2026/07/16

ヴィクトリア時代の首相の館ヒューエンデン・マナー 1

 

昨年の今頃、夫婦でバッキンガムシャーのNT(ナショナルトラスト)の歴史的な屋敷Hughendenヒューエンデンを初めて訪れました。ヒューエンデンは、マナーと呼ばれるからには元は荘園館が存在した場所だったようですが、ヴィクトリア時代の英国首相Benjamin Disraeli ベンジャミン・ディズレーリの邸宅として知られています。

NTが所有・管理する歴代首相の邸宅としては、第二次世界大戦時の首相チャーチルの館Chartwell チャートウェルが有名で、チャーチル自身の圧倒的な知名度と首都ロンドンから近い事で根強い人気です。しかし正直ディズレーリの事は、ヴィクトリア女王に寵愛された首相だと言う事以外はほとんど知りませんでした。 

チャートウェルには私も何度も足を運んだものの、ヒューエンデンにも我が家から日帰りで十分行けるのに、今まで行こうとも考えませんでした。

ディズレーリはヴィクトリア朝を代表する政治家で、ヴィクトリア女王を戴冠時から見守っており、その後未亡人となった女王の愛人ではないかと噂される程、女王からの信頼が厚い超お気に入りの首相だったようです。 

実際に、女王も度々このヒューエンデンを訪れました。 

内部では、ヴィクトリア時代の上流階級の邸宅の様子を、ほぼ当時のまま見学出来ます。まず印象に残るのは、一族先祖の肖像画や彫像が多数掲げてある事です。 

また、忠誠を誓うヴィクトリア女王の肖像画も、至る所に飾られています。

ディズレーリは著名な小説家の息子で、ロンドンに生まれ裕福な家庭で貴族然と育てられたものの、苗字から想像出来る通り(Disraeli=イスラエルの意味)ユダヤ人でした。 

上の写真の頭像とは同一人物とは思えない若い頃のディズレーリ

当時はユダヤ人に対しての社会的な制約や不利が大きかった為、少年時代に家族ごとキリスト教(英国国教会)に改宗します。とは言うものの本当に建前だけの改宗で、教会の礼拝に通う訳でもなく、実際ディズレーリは生涯ユダヤ人である事を誇りに思い続け、そのアイデンティティを失わなかったそうです。

自身も小説家として名を成し、ヒューエンデンには夥しい数の蔵書が残っています。しかし実は学校にはロクに通った事がなく、若い頃は事業に失敗して借金塗れとなったり、作品を酷評されたり、中々議員に当選出来なかったりと、最初から順風満帆な人生と言う訳ではなかったようです。

ところが、物書きでもあったように言語力に優れ話術が巧みで、更に共感性にも長け聞き上手だった事から、女性(特に年上の裕福な未亡人!)の心を掴む才能に恵まれていた事が、彼を人生の勝ち組へと導きます。

35歳の時に12歳年上のメアリー・アンと結婚しますが、彼女は元々は先輩政治家である盟友の妻でした。その夫と死別したメアリー・アンを慰める為に足繫く通っている内にたちまち恋仲になり、一応世間体を気にしてか一周忌を待って結婚したそうです。彼女もまた、一風変わった女性だったようです。

当時彼女は夫の莫大な遺産を受け継いでいて、一方ディズレーリは多額の借金を抱えていた為、当然金目当ての結婚と噂されました。が、夫婦仲は意外にも生涯非常に円満で、メアリー・アンは夫を献身的に支え続けました。 

ここは夫婦の寝室だったと思われる部屋で、統一された色合いのセンスの良さと、贅沢でもすっきりした居心地の良さが感じられます。右手の暖炉の上には、ヴィクトリア女王と夫君アルバート公の肖像画が。

ディズレーリは最終的には保守党の党首に登り詰め、首相としては二期就任します。ユダヤ人出身の首相としては今でも英国唯一で、また貴族出身ではない無学歴の首相も異例でした。この館は、他の貴族出の保守党議員と肩を並べる為に、つまり政治家としてのステイタスの為のカントリー・ハウスとして購入しました。

彼の首相としての最大の功績は、スエズ運河の買収と、英領インド帝国を成立させ女王が望む女帝の称号を贈った事。今となっては賛否の分かれる所ですが、帝国主義を推し進め英国の繁栄を築きました。 

もう一人のヴィクトリア時代の代表的な政治家、敵対する自由党の党首&首相となるWilliam Gladstone ウィリアム・グラッドストンとは始終ライバル関係で、性格も水と油で正反対だったようです。幼稚な喧嘩や嫌がらせも繰り返したようで、…まあ今も昔も政治家って奴は。

この館で最も印象的だった展示物は、ディズレーリが財務大臣時代に着用していた、金色の刺繍が施された黒い絹のダマスク織りの公式ローブ。紫外線に寄る劣化を避ける為にか、余りに室内が暗くて写真に良く写らなかった為、年表の説明書きの写真を利用しました。

このローブが忘れ難いのは、単に装飾が非常に凝っていて美しいからだけではありません。

これは本来歴代の財務大臣が着用するローブで、次の財相に就任する政敵グラッドストンに返還しなくてはなりませんでした。が、ディズレーリはそれを丸無視してグラッドストンに渡さず、自宅に隠し続けた(おいおい💦)為に今こうしてヒューエンデンに展示されている訳です。 

 

ディズレーリには子供がいなかった為、死後ヒューエンデンは甥に相続され、その甥に寄って多少室内の模様替えをされています。 

その甥の死後には他家に売却され、1955年にNTに託されます。 

このヒューエンデンのもう一つの顔が、第二次世界大戦中の秘密基地として利用された事です。コードネーム「Hillside ヒルサイド」と呼ばれ、空爆用の地図を作成する拠点として最大級の国家機密の場所でした。 

その事はあえて戦後も隠された続けたのか、それとも必要無くなったから公表されないまま忘れ去られたのか、21世紀になって一般人に発見されるまで公に知られる事はありませんでした。 

最終的に初代Earl of Beaconsfield ビーコンズフィールド伯爵の爵位を得たベンジャミン・ディズレーリは、本来ならウェスタミンスター寺院で国葬&埋葬されるのに相応しい程の成功を収めた人物でしたが、先に亡くなった愛妻メアリー・アンと共に、ヒューエンデンの麓の村の教会に眠っています。




2026/07/14

乗馬のシンディ人形

 

数年前にビンテージ・シンディの復刻版+フル可動式ボディの「Sindy Play」シリーズが発売された時、気に入った仕様の幾つかのドールは新品で手に入れました。その時乗馬のシンディちゃんも販売され、人形自体はオーバーン(赤褐色)の髪で中々魅力的に見えましたが、販売セットはプラスティック製の馬まで付属している為にやたら大きく、それに伴って単価も一番高かったので見送りました。 

その後もし中古で乗馬のシンディちゃんの人形だけで出回っていたら買おうと思っていたところ、…最近遂にそのドールの上手い具合に状態の良い物にフリマで出会う事が出来ました。

これを買う時に値段を尋ねると、まずストール主であるお父さんはお人形の元持ち主の娘に「幾らで売りたい?」と聞きました。女の子は最初「5ポンド」と答えましたが、お父さんは「それは高過ぎるよ」と苦笑いして、結局自分で値段を決め「じゃあ1ポンドで」と言ってくれました(…よかった~笑)

ボディや髪質の状態が良いだけでなく、オリジナル・アウトフィットの乗馬服も(キャップとヴェストはないものの)、フットウェアさえそのまま付いて来ました。 

元は、いかにも田舎の農場で働く、自然と馬を愛する純朴な少女と言うイメージでした。

しかし、一つ結びだった髪を解いてみると、髪裾に巻の大きい無造作カールが掛かって、何だかやけにゴージャス&グラマラス。これを見て、即座にモデルとしての方向性を変える事にしました。 

私も姉もドールには不要と思っているソバカスは当然消し去り、ついでにマットな色で気に入らなかったリップもリぺし、アイラインから離れ過ぎてスズメの足跡(=目尻の皺)みたいで気になっていた睫毛も描き足し、メイク濃い目の1960年代ファッションが似合うシンディちゃんを目指す事にしました。

心なしか、オリジナルのビンテージ・シンディの顔に寄り近付いたような気がします。やはり濃い色のリップの方が、シンディには合っているように思うし好みです。瞳の色が緑なのも、ミュージシャンのシンディ以外では珍しく、新鮮に見えるので気に入っています。

元々シンディは60年代生まれのレトロ少女漫画顔だから、レトロ・ファッションが似合うのは道理のはずです。

元持ち主の女の子も、自分の乗馬のシンディちゃんが手元を離れて数日後には、こんな都会派?シンディに生まれ変わるとは思ってもいなかった事と思います。

青系の60年代風ワンピースは、元々バービー用に作った物なので、シンディには胸のダーツが合っていないし丈も若干長めです。しかし着用する事は可能で、もしこれがmomoko DOLLだったらダブダブで合わないはずです。

持たせるだけでセレブ感が爆上がりする白いバッグは、姉が買ってくれたジル・スチュアートのミニチュアのガチャ。うっとりする程良く出来ていて、特にビジュー部分は驚きの細かさです。

ただし中は空洞ではなく、ずっしり重めの樹脂製の固体なので相当重量があり、肘の関節の緩いドールには、関節が自然に下がってしまう為に持たせる事が出来ません。

付属のストラップで肩掛けも出来ますが、これもドールに背負わせるのには結構安定が難しい。このバッグで、クロスボディって訳には行かないですし。

それで、最初はこの手作り白合皮バッグを持たせていました。こちらの方がレトロ感はあるものの、正直ショボさは否めません。

ところでチコちゃんの番組で、何故こう言う肘に掛けるバッグの持ち方は女性だけなのか?と言うのを説明していました。筋肉の造りが異なる為、男性は腕が痛くなるので持てないからだそうですが、そう言えば私もバッグをこう持つ事は全くありません。決して筋肉が男だから()ではなく、特にイギリスでは防犯上良く無いからです。 


フル可動式ボディの割に「Sindy Play」の可動域は狭く、大して役に立たないのですが、ボディとしての造形自体は、顔に合っていてバランス良く出来ていると改めて実感しました。同じ日に購入した中古のハスブロ製ディズニー姫人形と見比べると、尚更思いました。

特に椅子等に座らせた時、きちんと脚を閉じる事が出来るのと(廉価品可動式ボディでは結構出来ない事が多い)、手を膝の上で揃える事が出来るので、中々御行儀良く見えます。 

実は椅子の高さや深さが合わなくて、尻の下に消しゴムを置いて調節しているのですが…。

そう言えば、Sindy Playのボディで椅子に座らせるのは、案外これが初めてかも知れません。 

例え可動式ボディで膝に関節があっても、座らせる程は股関節や膝が曲がらないドールも中には存在するので、やはり全ての可動域を色々試して慣れない限り、分からない事だらけです。 





2026/07/13

ビンテージの緑地の小花柄スカーフ

 

三月の天気の冴えない自分の誕生日に、Brighton ブライトンの競馬場で開催されるフリーマーケットに初めて行った後は、その足で近くのLewes ルイスにアンティーク・モール巡りに行きました。未だ寒い季節の天気の良く無い日の外出は、イギリスではこれ位しか娯楽がありません。

其処で、中々魅力的なビンテージらしい柄のスカーフを集めたバスケットを見掛けました。スカーフなら軽く嵩張らず壊れず郵送料も掛からない為、三月末の友達への誕生日プレゼントにこれも加えようと思いました。 

スウィンギン・ロンドンらしい弾けた色合いのファンキーな柄も幾つか混じっていましたが、小花が整列した可愛めの柄を選びました。 

友達の好きな落ち着いた緑色地だし、花柄は小さくとも、昔のマリー・クワントっぽいポップなレトロさは十分あります。素材はポリエステル100%で全く高級ではありませんが、その分気軽に使えるはずです。 

タグを見たら日本製で、これはビンテージのスカーフとしては然程珍しい事ではなく、その昔日本はせっせとスカーフを生産し、欧米のファッションに対応すべく輸出していたからです。そして今や、日本のスカーフ製造技術は、イタリアのコモ湖畔と並んで世界一と言われています。

そう考えると、素材はポリでも、確かに縁は手巻きかがり(ルロタージュ、またはフランスかがり)してあり、丁寧な造りなのが分かります。

結局友達への誕生日プレゼントは十分揃える事が出来ないまま緊急帰国する事になり、三月末には日本に居たので、友達夫婦の好きな日本酒を加えてプレゼントする事にしました。下戸の私ですが、友達の好みを聞いて、実家近くの酒屋さんと云々考え選んで福島の地酒を選びました。生酒なのでクール宅急便だしお金が掛かるよ~と友達は気遣ってくれましたが、日本に居る貴重な機会にしか出来ない贈り物だから、味わって貰えたら幸いです。