2026/06/25

ウェセックスの古都ドーチェスター


 

昨年の今頃、前から訪れたかったオックスフォードシャーのDorchester ドーチェスターと言う村に在る修道院を見学し、その後は村の中も散策しました。車で通って来た時から、古都に相応しい古い建物が並ぶ素敵な村だと思っていました。

正式には「Dorchester-on-Thamesテームズ川沿いのドーチェスター」と言います。今は小さな村ですが、かつてはサクソン時代の王国Wessex ウェセックスの首都でした。

ん?ウェセックスの首都はWinchester ウィンチェスターじゃなかったのか?と思いましたが、確かに政治や宗教の中心は概ねウィンチェスターだったものの、当時は、特にアルフレッド大王の治世以降は、首都と呼ばれる都市が王国内に幾つか存在したのだそうです。このドーチェスターを始め, かつてHamwicと呼ばれていた港町Southamptonと、ドーセット州北西のSherborneがそれでした。

日本でも、ほぼ時代が重なる奈良・飛鳥時代に何度もあちこち遷都していた事、また飛鳥時代に宮が置かれた政治の中心地が現在の明日香村である事を考えると、少し納得が行くかも知れません。

因みにドーセット州の州都も同名のドーチェスターですが、単なる偶然の一致で両者には全く関係はないとの事。ただし、「~chester」が付く地名であるからには、どちらも古代ローマ時代から続く町()ではあります。

ここで、凄く大雑把にアングロ・サクソン時代についてザクッとおさらいします。紀元五世紀に入ってすぐに、本国の衰退に伴い(西)ローマ帝国がブリテン島の支配権を放棄し撤退すると、入れ替わるように現在の北ドイツやデンマーク周辺からゲルマン系のアングル人、サクソン人、ジュート人等がブリテン島に入植の為に渡って来ました。

先住民であるケルト系のブリトン人と戦って土地を奪った場合だけでなく、平和的に交渉・契約して定住した場合もあるらしく、詳しくは未だ解明されていない部分も多いようです。 


ゲルマン人やブリトン人は最初は各部族に寄る小国群を形成していましたが、七世紀頃には、アングル人はイングランド北部にノーサンブリア王国、中部にマーシア王国、東部にイースト・アングリア王国を建国して統治し、サクソン人は南東部にエセックス(東サクソン)王国、南部にサセックス(南サクソン)王国、西部にウェセックス(西サクソン)王国を、ジュート人は現在のほぼ現在のケント州にケント王国を築きました。未だ小さな属国や衛星国は残れど、その時代は七王国時代と呼ばれました。

それらの国々は争い侵略・支配・併合・吸収を繰り返す内、次第にウェセックスが台頭し、ヴァイキングの度重なる来襲やデンマーク王国の支配を乗り越え、最終的にはウェセックスがイングランド(アングル人の土地と言う意味)王国を名乗るようになりました。

現在もイングランドの主要民族は一般的にアングロ・サクソン人であると言われ、現代英語はアングロ・サクソン語を礎として発展して来ました。そのイングランドのハロルド二世1066年にノルマンディーからのウィリアム征服王に敗れるまで、アングロ・サクソン時代は続きました。

この家には、外壁にケルト十字架のようなモチーフが装飾されています。オーストリアのようなカソリックの国なら、民家の外壁に聖母マリア像が嵌め込まれていたり、日本の地蔵や野仏のように路上のあちこちにキリスト教の祠が祀ってありましたが、イギリスでは戦争慰霊碑等の十字架以外は、街中でとんと見掛けないので意外でした。

こちらの家の外壁に掲げられているのは、昔修道院教会の鐘楼で使われていた木材です。かつては村の多くの面積を修道院が占めていたでしょうし、今でも修道院教会は村人の生活に大きく関わっているようです。 

まるでティー・コジ―のような典型的な田舎家の白い漆喰壁に、蔓バラは文句無しに絵になります。やはりイギリスの家並みを眺めるのは、バラの季節が最高です。

茅葺屋根の家は、この村では多く見掛けました。川沿いだと氾濫原の湿地帯で茅が育つので、材料を調達し易いからかも知れません。 

この木組みの家は、外壁のレンガがヘリンボーン型に組まれていて目を引きます。 

いつも思う事ですが、もしこう言う村で、前庭を花いっぱいにせず不要家具等で山積みにしていると、村八分とまでは行かなくとも、やはり文句を言われるのだろうか??

正直歴史の重みは特に感じられませんでしたが、親切なおじいさんにも出会って、歩くのが心地良い村ではありました。本当に毎度ながら、単に民家を眺めて公道を歩いただけ。だからこそ景観そのものの魅力が重要ですし、日本と違って買い物や食べ歩きはまるで期待出来ないので、少しでも歴史や建築の基礎知識、または植物や野鳥の名前の一つでも憶えた方が、ここイギリスでは寄り散歩を楽しめるのです。




2026/06/24

三春産のブルーベリーのキャンディ「ベリーちゃん飴」

 

二年前の父の告別式の際、葬儀場の待合室に自由に食べて良い個別包装の飴玉がボウルに入って置かれていて、その中に三春町産のブルーベリーを利用したキャンディがありました。何気無しに食べてみて、…「なんじゃこりゃあ」と思う程のブルーベリーの濃さに驚きました。

余りの美味しさに名残り惜しく、今年帰省してみて何処で買えるんだろう?と思っていたら、モンベル三春店近くの「三春の里田園生活館」で売っていると弟が教えてくれました。 

「過足(よぎあし)ブルーベリーの丘」が生産しているブルーベリーを使用した、商品名を「ベリーちゃん飴」と言います。 「キャンディ」と謳わないところが、返ってイイ。

見た目は、本当に地味な普通の飴玉。色も、天然のブルーベリーまんまの為に青味は余りなく、どちらかと言えばドス黒く、ブルーベリーだと言われなければ気付かない程です。

しかし、味はブルーベリーそのもの。いや、生のベリーは正直それ程美味しい物ではないので、ブルーベリー・ジャムとかソースとか一番美味しい状態を飴で固めたような味です。ブルーベリーが小さな粒状になっているせいか、舌触りはザラッとして来ます。一般的な市販品のブルーベリー味って、人工香料が勝り過ぎたりしますが、これは素材の風味を損なわず、酸味と甘味のバランスも良好。

三春町や隣の田村市一帯は、かつては葉タバコの産地でした。しかし喫煙に寄る健康への被害の意識が広がるにつれ、喫煙人口の減少に伴い、当然葉タバコの需要もどんどん減って行き、葉タバコ農家は他の農作物に転換せざるを得ませんでした。その中の一つがブルーベリーで、酸性土壌や準高冷地の気候が生育に適していたようです。今ではブルーベリー狩りも出来るブルーベリー農園が、幾つか三春町内に在ります。




2026/06/23

ウェセックスの古都ドーチェスターの修道院

 

昨年の初夏に夫婦で自動車メーカーMorris モーリスの創業者の邸宅Nuffield Place ナフィールド・プレイスを見学した後は、更に西へ進み、前から訪れたかったテームズ河畔の村Dorchester ドーチェスターを目指す事にしました。何故ここを訪れたかったかと言うと、かつて大聖堂でもあった修道院(の付属教会)が在るからです。 

正式名称はThe Abbey Church of St Peter and St Paul 聖ペトロ聖パウロ大修道院教会ですが、一般的にはDorchester Abbey ドーチェスター・アビーと呼ばれています。 

そもそもここは、立地からして相当強力なパワースポットのはずです。テームズ河を挟んだWitternham Clumps ウィッテナム・クランプスの対岸にあり、古くから歴史的に重要でした。古代人はここに何か霊的な物を感じたらしく、新石器時代にはヘンジ(土塁と堀に囲まれた円)とサーサス(土塁に囲まれた通路)が建造され、恐らく宗教儀式に使用されたと考えられています。4世紀の古代ローマ時代にも、神殿が存在したと言われています。

そしてアングロ・サクソン時代の七世紀には、ローマ教皇ホノリウス1世から遣わされた修道士、聖ビリーヌスがウェセックス王キネギルスに洗礼を授け、ウェセックス王国の大部分をキリスト教化する事に成功した為、司教座を敷きウェセックス初の大聖堂を建てる土地として選ばれました。最初は木造の大聖堂だったようですが、その後何度かの司教座の移動もあり、九世紀には石造に建て替えられます。

12世紀にはアルル―修道会の大修道院となるものの、16世紀に例に寄って国王ヘンリー八世から強制的に解散させられます。現在は付属教会が村の教区教会として残っているだけですが、元修道院の教会は大抵見所が多いのです。

教会の脇の古めかしい建物は、現在博物館になっています。これもかつては、司祭館等の教会付属の建物だったと思われます。


南側の教会への通路は、赤い蔓バラの生垣に囲まれて良い雰囲気。

墓地の周囲は、花が良く手入れされています。 

教会の脇には、まるで童話の世界のような(墓地に接してはいるが)絵になる茅葺屋根の田舎家が。恐らく、Church Cottageとかの屋号が付いているんだろうな。

いよいよ中に入って見ます。長年増改築を重ね、今は身廊と南側にのみ側廊が在る造りになっています。

14世紀に付け加えられた南側廊には、私の大好物の中世の壁画が残っています。

 磔刑のキリスト像。この場所の中世のタイルが残る床には、作家のSarah Fletcherの墓碑があります。

他の部分にも中世の壁画が残っていて、これは幼子イエスを肩に乗せた聖クリストファロス像のようです。褪せて判読出来ない物も含めると、昔は壁中が壁画で覆われていたのかも知れないと想像させられます。

身廊の大部分は、最も古い13世紀以前の築。確かに、単なる村の教区教会として見ると立派な規模です。

この洗礼盤は12世紀の作で、鉛製(有毒じゃん)としてはイングランド国内最高傑作の一つだとか。

イギリスの教会に付き物のkneeler(お祈り膝クッション)は、ここのはシックな色合いに纏めてあります。 

南側の聖母礼拝堂には、この大聖堂の創立者の聖ビリーヌスを祀る祠が。

13世紀の騎士の貴重なエフィジーや、ブラス板が嵌め込まれた墓標も沢山残っています。

北側には、13世紀に増築された聖ビリーヌス礼拝堂。東側(最奥)の円型の小さなステンド・グラスは、ここで最も古い13世紀中頃の作だそうですが、余りに小さくてちゃんと観察していなかった💦

この教会で最も印象的だったのが、内陣聖域の祭壇を囲むのステンド・グラス。装飾的な石製の仕切り枠が、かなり細かい事にも注目です。

北側の14世紀作のステンド・グラスは、ダビデ王以降のイエス・キリストの家系図を示しているそうで、各仕切りに丁度1/6ドール位(例えがアレでごめん)の人物像が一人ずつ配置されています。

そして良く見ると、窓枠にはガラスの人物像と同じ位の大きさの彫像が付いています。こんな凝ったステンド・グラスは初めて見たので、ちょっと感動しました。


東側(祭壇背面)のステンド・グラスは更に繊細かつカラフルで、14世紀初期のガラスを19世紀の修復の際に再利用しているそうです。 

その上部のバラ窓は、修復を受け持ったWilliam Butterfieldに寄ってデザインされました。

かつて回廊が在った北側部分は今は展示室になっていて、残骸となっている修道院の建物の装飾を時代様式別に展示しています。 

敷地から発掘された12~13世紀の石棺も展示してあり、実際に修道院長らしき人物の遺体が発掘されたそうです。ここ半端なく暗くて、マジ怖いんじゃけど💦

期待通り、大変見所の多い大満足な修道院でした。 しかし念の為、日本に居る時はこんなに教会マニアでも歴史に熱心でもありません。そもそもクリスチャンですらないし、イギリスでは単に他に娯楽がないだけです…。