2026/07/08

イギリスで一番美しい村コーフ・キャッスル

昨年の七月に、イングランド最古の中世の城の一つCorfe Castle コーフ城を、十数年ぶりにリベンジ訪問した後は、御城下である村を歩きます。

村の名前自体も城に則りCorfe Castle コーフ・キャッスル(カッスル)と言い、度々イギリスで最も美しい村の一つに数えられます。

城の立つ一際高い丘から、尾根伝いに石造りの古風な建物が並んでいるのですから、まるで御伽噺の世界のようで確かに絵になります。「町」じゃないけど、城の本丸が村全体を見下ろし、正に城下町と言った景観。


コーフ城がかつて王城だったのと同時に、村自体も王家直轄の所領でした。 

こんな石造りの家並みはイングランドでは少数派で貴重で、コッツウォルズ等の石材が手軽に手に入る特定の地域でしか見られません。

それ故に石造りの家並みの残る歴史的な市町村は、大抵人気の観光地となります。ここの建材に使用されている石は、地元パーベック半島産の石灰岩だそうです。

石灰岩の中でも化石含有率の高い上質な物が大理石だそうで、ここでは実際に大理石も産出され、カンタベリーソールズベリー大聖堂ウェストミンスター寺院等に使用されています。

屋根まで石葺き。粘板岩葺きの屋根ならコーンウォールやデヴォン等では見掛けますが、ここのは屋根まで薄く切断したパーベック石かも。

イギリスの観光地の村では、時折model village モデル・ビレッジと呼ばれる、東武ワールドスクエアの小規模版のミニチュア建築物テーマ・パークを見掛け、この村にも在ります。多くは地元近辺の家並みを再現していて、建材も出来るだけ実物と同じ物を利用しています。

 

時間が無くて見学はしていませんが、この村のモデル・ビレッジには、廃墟になる前のコーフ城のミニチュアが復元されているそうです。

土産物屋にも入ってみました。ドーセット・スパイスと言う、イギリスでは珍しくその土地ならではの製品を売っていました。こちらは、イギリス人のソウル・フード、チップス(揚げ芋)に振り掛ける為の調味料。

ドーセットには、ジュラシック海岸と呼ばれる化石の宝庫が在る為、其処で発掘される恐竜をイメージして、ワイルドなスパイスを調合したようです。決して、スパイスの原料がドーセット産なのではありません。味的にも特に珍しくもなく惹かれず、結局買うのには至りませんでした。

村の中心に立つ、教区教会にも入ってみました。若くしてこの城で暗殺されたと伝えられるサクソン時代のイングランド国王の名に因み、St. Edward, King & Martyrと名付けられています。

塔のガーゴイルは、雨が降ったらダイナミックにゲロを吐く仕組みです。

こちらの石像も、崩壊が進んでキモ怖さ倍増。 

しかし名前や外観からは意外な程、内部には興味を引く物は見当たりませんでした。

村から眺めるコーフ城の迫力ある姿は、やはり格別です。

暑い日だったので、最後に村でアイスクリームを買って食べました。しかしP太が例に寄って財布もスマホも車内に置き忘れた為、私が支払う羽目に。パーベック半島産の牛乳を使用した超地元産のアイスで、流石に美味! 同じ位の値段でも、NTの売店のアイスより遥かに嬉しいと思いました。 

帰りも、同じ遊歩道を通って車まで戻りました。心配した車上荒らしには遭いませんでしたが、そう言うウッカリで気を揉まされるだけでも嫌だから、私は数分間車を停めて撮影する時でも、高速道路のサービスでトイレに立ち寄る時も、必ずバッグは持ち歩くようにしています。




 

2026/07/07

天河に願いを


今日七月七日の七夕に向けて、ドール用の浴衣を縫いました。しかし相変わらず浴衣に適した布は手持ちがなくて、と言うか、今回の帰国では飛行機の預け入れ荷物の制限重量がいつもの半分だった為、百円ショップのカット布以外の生地は、ほとんど仕入れて来ませんでした。

しかし浴衣なら、例え純和風でなくとも夏らしい花柄であれば、それっぽく仕上がるだろうとは思い、手持ちの中から合いそうな生地を色々探しました。  

和服の場合、普通に考えるとドールには少し大き目の柄の方が、特にmomoko DOLLのような背の高いドールには映えるように思います。

この布は、多分二年前か三年前の帰国時にユザワヤで購入したと記憶しています。私よりも姉の好みの柄に見えるので、姉が選んで買ってくれたのかも知れません。

水色と辛子色の花が描かれた淡い渋い色合いで、夏らしく涼し気に見えます。浴衣に仕上げると、十分しっとりはんなり感が出るのではと思いました。

この浴衣に、七夕なので天の川の帯を合わせました。藍の麻地に、ビーズ刺繍を入れて天の川を表現しました。

刺繍が、自分でも笑っちゃう位ヘタクソ。結び部分にも、一応装飾を入れています。

今回合わせた白木の下駄は、秩父の老舗下駄屋さんで購入した根付け。以前黒い下駄の根付を手に入れましたが、良く出来ていてドールにぴったりなので、再び訪れ姉が自分の分も含めて買ってくれました。鼻緒部分には、秩父銘仙の古裂が使用されています。

しかし、只でさえ踵の関節が緩くて勝手に曲がり易く、下駄や草履を履かせて立たせるのが難しいモモコなのに、この下駄は座った状態ですら履かせて置くのが難しく、まして立たせるのは本当に至難の業です。

今年七夕の笹の葉飾りの短冊に託して星に願う事は、絶対的に世界平和。日本に住んでいた頃は、ぶっちゃけ世界がゴタ付こうと然程自分の生活には影響しませんでした。

しかし海外に住んでいる身にとっては、世界の不安定や非寛容が、暮らしの根底を揺るがす位に怖く感じます。

世界平和って、世界中の物凄い数の人々の努力や心掛けで成り立っている訳ですが、極一握りのバカやキ★ガイに寄って、こうも簡単にバランスが崩れるんだなーと痛感します。 

ところで、七夕飾りが毎年使い回しなので、流石にヨレって来ました。 笹の方は、鉢植えで順調に育っています。

本来七夕は、織女に因んで乞巧祭会とも言い、元々手芸裁縫の上達を祈願する祭りでもありました。 

これにあやかって、私のドール服の腕も少しは向上して欲しいものだと願います。

しかし、これだけ続けている上にこの年齢となっては、最早どう努力しても無理なような気もします…(とほ~)。

それでは、皆様の七夕の願いが叶いますように☆彡




2026/07/06

迫力廃墟コーフ城

昨年の今頃、夫婦でドーセット州のIsle of Purbeck パーベック半島の、最近修復されたと聞くCastle Corfe コーフ城と言う中世の城(ほぼ遺跡)に行って来ました。しかし、何せドーセットは遠い。パーベック半島の在るのはドーセットの東端なので、我が家からギリ日帰りで行けない距離ではありませんが、高速道路等の速い道路が全く通っていない為に非常に時間が掛かり、夏期の日没の遅い時期にしか行けません。

更に、ドーセットの変化に富んだ海岸線は、イギリス人に大人気の典型的な観光地②で、一年中、特に夏は非常に混みます。おまけに、我が家から行くのに避けては通れないニュー・フォレスト国立公園内を横断するA31号線が、しょっちゅう絶望的な渋滞を起こします。それで、学校の夏休みが始まる一週間前の平日と言う日を選びました。読みが見事に当たり、ドーセットへの交通は今まで一番位に驚く程スムーズでした。

城下町()へ入る手前で既に城が見えて来た為、P太は写真を撮るのが我慢出来なくなりました。

それで環状交差点の中間みたいな、他に誰も車を止めない(そりゃそーだ)凄い変な場所で、私が躊躇するのも聞かずに急遽駐車しました。ただ脇の緑地では、ジプシー風ワゴンを乗せたトラックが、アンティークとガーデン用品を売る店を開いていました。


写真を撮りながらしばらく歩き進むと、キャンプ場脇から城へ通じる遊歩道が伸びているのに気付きました。私が止めるのにも耳を貸さずに、P太はこのまま遊歩道を通って城へ行こうと言い張ります。城近くの駐車場は、混んでいて料金が高いからと言うケチ臭さからでもあります。

しかししばらくして気付いた事には、そんな風に急に車を離れて歩き進んだ訳だから、P太はカメラしか持っておらず、財布や携帯が入ったバッグを車の中に置いたまんま(案の定)。車上荒らしの多いイギリスでは、絶対にやっちゃ行けない事です。でもまあ、歩くのが心地良い遊歩道ではありました。白いチョーク質の道なので、黒スニーカーで歩くのには全く不向きでしたが。帰宅後、チョークで真白く汚れたスニーカーを拭かねばなりませんでした。

城は、割とすぐに見えて来ました。中世の古城と聞くと、ライン川やドナウ川に突き出た断崖絶壁の岩山に立つような城を真っ先に思い浮かべる私ですが、イングランドは土地の標高差自体が余りなく岩山も稀です。それ故、ウィリアム征服王がイングランドを乗っ取った後、国中で人工の丘の上に主塔(本丸)を築く事を急がせ、そんな城がmotte-and-baily モット・アンド・ベイリー形式と呼ばれてイングランドで多く見掛ける訳です。 

しかしここは、イングランドの城では珍しく天然の要塞となる小高い丘の立地を利用している為、ドラマティックな景観で人々を魅了します。 

更に進むと、木橋の上を通って小川を渡ります。この周辺の牧草地や小川沿いにも、トレッキングを楽しむ観光客が結構居ました。 

途中、こんな絵になる茅葺屋根の田舎家も見えます。 

続いて遊歩道は、城の敷地のすぐ脇を通ります。城山はかなりの勾配です。 

城壁の一部の塊が豪快に転がっていて、いかに激しい歴史の波に翻弄された城であるかを物語っているようです。

入り口に到着。この石橋と城門を通って、城内に入ります。門や一番外側の城壁は未だ修復中です。この手前の建物で、NT(ナショナルトラスト)の料金を払うか、会員証を提示します。 

天然の要塞を利用している上に、更に堀を築いたようで、かなりの深さになっています。


この城は、NTの年会員に復帰したら必ず訪れたい場所の一つでした。ここへは、私がイギリスに住み始めて割とすぐに、イギリスを代表する見応えのある古城だからと、P太が一度連れて来てくれた事がありました。しかし、余りに荒廃が進んで崩れ落ちる危険が高かった為、城自体にはここまでしか近付けず、他は立ち入り禁止にされていました。その割に、いつもと変わらず入場料は面食らう程高かった為、その場で突然NTに入会する決心をしたと記憶に残っています。そんな不満足な見学だった訳で、つまり今回はリベンジ訪問です。

修復された年別に、色分けされて表示されています。本丸部分は、本当に昨年2025年に修復し立て。曲輪も含めるとかなり広大な城で、また崩壊ぶりも酷いから、時間とお金が相当掛かるのは頷けます。 

ベイリー(曲輪、外郭)から南西楼門を潜り、どんどん登って本丸に近付きます。

この城は、ドラマティックな立地や外観に相応しく、多くの歴史のドラマの舞台でもありました。まず伝説では、10世紀のサクソン時代のイングランド王国のエドワード殉教王、推定享年16歳が、この城でヤバい(very wicked)継母に暗殺されたと語り継がれています。ワインで酔わされた所を背中から刺されたそうで、「だから酒は良くないよ~」と説明板はお茶目に言っていました。

続いて11世紀に、イングランド王となったウィリアム征服王が、ギリンガムの教会と交換に、この地を手に入れたと言われています。それ程、防衛的に重要な立地だったからのようです。ウィリアム一世はそれまでの城を取り壊し、現在に近い形に建て替えました。


その後、この城はイングランド王家の所有、つまり五つある王城の一つとなりました。国王ヘンリー一世が兄弟喧嘩したり、スティーヴン王が従姉妹の皇后マティルダと揉めたりと、度々英国史に登場します。

13世紀には、ロビン・フッドの物語でも悪名高いジョン王が、姪のブルターニュ公女エレオノール(エレノア)を、王位継承問題絡みでこの城に幽閉します。公女は幸運にも生還しましたが、彼女の22人の騎士は獄死し、その悲痛な雄たけびは今も城のダンジョンに響き渡るそうです。…いかにもイギリス人の好きそうな話。

16世紀に、エリザベス一世が寵臣にこの城を売り渡し、コーフ城はとうとう王城ではなくなります。金額は4,762ポンドで、当時としても破格の安さだったそうです。

しかしその後の市民革命時代にも、コーフ城は英国史と深く関わります。この城は王党派の最後の拠点として、二度の凄まじい籠城に耐え抜きます。が、遂には降伏し落城。議会派に寄って、取り壊されました。 

籠城で粘った城主バンク一族は、議会派に処分される事はなく存続し、ウィムボーン・ミンスター近くのKingston Lacy キングストン・レイシーに居城を移しました。その後もバンク家がこの城を所有し続けてはいたものの、廃城として捨て置かれ荒廃が進んだようです。NTには、1982年にキングストン・レイシーと共に寄贈されました。 

ここは多分西外郭と呼ばれる場所で、隣の丘がすぐに行けそうな程間近に見えます。この南西の丘の頂上には、もう一つ中世の城跡(の遺構のみ)が在ります。

このヘリンボーンに組まれた石壁は、Old Hall オールド・ホールと呼ばれた、アングロ・サクソン時代の城館の貴重な名残りだそうです。 

この辺りで一番眺望の利く丘の上に城を築いた為、城からの村の眺めは勿論抜群。

この一帯が、美しい丘陵地帯になっています。海岸線が近いので海抜自体は大した事はありませんが、高低差と勾配は結構あります。この辺りには紀元前からケルト人が居住していた為、先史時代の遺跡も点在しています。

海も、ちらっとだけ見えます。内陸に深く入り込んだPoole Harbour プール港(湾)の一部のようです。ここがIsle of Purbeck パーベック「島」と名前が付いているからには、大昔は本土と離れていたのかも知れません。

列車も通っています。ただし幹線鉄道ではなく、イギリスのあちこちに残る廃線を利用した観光鉄道です。

前回到着した時点では未だNT会員じゃなかったから、やはり城からかなり離れた道路脇に駐車した記憶だけがP太には残っているんだろうけど、今ならちゃんとNT用の駐車場が無料で利用出来るんだよ…。

城全体は眺めるのには、この村外れの南側の墓地(右手の平地)からが最高なようで、良く観光用写真に墓石付きで利用されています。

いよいよ頂上、つまり本丸部分に到着しました。

辛うじて壁だけの残っている部分が多いような廃城なのに、修復したとは言え、一体どうやって自立しているんだろう?とは不思議に思いました。 

実は裏側は、部分的にこんな風に鉄筋で支えられています。ここは展望台への階段になっており、要予約で「王の眺め」である絶景が楽しめるそうです。


こちらは、礼拝堂部分のようです。背後に見える丘の頂上には、青銅器時代の古墳が在るそうです。

城の壁には、強靭なの野の花が育っています。こちらはベニカノコソウの、赤花と白花。

中世の城()は、どちらかと言うとEH(イングリッシュ・ヘリテイジ)の得意分野で、NTでは珍しく、そのせいかここはNTでも特に人気の高い場所です。しかし夏休みの直前と言う絶好の機会で、夏なのに割と訪問者が少な目でした。見掛けた子供は、ドイツ人の修学旅行生ばかりでした。ともあれ、やはり本丸まで登る事が出来たので、城の構造や歴史を実感出来、前回とはまるで違う印象のコーフ城でした。