2026/06/05

古代ローマ時代の古墳の村バートロウ

昨年のお出掛け記事のネタが山程あり、出来るだけ季節に合わせて投稿して行くつもりでした。が、緊急帰国の為にブログが中断され大幅にズレてしまいました。イギリスに戻って来て、じゃあ何処のお出掛け記事から再開しようと考えました。自分自身の為の記録が第一なので、必ずしも季節が合う内容じゃなくとも構わないとは思うのですが、季節の合っていた方が思い出し易いと言うのはあります。それでも一応思案しましたが、兎に角お出掛け記事は編集が面倒臭いので、ブログ再開のリハビリの意味もあり、いっそ書き易い記事から更新して行こうと決めました。今後、季節が合わない処か時系列を全く無視して、今年or昨年orもっと昔の内容も順序関係なく、舞台も日本とイギリスがごっちゃに登場する事になりますが、どうぞ御了承下さい。

夏時間に入り天気の良い日も増え外出し易い季節となり、昨年も意欲的に夫婦であちこち出掛けました。そんな旅行の合間に、P太がケンブリッジ方面に行く事になりました。Ebayで個人から中古オーディオを購入し、その引き取りにへ行く為です。フリマ・サイト等で購入する商品は、宅配便の料金が高い割に配達がいい加減で信用出来ないイギリスでは、売り主の許可があり車が運転出来れば、直に引き取りに行くのが一番安上がりで安心です。勿論リスクもありますが、そうやってP太は今までも何度か個人宅や待ち合わせ場所へ受け取りに(日帰りでヨークシャーなんて時も)行った事があります。今回も「君も一緒に行くだろ?」と当然のように誘われた時、ケンブリッジ方面へ行くならついでにここに、と真っ先に思い付いた、前々から調べて気になっていた場所がありました。

ケンブリッジシャーとエセックスとサフォークの州境に近い、Bartlow バートロウと言う村です。民家が数軒集まり、中心部にはヨロズ屋さえなく、パブ兼ホテルが一軒あるだけの本当に小さな村です。

こちらは、元郵便局の建物。外壁の漆喰のレリーフ状の模様は、イースト・アングリアの古い家屋に良く見られる特徴。

何故そんな村を目指したかと言うと、ここには「Bartlow Hills バートロウ・ヒルズ」と呼ばれる、イギリスでも珍しい古代ローマ時代の古墳群があるからです。

ところが、その古墳への行き方を中々見付ける事が出来ませんでした。地図上でAshdon Road アッシュドン・ロード の東側に存在するのは分かるのですが、其処へ通じる遊歩道らしき物は地図に記されていないのです。 

小さい村だからすぐに分かるだろうと思っていたものの、しばらく村をぐるぐる歩き回って探し、やっとCamps Road キャンプス・ロード沿いの教区教会の脇を通って行く事を突き止めました。

それ程道案内が不明確で不親切なのは、この遺跡がNT(ナショナルトラスト)EH(イングリッシュ・ヘリテイジ)を始め、どの文化財保護団体にも属しておらず、村自体で管理しているからのようです。


住宅の敷地の高い塀の合間で細く長く先が見えない、更に巨木に囲まれて鬱蒼とした、もし独りだったら歩き進める自信がない程の遊歩道を通って行きました。

民家は少ないとは言え、この辺りの家は裏庭のだだっ広いお屋敷ばかり。塀と木々の間から見えたこの庭なんて、フォーマル・ガーデンが在るだけでなく、小川(River Granta)が通過していて鴨さえ泳いでいます。

遊歩道は、その内レンガ造りの橋の上に続いていました。橋の下を覗くと、人工的に掘られたらしい狭い谷に掛かっているのが分かります。ここには昔は鉄道が通っていたんだなと、すぐに思い辺りました。

橋を渡ると、やっとお目当ての古墳が見えて来ました。

イギリスの先史時代サクソン時代の古墳なら、大抵は眺望の利く開けた丘の上に築かれますが、ここはどちらかと言うと窪地に近い全くの平地です。しかも今は住宅地や木々に囲まれていて、そんな全く「らしくない」立地に、明らかに不自然な小山が唐突に幾つか現れるのが一際印象的です。

しかも盛り上がり方、つまり高さや勾配がイギリスの古墳としては大変異色で、他の時代の古代の埋葬地に比べて圧倒的な規模です。築造は、紀元1~2世紀と言われています。
こんな形態の古墳は、確かにカンタベリーの同じくローマ時代の古墳「Dane John Moundでしか見た事がありません。それと、日本の「さきたま古墳群」の丸墓山古墳と言う巨大円墳が、返ってこれに近いかも。

これだけ小高い丘なのに、民家の広い庭に囲まれ、更に大きな木々に囲まれている為、自動車道からは全く姿を見る事が出来ません。よもやこんな場所に貴重な古代遺跡が隠れているとは、誰も想像出来ない事でしょう。

古墳と古墳の間は、せいぜい2m位。元々余り広い土地ではなかったのか、良くもまあギリギリのみっちみっちに建設した物だと感心します。 

ここにはかつて七基の古墳が存在したそうですが、19世紀の鉄道建設の際に三基は破壊され(…って、おい!)、今は四基しか残っていません。ところが、一般人の目に入るのは三基のみ。

実は四基目は、高い塀に囲まれた私有地に残っているからです。自宅の庭に古代ローマ時代の道の跡が通っていると言うのはイギリスでは何度か耳にしましたが、古墳が在るのは流石にスゴ過ぎる。

三基の内の一番高く大きな中央の一基にのみ、登る為の木の階段が架けられていました。 

当然登りましたが、これが梯子のように急な上に所々破損していた為、かな~りスリリングでした。

行きも怖けりゃ、帰り(下り)は更にコワイ。 

見晴らしの良い場所ではないにせよ、頂上からの眺めは中々で、思わず「You raise me up~♪」と歌いたくなりました。こちらは、我々が遊歩道を通ってやって来た際に、初めに目にした北側の古墳。

一方こちらは、 南側の古墳。 

頂上は狭くボコボコに歪んで全く平坦ではなく、立っているのもやっとでした。

階段の掛かっていない、南側の古墳にも登りました。これはその頂上から眺めた、中央の古墳。

が、見た目以上に険しい坂道…と言うかほぼ崖で(おまけにチョーク質で滑る)、田舎育ちで山登りが得意な私でさえ舌を巻き恐怖を感じる程でした。ここを登る事は、決してお勧めはしません。

丘の斜面は、野生植物の宝庫ではあるようです。

案内板の18世紀に描かれたスケッチを見ると、誇張して描いたのか、丘はもっと小高く勾配は急で、頂上には木のような物が植えられていたのが分かります。 

埋葬地が残っているからには、この近くに一定数のローマ人、またはローマ化したケルト系ブリトン人が住んでいたはずで、入植地か駐屯地が在りそうな物ですが、それらしき遺跡は見当たりませんでした。実際この辺りには、4世紀までローマ時代のお屋敷が立っていたらしいのですが、その場所は未だ突き止められていないそうです。

ここからもう一つ遊歩道が伸びていましたが、かなり奥深そうで一体何処に通じるかは謎。我々は博ちはせず、元来た道を戻りました。 

こんなに興味深く見応えのある、更に無料で見学出来る遺跡なのに、NTにもEHにも所属していない為、イギリス人にもほとんど知られていません。まるで、隠された秘密の不思議な世界に迷い込んだような気分になりました。歴史や考古学に特に興味がない人でも、貴重で奇妙な眺めが楽しめる場所なのではと思います。




2026/06/03

飯坂温泉の絶品ラヂウム玉子

 

カレーライスには、必ず茹で卵を添えたい派です。それが温泉卵なら、尚嬉しい。

好物のポークカレー温玉乗せを食べる影山飛雄の図

卵料理は概ね好きですが、その中でも温泉卵は私にとっての最高峰の食べ方です。しかし、実際に家で温泉卵を作るとなると中々難しい物です。今までネットに紹介されている簡単に失敗なく作れる方法(レンチン利用や保温マグ等)を色々試したものの、自分で加熱する場合は食べるタイミングも重要で、結局どれも上手く行きませんでした。それで温泉卵は、出来合いの市販品を買って来るのに限る、と言う結論に至りました。

福島の実家に帰省する度に必ず買う物の一つに、「飯坂温泉のラヂウム玉子」があります。飯坂温泉は福島市の北西にある全国有数&福島県屈指の温泉街で、日本で初めてラヂウム(放射能)泉が発見された事でも知られているそうです。その泉質を利用して作られた温泉卵が、創業明治11年の阿部留商店の「ラヂウム玉子」です。飯坂まで行かずとも、県中部のスーパーマーケット等でも普通に買えます。 

絶対に長年変えていないのに違いない、しゃりしゃりとした薄紙のレトロな包み紙のデザインも魅力。この包み紙のお陰で、冷蔵庫に保存していても、普通の卵と間違える事はありません。実家の近所のスーパーでは、この赤い包み紙版しか見掛けませんが、卵の種類に寄って青と黄色紙も存在するそうです。

ラヂウム玉子の特徴は、普通の温泉卵より黄味も白身も若干固形に近いと言う事。黄味はトロリとソースのように流れる事は無く、ねっとりまったりの箸で摘まめるギリギリの硬さ。白身は、ぷるぷるのジェリー状です。


このほんの少~しだけ長い火の通り具合が、私には正に丁度良く最高に美味しく感じます。特選の高品質な卵を使用していて、黄味が甘く感じる程濃厚です。

普通の市販の温泉卵と違い、このパックには出汁醤油は付属していないので、自分でつゆを掛けて頂きます。白だしでは塩分が強過ぎてしまうから、久原のあごだし等つゆの素が最適です。

この卵を毎朝楽しみたいが為、普段は自宅では出来ない和風の朝食を、わざわざ実家では用意したくなります。勿論御飯のお供としてだけでなく、麺類に乗せても良し、シーザーズ・サラダ等に加えても良し。

ついでに製造元の阿部留商店のHPを覗いてみたら、オンラインショップにはこのラヂウム玉子だけでなく、専用のつゆや福島名物のイカニンジン、包み紙のレトロなロゴがプリントされた「ラヂT」シャツ各種も販売されていました。このTシャツ、かなりイケてるので欲しくなるなあ。




2026/06/02

水色ラインストーンのリース型ブローチ

 

三月初旬のArdingly アーディングリーのアンティーク・フェアでは、友達への誕生日プレゼント用にこのビンテージ・ブローチも買いました。

直径は約3㎝で、葉をあしらったリース状の台座に、水色系のラインストーンと極小のマーカサイトが嵌め込まれています。

この水色のラインストーンが、アクアマリン色とも違い若干緑味掛かって深みがあり、少し変わったニュアンスのある魅力的な色合いなのに惹かれました。 

マーカサイトは爪留めではなく接着ですが、マーカサイトの欠けが一つもないのは結構珍しいと思いました。  

ピューター製っぽいリース状の台座も、ありそうでなかったデザイン。裏面のピンの原始的な形態から、20世紀初頭の製造なのが分かります。 

小ぶりながらも全体的に重厚感と存在感があるクラシカルなデザインで、今回友達へ贈ったビンテージ・ブローチの中では、自分的にはこのブローチが一番気に入っています。

結局その日のアンティーク・フェアで、友達への誕生日プレゼントのビンテージ・ブローチはこれだけ集める事が出来ました。冬の間はアンティーク・モールへ行く機会も中々なく、それまでプレゼントが揃えられないのを焦っていましたが、たった一日でこれだけのビンテージ・ジュエリーを見付けられるのは、やはりアンティーク・フェアならでこそだと思います。




2026/06/01

カロチャ刺繍の半袖ブラウス

 

母の葬儀の後の実家での遺品整理では、大量の衣料品も待ち構えていました。と言っても、母が介護施設に入所するや否や、弟夫婦が既に大方処分してしまっていたので、納棺の際に添える母のお気に入りの服を選ぶのにも困った程でした。母は衣料の手入れもまるで無頓着で、大抵はシミが付いていたり虫食いがあったりと傷んでいない物の方が珍しかった為、残った服も結局ほとんど処分するしかありませんでした。 

そんな中、このハンガリー刺繍のブラウスをゴミ袋の中で見付け、奇跡的に状態は良かったのを確認し、自分で引き取る事にしました。

どう考えても、かつて私や姉がハンガリー旅行をした際に、母にお土産として買い贈った物でした。襟元と袖に、ハンガリー南部のカロチャ地方特有の刺繍が入っています。

カロチャ刺繍では今まで長袖ブラウスしか持っていなかったし、十分オフショルダーに見える長めのフレンチ・スリーブも、ゆとりあるシンプルなフォルムも、今時の日本の普段のファッションに合わせて可笑しくないデザインだと思いました。 

ブラウス自体の素材は、乾き易く皺になりにくいポリコットン。その反面、毛羽立ち易い素材なのは難点です。襟開きがたっぷり取られ、透かしもふんだんに施されて涼し気なので、着心地的にも夏にぴったりです。

ちょっと肌寒い季節なら、こんな風に重ね着しても。ボトムは、デニムのワイド・パンツなんかを合わせたい気分です。首に掛けているコットン・パールのネックレスも、母の遺品から引き取った物。姉からの母へプレゼントで、軽いからと喜んで使っていました。

ハンガリーは今でも伝統手工芸を重んじる国で、地方毎に異なる個性豊かな刺繍が残っています。その中でも華やかなモチーフ、鮮やかな色彩、凝った大胆なカットワークを施したカロチャ刺繍は、マチョー刺繍と並んで国を代表するフォークロアです。

ステッチは普通のサテン刺繍ですが、ハンガリー独特の刺繍糸でふっくら立体感が出るように縫われています。

 こちらは、袖の刺繍部分。 

このブラウスの刺繡には、カロチャを象徴するはずの赤の糸は使用されていません。母は赤が嫌いだったし既に年配だった為、この少し落ち着いた色合いのを私達姉妹は母用に選んだのだと思います。カロチャ刺繍には、この他青系のグラデーションや白だけで纏めた物も存在し、かなり印象が変わって見えます。