2024/01/31

コルチェスターの聖ヨハネ大修道院の門

 

昨年の7月初旬、布を買う為と遺跡を見学に、エセックス州のColchester コルチェスターを夫婦で訪れた日は、快晴で汗ばむ夏らしいお出掛け日和でした。しかし実はこれが夏らしい気候のほぼ最後の日で、この後の昨年のイギリスの78月は、悪天候続きで気温も低く全く夏らしくありませんでした。

鉄道駅の側のSt. Botolph Priory 聖ボトルフ小修道院跡を見学した後は、しばし町の中心部を歩きました。かつてのローマ時代の城壁跡に沿って伸びる、Eld Lane と言う古い建物の多い雰囲気の良い、自動車の乗り入れが規制されている小路です。

暑かったので、ジェラート屋でアイスも買いました。私がラズベリー、P太がクッキー&クリームだったかな。

初めてこの町を訪れた際は、チャリティショップの多さに驚き、恐らくイギリスで最もチャリティ屋の多い町ではと思いました。しかしチャリティ屋は、六年前と比べても激減し多くが姿を消し、今や普通の町と比べても少ない程でした。そして六年前に訪れた際は、愛猫ポコを失った心の傷を癒してくれた町でしたが、今は中心部でも空き店舗が目立ち、あちこちでアル中ヤク中の輩を見掛け、明らかにすさんで来ているのを感じました。

その後、もう一つお目当てにしていた遺跡、St. John’s Abbey Gate セイント・ジョン聖ヨハネ大修道院の門を目指しました。

場所はColchester Town駅の南側で、少し高台になっていて、豪華な町役場や改革派教会等の塔の先が見えます。

やって来ました。ここは、本当に門しか残っていません。しかし門と言っても単なる扉だけではなく、上階は門番の住居か見張り台になっていた建物な訳で、gatehouse=門楼と呼ぶ方が正解のようです。

この門楼の外壁は、フリント石のガラス質の断面で図案をモザイク的に装飾した、「flushwork」と呼ばれるイースト・アングリア地方の独特の技術で、建築物としても一見の価値があります。また、当時の修道院の裕福さを今に物語っているそうです。

門を潜った先には、かつては修道院の広大な敷地や建物が広がっていたはずですが、今は一般の住宅地やテニス・コートになっています。

門のアーチの天井は、典型的なゴシック様式です。

ヴォールトには、ゴシックらしくガーゴイルの彫刻。崩れていて、不気味さ倍増です。

左の扉の先は、上階へ登れる階段が続いている物と思われます。

鉄格子越しに覗ける、四つの塔の一つの内部。こんなに日光の乏しい場所なのに、逞しく植物が生えています。

セイント・ジョン大修道院は、11世紀末に創建されたベネディクト会の修道院で、門楼自体は15世紀初頭築と言われています。

門を潜ったほぼ正面で目に入る民家の塀に掲げられた、17世紀のニューカッスル公爵夫人マーガレット・キャベンディッシ生誕の地の記念碑。修道院の瓦礫を寄せ集めて装飾してあるようです。修道院解散後、この地には彼女の実家ルーカス家の邸宅が立っていました。彼女は作家、哲学者、科学者として活躍し、また実名で著書や作品を出版し、当時の女性としては非常に勇気ある行動だったそうです。

先に見た聖ボトルフ小修道院とは、500mと離れておらず、ヘンリー八世に寄る修道院解散法以前は、乱立と言って良い程修道院の多かった事が伺えます。実際この二つの修道院は、度々小競り合いを起こしていたようです。

門の側に立つ、素敵な民家。窓やドアがゴシック風ですが、元々修道院に関連する建物だったのか、それとも単に修道院跡地の雰囲気に合わせてデザインされたのか。

聖ボトルフ小修道院跡と、この聖ヨハネ大修道院の門、どちらも期待通り興味深い遺跡でした。しかしコルチェスターの荒廃ぶりに、この町へ来ることはもうないかもなーと、P太と二人で思いました。元々エセックスは柄が悪いと専ら知られていますが、こんなに歴史的には面白い魅力的な町なのに残念です。

 

 

 


2024/01/29

コルチェスターの聖ボトルフ小修道院跡

  

昨年の夏、ソウブリッジワースのアンティーク・モール街を訪れた翌週位に、エセックス州のColchester コルチェスターを夫婦で訪れました。この町の郊外の布地屋さんに行きたかったのと(お陰で好みの布地をイギリスとしては安く買えました)、今迄見逃していた幾つかの遺跡を訪れたいと思っていたからです。コルチェスターはローマ時代に起源を持ち、イギリス最古の都市と主張しています。今でもローマ時代の城壁の一部が残り、それ以降の時代の遺跡も、ノルマン時代の城を始め点在しています。

まず訪れたのは、St. Botolph’s Priory 聖ボトルフ小修道院跡。この場所は、現在のColchester Town駅のすぐ北で、かつてローマ時代の市外壁の在った場所の外側南東に当たります。

イギリスに古城や修道院の遺跡は数多くあれど、壁一枚だけとか礎石のみが僅かに残っている場合もあります。しかしここは、当時の建物の様子に思いをはせる事が出来る程、十分廃墟らしさ(?)が残って絵になる遺跡だと思いました。

例によって、16世紀の国王ヘンリー八世に寄る修道院解散法により、ここも修道院としての機能を失い、徐々に廃墟化して行きました。

修道院の名前の元となる聖ボトルフことBotolph of Thorney ボトルフ・オブ・ソーニーは、アングロ・サクソン時代の7世紀のイングランドの修道院長で、後に列聖されました。この名に因むキリスト教施設は、イングランド南東部と東部に特に多く残ります。

この聖ボトルフ小修道院は、ウィリアム一世に寄るイングランド征服の後の11世紀末に、サクソン時代に既に設けられた教会を元に、国内初のアウグスチノ派の修道院として創建されました。完成したのは1177年で、建設に80年近くを費やしたようです。

prioryabbey=「大修道院」に対して「小修道院」と訳されますが、在りし日の状態の復元図を見ると、規模はそれなりに大きかったように見えます。

確かに、元教会の西側の正面ファサードからして立派です。

正面ファサードのアーチを見れば、大抵その教会や大聖堂の規模が想像出来ます。

建築材料の煉瓦は、古代ローマの城壁を再利用しているそうです。

所々に、典型的なノルマン様式の装飾が残っています。

修道院が解散させられても、付属礼拝堂や教会(の機能)のみは教区教会として生き残っている事が多く、ここも遺跡のすぐ南隣にSt. Botolph’s Churchが立っています。

つまりイギリスでは貴重な、サクソン時代に起源を持つ教会です。現在の建物の大部分は19世紀に再建された物ですが、中々大きな教会建築です。内部も気になりましたが、扉が閉ざされて中に入れず。

また全体の写真を撮ろうにも、周囲に広い場所(逆光になっている東と北側の遺跡以外)が全くありませんでした。

遺跡と教会の合間の墓地は、市民革命後の遺跡が一層荒廃した後に設けられた17世紀以降の物。ここには、何人かの著名人が眠っています。

これは何かと言うと、地下墓所に通じる入り口だそうです。恐らくこの石板を引っ張り上げると、地下墓所に通じるようです。

遺跡としては大変興味深くロマンすら感じられるのに、敷地内ではホームレスやアル中・ヤク中が騒いでいて、決して治安の良い場所ではなかったのが残念です。



2024/01/28

地味に派手なカーディガン

 

昨年の帰国中、姉と一緒に吉祥寺へ出掛け、井之頭公園近くの古着屋さんで、このカーディガンを衝動買いしました。既に十分暑い季節で着る機会は当分なく、おまけにイギリスに持って帰る荷物は既に満杯近くになっていましたが、今だかつてないデザインと二千円と言う安さには逆らえませんでした。

形的にはゆったり大きくシンプルで地味で、なごみ系ですらあります。しかし、左右の袖と身頃の生地を変えてある所が派手です。一方の生地の柄は、アーツ&クラフツ風と言えば、そう見えない事もありません。

もう片方は、黄緑地に白い花が均等に散った爽やかな柄です。もしこの生地だけのカーディガンだとしたら、ナチュラル・ファッションなんかに合う雰囲気だった事でしょう。

端はロイヤル・ブルー色のバイヤス・テープでパイピングされている為、意外と纏まって見えます。留め具はなかったので、ボタンとループは自分で縫い付けました。裏地は、キルティング・シートの綿打ちが剥き出し。タグ等は見当たらず、独特な造りから、もしかして海外の手作り品だったのではと思っています。

そして裏面が、とんでもなく派手なのです。

柄も大きければ、色合いも極彩色。チベット密教の曼荼羅風、それとも中南米風とでも言いましょうか。色合い的には、1990年代に一世風靡したケン・ドーン(雑誌Hanakoの表紙とロゴを担当)を思い出させます。

左右で生地の違う袖と一緒だと、派手さ倍増!

日本なら着るのを憚られるような派手さかも知れませんが、イギリスではこれ位でも一向に目立たないと思います。そもそも派手ではあるけれど、馬鹿っぽくもはしたなくもない。着心地は良いし、無地の地味色カットソー・ワンピと合わせれば、意外とすんなり馴染み使い勝手は上々です。

 

 


2024/01/26

momoko DOLL「GIRL POP lime cat」

 

昨年の自分の誕生日は、日本の実家で迎えました。姉から誕生日プレゼントは何が欲しい?と聞かれていて、色々検討した結果、やっぱりドールが良いと答えました。それでリクエストしたのが、この2022年に発売された、ティーン・ボディのmomoko DOLLGIRL POP lime cat」です。

姉貴分で普通のモモコ・ボディの「GIRL POP black panther」と、共に発売されました。セキグチのティーン・ボディのモモコとしては、確か4体目になります。ダンスしか勝たんと言うlime catに対し、black pantherは歌がめっちゃ得意と言う設定です。セキグチではティーン・ボディのモモコは、今の所いつも姉または姉貴分と一緒に発売されています。

元は、こんなストリート系のファッションを着て発売されました。ライム・グリーン色のダボッと大きいトップに、黒のショート・パンツ。トップの下には、実は黒いブラ(と言うか丈短タンクトップ)も着けていましたが、黒はボディに色移りし易い為、直に触れないようラップでぐるぐる巻きにされて販売されました。黒の編タイツにネオン・ピンクのソックスを重ね履き(実際には一体化している)したような仕様で、それにゴツい黒いラバーソウル・ブーツを履いている組み合わせは気に入っています。

正直ダンスに夢中なタイプの女の子には特に見えないんですけど、踊るとしたらアイドル系ダンスなのかなー。少なくとも、ヒップ・ホップ系とかではなさそうです。

お人形の顔自体は、色白肌で繊細さと透明感を持ち合わせた爽やかな美少女です。

この子には、まずロマンティック・ガーリーな格好をさせたいと思い、白いフリルのブラウスにヨーク付きのスカートを合わせました。

スカートの色だけは、デザイン名のライム・グリーンに則りました。

スカートは、ウェスト・ラインにフィットしたヨークが、胸下ギリギリまで付いて胸元を強調する、俗にDT殺しの服(表現がげひーん)と呼ばれるタイプですが、胸が全くないモモコなので殺せにゃい… 。

ヨークはボディにぴったり沿うよう、パネル・ラインを元に型紙を起こし、一応試作を作ってから本番に入りました。それ程ラインに拘るデザインか?と、自分でも思える仕上がりですけど。

大きなレース襟のブラウスは、最初は普通のモモコ・ボディ用の型紙で作った為、袖が長過ぎて失敗し作り直し! 

すっかり腕の長さは同じ位…と思い込んでいましたが、肩幅も違うし、実はティーン・ボディ用の方が7mm位袖が短いのです。

ともあれ、トップとボトムを別々に作ると、普通ボディのモモコとも共有出来るアウトフィットが多い利点はあります。

この子のボブ・ヘアーには似合いそうだと思い、共布のベレー帽も作りました。 

アウトフィット自体は随分前に作っていたものだから、折角マカロン型バッグも揃えたのに、撮影の途中まで合わせるのを忘れていた💦

モモコのティーン・ボディ特有の右手のみ握り手仕様は、 何気に便利です。その方がポーズが自然に見えますし、手パーツを交換出来るタイプの可動式素体でも、使い易くて握り手ばかりを使用している人も居ると聞きます。

白いアンクル・ストラップ・エナメル靴はアゾン製で、実は猫耳が付いています。ライム「キャット」だから丁度良かろう。ストラップ靴の割に、結構脱げ易いのが難点。

髪型もボディも中性的だし、どちらかと言えばノーブルな顔立ちなので、王子様風美少年コスも着こなします。 

ブラウスのみはそのままに、ハーフ・パンツは元はリカちゃんの旧BFかける君用に作った物でした。

 今度は、このパンツと揃いで作ったセーラー服も着せてみようっと。

銀色の髪が反射し易くて白飛びを起こすのが玉に傷ですが、合わせる服を余り選ばず、つまり割とどんな服装も着こなし、思ったよりも扱い易いモデル人形で、やっぱりこの子を買って貰って良かった~と思いました。