2024/04/25

松下家の墓所

 

また墓の話題か。福島県の実家に近い三春は城下町で、街並みを見下ろす小高い丘に、かつては城が立っていました。「舞鶴城」と呼ばれるこの城は、16世紀の初頭に田村氏に寄って築かれ、その後三代続きました。

豊臣秀吉の奥羽仕置に寄る田村氏の改易の後、城主は伊達政宗、会津領として蒲生氏郷&秀行親子、同じく上杉景勝、加藤明利、松下長綱と短期間で目まぐるしく替わり、やっと秋田氏が三春藩主となってからは十一代続いて明治維新を迎えました。

この歴代三春城主の内、田村氏、松下氏、秋田氏の墓所は三春町内に在りますが、松下氏のみは未だ見た事がなかったので、ふと気になって見学&お参りに行ってみました。

菩提寺は、三春町新町の曹洞宗州伝寺。名前は、松下長綱の父重綱の法名に因みます。松下氏は三春城主(藩主)として二代続いたと聞いていましたが、実際には長綱の一代のみで、その治世も僅か16年でした。しかしその間、三春城の修築や城下町の整備に意欲的に取り組んだと聞きます。

長綱は縁戚の二本松藩加藤家の改易に連座して改易され、正室(山内一豊の孫)の実家土佐藩に身柄を預けられ余生を送ります。そんな遠方で亡くなったのにも関わらず、この三春の地に両親、土佐で早世した長男も含めて墓所があるのは、ここに思い入れが強かったからなのかも知れません。

武家の松下氏と聞いてピンと来る人が居るかも知れませんが、長綱の祖父・松下之綱は、木下藤吉郎、すなわち後の豊臣秀吉が織田家の家臣になる前に仕えた人物です、つまり之綱(ドラマで中井喜一が演じていたのを思い出す)は、秀吉の武将への道を開いた恩人でもあります。また長綱は、剣豪・柳生十兵衛の従兄弟に当たります。

全体的に山勝ちの三春では、寺院は必ず山の中腹に立ち、古い墓地はその周辺・背後の斜面に広がっています。

大抵は木々が鬱蒼と茂る昼尚暗い場所で、お盆の時期は藪蚊の攻撃が凄まじく(しかし殺生禁止!)、冬期は坂が滑り易くて墓参りが厄介です。

何処に松下氏の墓所にあるのかは分かりませんが、恐らく一番奥深い上部で古くて格式高そうな場所だろうと勝手に推測。案内板が出ていたので、結局すぐに分かりました。

右から長綱、父の重綱、息子の豊綱の墓となっています。

一つは自然石だし、然程大きくもなく一見地味な古い墓石ですが、蓮華台の立派さから流石は大名の墓なのが分かります。

右脇には、それを見守るかのように歴代住職の墓所があります。

また近くには、最後の三春藩主秋田家の支族・中津川秋田家の墓所もあります。現在この一族が何処に住まわれているのかは知りませんが、比較的新しい墓石もあり、現在も末裔に大事にされているようでした。

松下長綱の生母で重綱の正室、加藤嘉明の娘・星覚院の墓所は、三春町の別なお寺・光岩寺にあります。やはり、蓮華座の立派さが目を引く墓石です。星覚院は法名に因む呼び名で、本名は分かっていません。大名の正室だから江戸屋敷に住んでいたはずで、彼女が生前三春に来た事は一度もなかったと思われます。父親の加藤嘉明は、秀吉の子飼衆の一人で優れた武将でした。 

加藤家も松下家もその後旗本として存続しますが、もし豊臣家の権力が続いていたら、もうちょっと優遇され大名で居続けていたかも知れない、などと勝手に想いを巡らせます。

 

 


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