミナを採用。このディアンドルはモモコのサイズで作っているので、彼女にはかなり大き目なものの、地雷どころではない地獄メイクが、上手い具合にこの衣装には未だ足りない毒々しさを補足してくれました。

 

このドザエモン色リップを変えようかと考えた事もありますが、今ではこの色のままで正解‼と思っています。やはりゴスは、こう言う邪悪メイクじゃなくっちゃあ。こんな化粧の人、イギリスでは実際普通に見掛けるよ。

 

ドール・アイの原点のような、シンプルな義眼も良き。今西洋のファッション・ドールで、日本の二昔前の少女漫画のようなイケてないデザインの入れ目人形が増えて来ていて、修正不可能なのでプリント・アイより返って厄介な中、このシンプルさがいーのにとつくづく思います。

本当はもっと色白ですが、写真では何故か肌が濃く写り、尚且つオレンジ掛かってしまいました。

ボディの可動域は中々良く、手を顔に寄せたり手前で組ませたり出来る点は役に立ちます。肘膝の関節は硬めですが股関節は緩めで、更に頭がデカいから安定が今一つ悪く、立たせるのは少し苦労します。

アウトフィットのフォルムは、残念ながら全く思い通りに仕上がりませんした。

 

ディアンドルには、胸を胴衣で出来るだけ押し上げて強調したエッチ臭いタイプもあり、イカれたホラー祭りには絶対そっちが相応しい!と目指してはみたものの、型紙制作からしてかなり難しく…。もっとも、このドールのバストは控え目過ぎて、押し上げる程も無いんですけど。

肩を出すデザインにはしたかったから、いつものようにディアンドルとブラウスを一体化させなかったのも、自分で勝手に難易度を上げてしまいました。 

大き目の服なら問題ありませんでしたが、身体にぴったりフィットする服の場合、やはりモモコとのサイズの違いが大きく出てしまいます。同じ27㎝ドールの括りではあるものの、上半身はモモコより短く細く出来ています。

ディアンドルのブラウスは、基本的に実物もこんな丈短ヘソ出しになっています。胸は出来るだけボリュームを出し、ウェスト部分はもたつかさせずに出来るだけ細く絞って見せる工夫だと思います。 
ブラウスはゴムで伸び縮するからフリーサイズになっており、多分リカちゃんでも着用出来るはずです。ただしこの袖ではパフスリーブの膨らみは全然足りず、もっと布幅を広げて作るべきだったと反省。

ディアンドルには、本来白タイツ(ロングソックス)に大抵黒のHaferlschuheハーフェルシューと言う伝統的な靴か、フラットなバレエシューズやメリージェーンを合わせ、普通ブーツは履きませんが、毒々しさを増す為に「ディセンダント」の悪魔ブーツを履かせました。 

もっとも現代は着物でもブーツを合わせたりするので、今はディアンドルにも色んな「外し」や新しい着こなしを楽しむ事があるようです。このブーツ、同じメーカーだし同じ爪先立ちデカ足なので、すっかり相互性があるもんだと思いましたが、実は良く合っていません。

帽子は、ブラッツィラズのメイガーナのデフォルトを拝借。単に頭に乗せているだけですが、盛り上がったヘアアレンジの隙間に、上手い具合に差し込む事が出来ました。
ディアンドルは地方に寄ってデザインが事細かに異なり、チロリアン・ハットだけでなく、こんなとんがり帽や鍔広帽等を合わせる地方もあるようです。 
最近このタリーズ・ファームの前を車で通ったら、畑にオレンジ色のカボチャがゴロゴロ大量に転がって、ハロウィーン本番をスタンバっていました。しかし私がショックトーバー・フェストに実際に行く事は、今後も絶対になさそうです。もし日本だったら、「食欲の秋の祭典!食トーバーフェスト‼」なんてイベントが開催されそうですが、そう言う方向へは発想が決して向かないのがイギリスです。




2026/10/08

クローランドの修道院 2

 

昨年夫婦で訪れたリンカンシャー州南端の川無し橋で有名な町Crowland クローランドの、現役の教会と廃墟が隣り合った壮観な眺めのCrowland Abbey クローランド修道院で、続いて内部を見学します。


かつてベネディクト会の修道院として機能していた頃は、この身廊部分は単なる北側廊でしたが、今でも教区教会としては十分大き目です。

教会内では、地元の信者のボランティアの方々が熱心に説明して下さいました。この修道院を誇りに思っている事が、ひしひしと感じられました。

資料室もあり、タッチ・パネルも設置されていて自由に閲覧出来、更に知りたい情報を深堀り出来ます。 

四福音書紀者とキリスト一生を描いた、東側祭壇のステンド・グラス。この他にも、この修道院の開祖縁起とも言える聖グスラックの描かれたステンド・グラスもあります。 

天井の交差部分はルーフ・ボス(天井の突起装飾彫刻)で装飾されていて、その中の一つはGreenman グリーンマンなのが必見です。本来キリスト教とは無関係ですが、ロマネスク(ノルマン)やゴシックの教会の装飾には時々見られます。森林・樹木へのアニミズムの名残りだとも考えられ、こう言った原始宗教や民間信仰の要素を柔軟に(と言うか節操無く)残し取り入れたからこそ、キリスト教はヨーロッパ中に強く根付いたとも言えます。

クローランド修道院の鐘は美しい音色で有名で、1925年にイギリス国内だけでなく世界のラジオ放送史上初めて生放送された、調律された組鐘(旋律を奏でる鐘)として知られています。そもそも、986年頃にイギリスで最初に組鐘が設置された場所とも言われています。

 

再び屋外へ出ました。 

修道院の南側は、今は広大な墓地になっています。ここにはかつて、回廊や僧房を含む修道院の施設が立っていた場所でした。クローランド修道院は、中世にはこの地方で有数の裕福で大規模な修道院だったようです。 

南西部分の墓地は、イギリスには珍しく整列されており、比較的新しく造成されたのが分かります。ここには、世界大戦の戦没者墓地も含まれています。

この二つの墓碑には、ぱっと眺めただけで世の無常を感じる、遣る瀬無い気持ちになります。左は死産で生まれた赤子の物で、右はその一年後に恐らく同じ両親から生まれ、僅か五時間後に亡くなった赤ん坊の物だからです。


一方、教会と廃墟の東側は、古くからの墓地のようです。

古い墓標は、やはりイギリスらしく見事に傾いています。

この墓碑の辺りまで、かつては聖歌隊席があったと示すサインが立っています。

廃墟の西ファサード入り口の上部の四つ葉型レリーフを模写したらしい、興味深い墓標 


この修道院には、アングロ・サクソン時代のマーシア王国のオッファ王の娘で、後に聖女に列せされたエルフスリス(またはアルフレダ)姫の墓所もあるとされています。イースト・アングリアの若き王エセルレッド(エセルベルトまたはエドマンド)二世に、嫁にやると言って誘い出し処刑した際の囮に利用された姫君で、その後傷心の余り誰とも結婚せず、この修道院で生涯神に祈りを捧げる生活を送ったようです。

そして、修道院の廃墟入り口付近には、中世の石棺が並んでいました。

我が家からは遠く馴染みの薄い地域とは言え、今まで存在を知らなかったのが恥ずかしい程、見応えバッチリの修道院と川無し橋の在る町でした。