2026/03/10

ハロルド王の眠るウォルサム修道院 2

昨年の三月の自分の誕生日に夫婦で訪れたWaltham Abbey ウォルサム(ウォーザンとも日本語表記される)修道院で、修道院教会の内部を見学した後は、続いて教会の周囲を歩いてみます。

その前に、教会の外壁を観察。フリント石(火打石)の黒いガラス質面を市松模様風に配置するのは、イギリスの教会では良く見掛ける装飾方法です。

ノルマンではなくゴシック時代の作に見えますが、崩れて良い具合に(?)不気味さが出ています。 

こちらの髭面男は、中世に流行したグリーンマンかも知れません。自然信仰由来でキリスト教には無関係のグリーンマンですが、教会の装飾にも結構登場します。


何故サル??とか、キリスト教らしくないモチーフを発見するのも、教会建築見学の楽しみの一つです。 

ハロルド王の墓は、教会の東側に在ります。 手前の十字架は、一般人の墓。 

一応ここがハロルド王の墓と言う事になっていますが、良くある事で、長い年月の間の修道院の改装の度に遺体が移動されたり、修道院自体が閉鎖されたりで、本当にこの場所が埋葬地である確証はなく、これはあくまで記念碑だそうです。発掘調査が行われたかどうかは分かりませんが、遺体の一部位は眠っているのかも。

そもそも政敵である敗者の遺体を、自ら建てた所縁の深い教会に埋葬し、その後教会を最新式に改築するのは、この暗黒の時代としては圧遇過ぎるのでは?と疑問でした。実際ギョーム公(後のウィリアム征服王)はハロルド王の遺体を海に捨てろと言ったとか、遺体と同じ重さの金と交換に引き渡して欲しいと申し出たハロルドの母の願いを拒否したとの記録が残っているそうです。 


他にもハロルド王の墓の伝承地は幾つかあり、また日本の源義経の伝説同様に実は戦死せず生き延びて、チェスター、カンタベリー、またはチチェスターで隠者として余生を過ごしたとの言い伝えも残っているそうです。

修道院跡地は広々とした公園&庭園になっていて、当時を物語る建築物は石塀位しか残っていません。

教会の他に、唯一の修道院の名残りと言えば、この西門位。

ここにも、無残に崩れたガーゴイルが。 

門の建物では、オーブ写っちゃったし💦 

修道院の残骸は、塀とかにリサイクルされています。

予め調べて知ってたとは言え、見応えばっちりの修道院教会に比べ、ハロルド王の墓と修道院跡地は拍子抜けする程シンプルでした。これもまた、長い歴史の流れを感じさせました。
 



2026/03/09

ハロルド王の眠るウォルサム修道院 1


昨年の私の誕生日には、ロンドンの北に位置する、前から一度訪れてみたかったWaltham Abbey ウォルサム(ウォーザンとも)・アビーに連れて行って貰いました。エセックス州の西端で、ロンドンの外環状線とも言える高速道路M25号線の真北に在り、我が家からは微妙に行き辛いのです。M25号線は環状な訳ですが、今まで完全に一周した事はなく、A1号線からM11号線へのICの間のウォルサム・アビーの在る部分は、通過した事すらありませんでした。

誕生日当日だったから日本の家族や友達からお祝いのメッセージが入っていましたが、ここはロンドンからそう遠くないのに関わらず、通信電波の状態が非常に悪くて、しばらく返信出来ずに居ました。P太の話に寄れば、どんな田舎でも高速インターネットが通じて携帯電話も問題無く通じるのは、今だ日本位なのだそうです。

ウォルサム「アビー=大修道院」が在るから町の名前になっている訳ですが、勿論その修道院が目当てです。と言っても、修道院は例に寄って16世紀に国王ヘンリー八世に寄って解散させられた為、今残っているのは修道院付属の教会と遺跡のみです。

ここが有名なのは、アングロ・サクソン時代の最後のイングランド国王、ハロルド二世の墓所が在るからです。このハロルド二世が、ノルマンディーからの来襲したギョーム公(後のウィリアム一世征服王)と、1066年にヘイスティングス近くのBattle バトルで対戦し敗死した為、サクソン時代は終結しノルマン時代が始まりました。

修道院教会は大聖堂規模の大きな見応えある教会建築の場合が多いのですが、ここの教会もそう見えました。実際にここは中世後期には巡礼地と栄え、イングランドで最も大きな教会の一つだったそうです。

正式名を「The Abbey Church of Waltham Holy Cross and St Lawrence ウォルサム聖十字架及び聖ローレンス(ラウレンティウス)大修道院教会」と言います。この聖十字架は、グラストンベリー近くで発掘された巨大な石製(火打石とも大理石とも)を牛車に引かせて運搬しようとした所、どうしてもこの地にしか進まない為に教会を建てたと言う伝説に因みます。町の名前も、かつてはWaltham Holy Crossだったそうです。

教会自体は7世紀に起源を持ち、8世紀に再建され、11世紀に王になる以前のハロルド自身に寄って再再建されました。その後ノルマン時代に四回目の改築、12世紀の五度目の改築の際にアウグスチノ会の修道院となりましたが、前途の通り16世紀に修道院解散法で解散させられた、イングランドの最後の大修道院だったそうです。この窓の周囲の石彫は、かなり後期の作のようで美しく出来ています。

しかし、ノルマン時代のプリミティブで不気味な好みの石彫も健在。 一体どんな宗教的理由で、こんな人を小馬鹿にした造形にしたんでしょうね?

東側の祭壇やアプス部分にバラ窓があるのは、教会建築として珍しいのではと思いました。

普通バラ窓は西側に設けられますが、この教会の西側は天井まで届く立派なパイプ・オルガンで塞がっています。 

ここの天井画は、古い物ではありませんが見所の一つです。寄木細工のようなタッチで十二星座が描かれ、制作に一年費やしたそうです。確かに見事…なんだけど眺めるのは大変で、写真もこの通り曲がってしまいました。

西洋の占星術はギリシャ神話を元にしていて、本来キリスト教と無関係なはずですが、キリスト教の教えとも被る!と結構こじ付けて(笑)、このデザインを選んだそうです。

祭壇の脇に、印象的な16世紀のeffigy エフィジー=墓標の彫像があります。前途の通りこの修道院はヘンリー八世に寄り解散され、その後家臣のアンソニー・デニーに渡り、彼はこの地に荘園館を建てました。これは、その息子エドワード・デニー夫妻の墓所だそうです。それにしても、この肘枕のポースどうなの?? 確かに普通のエフィジーのように棺桶に埋葬者の彫像を仰向けに乗せるタイプだと、顔や姿は良く見えないんですけど、死んで尚「私達を見て」と訴える凄まじい自己顕示欲を感じました。

こちらの16世紀のエフィジーも、肘枕横向き。少なくとも服装から16世紀だとはすぐ分かるし、当時のトレンドだったのかな。ノッティンガム産の雪花石膏出来ているそうです。この墓所の主は、悲劇の九日間女王ジェーン・グレイの従姉妹エリザベス・グレヴィル。彼女は前出のエドワード・デニーの恐らく早世した兄の妻だった為、ここに葬られているようです。 

身廊の南の狭い階段を登ると、教会建築としてはちょっと不思議な空間のThe Lady Chapel 聖母礼拝堂があり、東側の壁に私の大好物の中世の見事な壁画が残っていました。題材は「最後の審判」。

この事は予め調べていなかったので、予想外の嬉しい出会いでした。

中世と言っても末期の15世紀の作だから、明らかに画力が進歩して稚拙な不気味さは余りなく、ルネッサンス絵画に近く見えます。色彩も、比較的はっきりと残っています。 

しかし、この礼拝堂は教会の土産物売り場にもなっており、神聖な壁画とは不釣り合いな俗っぽさを放っていました。商品のラインアップも、修道士テディベアとかウォルサム修道院ぬりえでビミョーです。 

 期待した以上に、教会建築好き必見の見応えのあるウォルサム修道院でした。




2026/03/08

春の目覚めのミモザ色

 

今年の今日ミモザの日のドール用アウトフィットは、アイディアに詰まったので着物にしました。まあこれも、しばらくは再び使えないネタです…。

黄色い着物地は、イギリスのフリマかチャリティショップで手に入れた端切れ。布端にメーカー名の記載もなければ素材も分からない、私には毎度お馴染み「得体の知れない布」です。 

花菱文様のような柄がプリントされていて、ドール服を作るのなら和服がぴったりだと前から思っていました。 


しかし、プリントのインクが粗悪で布目を詰まらせており、薄手コットン生地のはずなのに、驚く程硬くて針通りが悪く縫い辛い布でした。やはり得体の知れない布、要注意‼ 

その一方で布目が詰まっている分、解れ留め液が不要な程解れにくかった利点はありました。

今回は、帯に毎年ワンパターンのミモザの刺繍を入れました。 

生地には最初はギャバジンとかの紺無地を利用するつもりでしたが、この着物には強過ぎて浮いて見えた為、急遽藍縞の会津木綿に変更しました。

カジュアルなドールの着物の帯として、会津木綿は持って来いの素材だと思っています。 

お太鼓の部分にも、刺繍が入っています。毎年ミモザの日のアウトフィットと言うとこの刺繍なので、これだけは下絵無しでも縫えるようになりました。

が、慣れているからと自分で勝手に思い込み、どんどんミモザの花の図案からは離れて行ってしまったような(笑)。

ついでに残った会津木綿で、お揃いのバッグとヘッドドレスも縫いました。会津木綿は、例え残り1㎝平方であろうと絶対無駄に出来ません。 

以前この同じレース・テープで、ドール用のショールを縫った覚えがあるように思うのですが、どう探しても見付からず、結局新たに作りました。

恐らく、作って直ぐに姉に送ってしまったのだと思います。 

洋装には勿論、和装にも合う結構お役立ちのレース・ショールです。このレース・テープの複雑なヘムが、ショールとして1/6ドールの肩のラインに丁度フィットするようです。  

ところで昨年義母から貰ったミモザの苗木は、冬は温室に入れたり霜避けしたのにも関わらず、生憎枯れてしまったようです。もっとも我が家の温室がショボい&ボロいので、防寒として十分役に立たなかったのか知れません。

例え育ったところで、大きくなってからは温室に入れられないし…。この近辺を見渡してもミモザが咲いているのは一度も見た事がない為、もしかしたらこの地域では耐寒性が足りずに育たないのでは?と思っています。

ロンドンやカンタベリーなら地植えで咲いているのを見た事がありますが、ここは其処より気温が12度低いのです。気温の2度差だけでも、育つ植物の種類や成長状況は大分違います。

二月の未だ肌寒い頃から咲き始めるミモザの鮮やかな黄色は、兎に角暗く灰色のイギリスの冬に、まるで一足早い春の光を灯すようです。

国際婦人デーでもあるこの日、世界中の全ての女性の心にミモザの花束を💐