2026/03/25

イースト・アングリア王の墓所サットン・フー 3

 

昨年の春に夫婦で訪れた、イギリスのアングロ・サクソン時代の貴重な遺跡、サフォーク州のイースト・アングリア王家の埋葬地Sutton Hoo サットン・フーで、最後に入り口近くの資料館を見学します。この金属の反り返ったモニュメントは、ここのシンボルの船葬墓で、実際に埋葬されていた木造船をイメージした物。多分実物大で、こんな巨大な物を埋葬した事に改めて驚かされます。

サットン・フーからは、国宝級の英国中世初期の貴重な出土品が多数発掘されましたが、本物は全て大英博物館に展示&保管され、ここには精巧に作られたレプリカが展示されています。

また、アングロ・サクソン時代の社会・生活についても、詳しく説明されいます。大きな仮面のモチーフは、もう一つのここのシンボルでレドワルド王の墓とされる一号基から発掘された兜をイメージしているようです。 

当時の衣装の復元品も、展示されています。右の男性服は、着物の袷に似ていると思いました。

織物自体が意外と鮮やかで、そんな染料を使用する知識・技術があったのかと驚きました。

遊具やボード・ゲームも展示されていました。 

楽器と、その収納袋のようです。 どんな音色でどんな曲を奏でたのか、興味あります。 

アングロ・サクソン時代のそれぞれの階級の人々の役割についても、役者に寄る音声劇付きで詳しく説明されています。例えばこの時代の王妃の存在は、後世よりもずっと大きな物でした。67世紀と言えば日本では飛鳥時代で、天皇は沢山の妃を持っていたものの、その中の頂点である皇后は必ず皇族から選ばれた(※奈良時代の藤原家出身の光明皇后までは)と聞きます。天皇の代行として皇后が政治を司る機会が多かったからだそうですが、アングロ・サクソンの王妃もそれに近い責任や権力を持っていたようです。

ここの出土品のレプリカのメインは、レドワルド国王の副葬品です。日本の古墳の埋葬者がそうであるように、君主達は武装した姿で埋葬されたようです。

紀元1世紀から4世紀までブリテン島のほぼ現イングランド部分を支配していた古代ローマ帝国が撤退すると、入れ替わりにユトランド半島の付け根部分から、アングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人等のゲルマン民族が移住して来て七つの王国を築きました。彼らはこの地に残ったブリトン人(ローマ化したケルト民族)と戦って土地を奪ったと伝えられて来ましたが、実際には交渉協定して平和的に住み着いた場合も多かったようです。

こちらは、一号基の埋葬者がレドワルド王と特定出来る鍵となった、年号の刻まれた金貨。あの世でも経済的に困らないようにお金を共に埋葬すると言う習慣は、世界各地で見られるようです。

一方こちらは、ローマ時代の金貨をペンダントに加工した物。通常は前政権の象徴である通貨は溶かして再利用するの物なのに、そのまま残したと言うのは珍しい例だそうです。

今まで我々夫婦は、アングロ・サクソン人は前のローマ時代より遥かに遅れた文明を持っていた、と勝手に思い込んでいました。しかし金工に関しては、非常に高い技術を持っていたのが、ここの展示物を見て分かりました。 

この銀の匙なんて、今見てもお洒落なデザイン性の高さです。 

これが、レドワルド王の兜のレプリカ(…ちょっとコワイ)。細部まで精密に人物画や文様が型押しされています。 

その裏面まで、びっしり細かく装飾されています。原始宗教からキリスト教への過渡期の再現ドラマも興味深く、小規模ながら学ぶべき事の多い資料館でした。

 

 

 


2026/03/24

イースト・アングリア王の墓所サットン・フー 2

イギリスの考古学史上で最も著名な発掘遺跡の一つとなった、6~7世紀のイースト・アングリア王の埋葬地Sutton Hoo サットン・フーで、古墳そのものを見学した後は、丘を下り谷底を流れるRiver Deben デベン河畔の遊歩道をしばし歩きました。

サットンはsouth townに近い意味のイギリス中に多く見られる地名で、フーは小高い丘を意味するそうです。急な遊歩道を下って行くと、埋葬地がかなりの高台にあるのが実感出来ます。

河畔には、農家が点在し牧草地が続いています。

谷底から、Tranmer Houseを見上げた所。眺めは良いけれど、正直風当たりは非常に強そうな立地…。

屋外劇場の在る、別な丘に登りました。柵で囲まれたサットン・フーだけでなく、この一帯全てが埋葬地になっているらしいので、この丘にも古墳が在るのか知れません。川と対岸を眺めるのには、持って来いの場所です。

そもそも、この土地はサクソン時代の遥か以前の新石器時代、青銅器時代、鉄器時代、古代ローマ時代から定住地になっていたそうです。こちらは、Woodbridge ウッドブリッジの町。

続いて、サットン・フーのかつての所有者で発掘事業のパトロンだった、Edith Pretty イーディス・プリティの住居Tranmer House内を見学しました。 

プリティ一家についての、資料が展示されています。 

中央に掲げられているのは、彼女の56歳の時の肖像画。夫の死後、霊的な事に興味を持つようになったそうで、それが古代遺跡の発掘に熱心になった理由の一つなのかも知れません。 

こちらは、イーディスの息子ロバートの肖像画。47歳で出産した一人息子ですが、四年後には父親のフランクが56歳で胃癌で亡くなり、十二年後には母親イーディスを失います。そして息子自身も、父と同じ病で同じ位の年齢でこの世を去ったそうです。この場所は、1998年からナショナルトラストに寄って管理されています。

 

 

 

2026/03/23

イースト・アングリア王の墓所サットン・フー 1

 


NT(ナショナルトラスト)の会員に復帰したら、是非行ってみたい場所がありました。それが、イギリスの有史時代の考古学上で最も偉大な発見と言われるSutton Hoo サットン・フーです。

歴史好き&古墳好きな私は今まで何度も行きたいと思っていましたが、サフォーク州と言うのが高速道路が全く通っておらず中々行きにくい場所なのです。一泊する程ではないけれど、日帰りで行くには時間が十分なく遠いと言った所。

しかし、コロナでNTの会員を中断していた時期、やっぱり行かなくては!と一層強く思いました。それで、昨年の今頃いつもより朝早く出掛けました。そもそも我々夫婦は、大抵割と朝のんびり出掛けるのです。

 

サットン・フーは、アングロ・サクソン時代にこの地を治めていたイースト・アングリア王家の67世紀の埋葬地で、デベン川を見下ろす切り立ったほぼ崖の上に在ります。

右に見える家は、20世紀初頭にこの土地を所有していたプリティ家のお屋敷。その女主のEdith Pretty イーディス・プリティが、敷地内の古代の塚に興味を持ち、アマチュア考古学者Basil Brown バジル・ブラウンを個人的に雇って発掘を依頼した為、イギリスの歴史を変える程の偉大な発見に繋がりました。その様子は、「The Dig(邦題:時の面影)」と言う映画にもなりました。

ベンチが船形なのは、ここの古墳の一つが、古代ゲルマン人やヴァイキングの墓に見られる、船体を棺とした船葬墓である事が、発掘に寄って証明されたからなのに因みます。 

専用駐車場から資料館や売店、カフェ等の建物の脇を通り、今はTranmer Houseと呼ばれる旧プリティ家の屋敷脇を通り、更に遊歩道を進むと埋葬地である開けた土地が見えて来ます。

まず目に入るのが二号基で、古墳好きにとっては理想的な土饅頭っぷりです。ここで唯一、元の高さを復元してあると言われています。67世紀と言うと、日本でも古墳を作っていた、しかも前方後円墳等の巨大古墳ではなく、同程度の規模の円墳か方墳の時代です。

ここには1920基の古墳があるそうですが、案内板の地図では18基までしか確認出来ません。

古墳の在る区域は柵で囲まれ、特別ガイド・ツアー以外は立ち入り禁止です。

一般入場者は、柵を囲む遊歩道をぐるりと歩くのみ。

東側は、農地でもないのにビニール・シートで覆われた一瞬異様な光景です。この一帯は今も軍用地で、第二次世界大戦中は大切な遺跡をドイツ軍の目から隠す為にも、古墳地帯でさえ軍用地として使用されたそうです。 

しかし、正直遠巻きの地上からでは草原が広がって見えるのみで、ドローンでもない限り(ドローンの飛行は禁止されていると思うが)、どれが古墳なのか中々認識出来ません。 

その為、わざわざ古墳を見下ろす為の展望塔なる物が設置されています。

高さは 3~4階建てのビル並みで、周囲の風景を損なわないように木調を生かしたデザインにされています。

登り詰めた所。

我々が到着した時は独占状態でしたが、その内どんどん他の訪問者も登って来て満杯近くなりました。

確かにここからは、古墳の全貌がばっちり見下ろせます。  

どれがどんな古墳か説明した案内板はあるのもの、鳥のフンだらけで近付くのも憚られる…。 

 

展望塔の一番手前にあるのが船葬墓である一号基で、624年に死去したイースト・アングリア王Rædwald レドワルドの墓ではと言われています。年号まで推測出来るのは、副葬品の硬貨に発行年が刻まれていたからです。

塔の反対側からは、デベン川と対岸のWoodbridge ウッドブリッジの街並みが見渡せます。古代遺跡は眺望の利く場所に多いと言うのを納得させます。

この展望塔が在るのとないのとでは古墳の印象が大違いで、ナショナルトラストよ、良くぞ建ててくれて有難うと思いました。


 

2026/03/21

お花見のさくらちゃん

そろそろ日本各地で、桜の開花時期ですね。随分前にイギリスのフリマで手に入れた、リカちゃんのお友達人形さくらちゃんに久々に登場して貰い、名前に相応しいお花見コーデをさせました。

このさくらちゃんは、実際に子供が遊んだ中古にしては状態は良かったものの、製造上元々顔とボディの色が結構著しく違い、また前髪もヘンで要は可愛くなかったので、長らくモデルとして使う気になれませんでした。

しかし、今ならボディは肌の色の合う可動式に換えれば良いし、前髪は自分で切って整えれば良いだけです。当時は可動式ボディも持っていなければ、髪の毛を切る勇気も無かった訳ですが、今となっては単に仕舞ったままにして置くよりは、自分で手を加えて少しでも可愛くして上げるべきと思いました。 

前髪を切り揃えたついでにサイドバングス、すなわち姫カットも入れました。リカちゃんシリーズの中では、どちらかと言うと地味目のさくらちゃんだったので、前髪を短めにし瞳をはっきり出し、サイドバングスで顔周りに少しだけ変化を付けたのは正解だったと思います。

アウトフィットは使い回しばかりですが、桜に合わせて淡いピンク色の、さくらちゃんの優しい雰囲気に合わせてふんわりガーリーなコーディネイトにしました。

ニットはモモコ・ドール用に縫った物でしたが、今時のオーバー・サイズの重ね着には、リカちゃんサイズの方がゆったりして様になるように思いました。

ブラウスは、実はかつてキャッスル製人形のデフォ服だった白いワンピースなんです。レース付きの膨らみ袖が結構可愛いので、普段のコーデに活用しても良いんじゃないかと思いました。

 それに、元々はruruko用に作った付け襟を合わせています。  

スカートは、本当にこれしか作れない面積の端切れで、リカちゃん用に縫った物。 

ここ数年日本ではマキシ丈スカート流行りとは言え、本当は若い子は今でもこんな長いスカートは履かないんですよね…。ずるずると長いスカートを履くのは、脚腰の肉付きが気になる世代ばっかりで。

正直、我ながら無難な地味コーデとなりました。久々の登場なのだから、いっそ桜ロリィタ服でも作ろかと考えましたが、実際にお花見するのにはこの程度が現実的かなあと。

自分のお花見の服装はと言うと、まずは寒さ対策を考えるかも知れません。花冷えと言う言葉があるように、この季節の寒さは侮れません。地面に近い場所に長く座っていると結構冷えますし、まして夜桜なんて相当な寒さです。晴れた日の日中にベンチに座って短時間お花見を楽しむのなら、この程度の軽装でも大丈夫かも知れません。