昨年の春に夫婦で訪れた、イギリスのアングロ・サクソン時代の貴重な遺跡、サフォーク州のイースト・アングリア王家の埋葬地Sutton Hoo サットン・フーで、最後に入り口近くの資料館を見学します。この金属の反り返ったモニュメントは、ここのシンボルの船葬墓で、実際に埋葬されていた木造船をイメージした物。多分実物大で、こんな巨大な物を埋葬した事に改めて驚かされます。
サットン・フーからは、国宝級の英国中世初期の貴重な出土品が多数発掘されましたが、本物は全て大英博物館に展示&保管され、ここには精巧に作られたレプリカが展示されています。
また、アングロ・サクソン時代の社会・生活についても、詳しく説明されいます。大きな仮面のモチーフは、もう一つのここのシンボルでレドワルド王の墓とされる一号基から発掘された兜をイメージしているようです。
当時の衣装の復元品も、展示されています。右の男性服は、着物の袷に似ていると思いました。
織物自体が意外と鮮やかで、そんな染料を使用する知識・技術があったのかと驚きました。
遊具やボード・ゲームも展示されていました。
楽器と、その収納袋のようです。 どんな音色でどんな曲を奏でたのか、興味あります。
アングロ・サクソン時代のそれぞれの階級の人々の役割についても、役者に寄る音声劇付きで詳しく説明されています。例えばこの時代の王妃の存在は、後世よりもずっと大きな物でした。6~7世紀と言えば日本では飛鳥時代で、天皇は沢山の妃を持っていたものの、その中の頂点である皇后は必ず皇族から選ばれた(※奈良時代の藤原家出身の光明皇后までは)と聞きます。天皇の代行として皇后が政治を司る機会が多かったからだそうですが、アングロ・サクソンの王妃もそれに近い責任や権力を持っていたようです。
ここの出土品のレプリカのメインは、レドワルド国王の副葬品です。日本の古墳の埋葬者がそうであるように、君主達は武装した姿で埋葬されたようです。
紀元1世紀から4世紀までブリテン島のほぼ現イングランド部分を支配していた古代ローマ帝国が撤退すると、入れ替わりにユトランド半島の付け根部分から、アングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人等のゲルマン民族が移住して来て七つの王国を築きました。彼らはこの地に残ったブリトン人(ローマ化したケルト民族)と戦って土地を奪ったと伝えられて来ましたが、実際には交渉協定して平和的に住み着いた場合も多かったようです。
こちらは、一号基の埋葬者がレドワルド王と特定出来る鍵となった、年号の刻まれた金貨。あの世でも経済的に困らないようにお金を共に埋葬すると言う習慣は、世界各地で見られるようです。
一方こちらは、ローマ時代の金貨をペンダントに加工した物。通常は前政権の象徴である通貨は溶かして再利用するの物なのに、そのまま残したと言うのは珍しい例だそうです。
今まで我々夫婦は、アングロ・サクソン人は前のローマ時代より遥かに遅れた文明を持っていた、と勝手に思い込んでいました。しかし金工に関しては、非常に高い技術を持っていたのが、ここの展示物を見て分かりました。
この銀の匙なんて、今見てもお洒落なデザイン性の高さです。
これが、レドワルド王の兜のレプリカ(…ちょっとコワイ)。細部まで精密に人物画や文様が型押しされています。
その裏面まで、びっしり細かく装飾されています。原始宗教からキリスト教への過渡期の再現ドラマも興味深く、小規模ながら学ぶべき事の多い資料館でした。