2024/12/31

2024年のタラちゃん

 

今年も、当ブログに訪れて下さり有難うございました。今年最後の徒然なるままのとりとめのない近況記事も、愛猫タラちゃんの写真で締め括りたいと思います。タラちゃんは、相変わらず元気で走り回りヘソ天し捲っています。見た目も性格も毛並みも啼き声も天使級我儘ボディと愛情はヘビー級。

しかし私が一時帰国中、そして花火の季節(ハロウィーン周辺)は、再び粗相をし出したので心配しました。イギリスの花火は、日本の線香花火のような儚げで風情のある手で持つタイプは皆無で、家庭用でもやたら音の大きい打ち上げ花火のみ。そして今日大晦日を中心に、再び花火の最も盛んな季節です。そのうるささや大量の煙に寄る大気汚染は度々社会問題となり、大手スーパーマーケットでは既に数年前から販売を自粛している程です。

実際多くの動物にとっては花火の騒音は凄まじい恐怖となり、毎年一定数の犬猫がストレスで命を落とすと聞きます。今年はエディンバラの動物園のレッサーパンダが、近所の花火が原因で亡くなったと報道されました。タラちゃんの場合、余程近い場所の花火でない限り怖がっているようには見えませんが、去年も丁度この時期に粗相問題を起こした事を考えると、やはりストレスになっているのかも知れません。


例え大手店舗で発禁にしても、怪しい店の怪しい商品の花火のみが益々出回る訳で、早く国の法律で全面禁止にして欲しい物だと切に願います。実際にヨーロッパの幾つかの国では既に禁止しているそうで、イギリスは自然や動物愛護・保護の世界で最も進んだ国のはずなのに、その点だけは遅れているのが不思議です。「花火を禁止にしたら、楽しみにしているうちの子供が可哀想だよ~」とか文句を言う親は多いでしょうが、てめえの子供の楽しみが一つ二つ減った所で死にやしないっっての。

昨年は自宅の屋根の工事がとんでもなく長引き、またいつ進むのかさえわからず、結局日本から帰って来ても、夫婦で泊まり掛けの旅行には一度も行く事が出来ませんでした。それは超絶甘えっ子&寂しがり屋のタラちゃんにとっては、返って嬉しい事だったと思います。

しかし今年は、日本から戻ると、昨年のフラストレーションもあり、割と頻繁に一泊or二泊の旅行に出掛けています。三泊以上は流石にタラちゃんを独りで留守番させてはおけず、猫シッターさんに御飯やトイレ掃除を依頼しなくてはなりませんが、全世界の旅行が滞ったコロナ渦以来廃業したシッターさんが多く、人手不足で空きを探すのが相当大変な上、人見知りでビビりのタラちゃんには返って恐怖心を与えてしまいます。

が、タラちゃんの方も、二泊までの留守なら慣れて来たようで、食事も排泄もちゃんとして、出来るだけ眠って過ごし寂しさを紛らわせる術を学んだようです。旅行から戻って来ると、今まではドアの内側でみゃーみゃー啼いて待っていたのに、今は呼んでも深く眠りこけて中々出て来ない事があります。

昨年の後半は始終屋根の修理に振り回されましたが、今年は少しでも冬を暖かく過ごそうと、窓(日本風に言うとサッシ)を交換する事にしました。今イギリスの一般家屋の窓は二重ガラスが当たり前で、我が家も越して来た時から幾つかを除いては二重ガラスになっていました。

骨董品クラスだった一重ガラスの窓は、転居後すぐに二重ガラスに交換しました。本当は寄り気密性の高い三重ガラスに交換したかったのですが、当時の三重ガラス用の窓枠には醜く太い灰色しか存在しなかった為、諦めるしかありませんでした。

その後我が家の二重ガラスの窓の方も、元から質が悪く古い(恐らく英国最古級)上に益々古くなり、隙間風は入る、結露は出来る、暴風雨の横殴りの雨では水漏れする、幾つかのハンドルや鍵は壊れていると言うボロさでした。

それで今回、すっかり選択の幅が増えた三重ガラス窓に交換しましたが、換えた直後から既に室内の明らかな温度差・暖かさを感じます。窓の状態は、冷暖房の光熱費に本当に大きく影響します。

しかし、9月に窓工事を申し込んで支払っていたのにも関わらず、結局施行されたのはクリスマス間際のつい最近! しかもやっと12月に入って工事会社から施行予定日は来年で良いかと言われ、下手するとこの冬にさえ間に合わなかった所、冗談じゃないと文句を言って無理矢理年内に終わらせて貰いました。


窓の工事に掛かるのはたった一日だけとは言え、その間は窓が取り外されられる訳で、外気温と変わらない室内になる為、普通は寒くない日の短くない季節にやるもんです。私達の工事の場合は、冬にしては然程寒くない日だったのがせめてもでした。

が、工事者の室内の出入りや全方向からの凄まじい騒音は、タラちゃんにとって多大なストレスとなり、パニックになって過呼吸まで起こしました。唯一工事をしないキッチンに一日中閉じ籠り、P太と始終交代で付き添わなくてはなりませんでした。

今年は、三ヵ月間の一時帰国中の父の死自分の病気の事もあり、私にとっては落ち着かない結構大変な年になりました。しかし楽しい事も沢山経験したので、総合的に見れば決して悪い年ではなかったと思います。が、年明け早々こんな不吉な事を言うのは嫌だから今言いますが(年の最後に言うのもナンだけど…)、来年が今年より良い年になると言う希望は、どうも持てる気がしません。

現状維持なら未だしも、今後世の中はどんどん悪い方向に厳しくなって行くように感じられてならないのです。しかも自分の努力や心掛けではどうにもならない、世界の均衡が崩壊して戦争・紛争が益々増えるとか、社会は一層非寛容になり、倫理や民主主義の本質が崩れて時代に逆行するとか、そう言うレベルです。

しかし個人でどうにも出来ない事は、自分一人で考えて勝手に不安がっても意味がないので、日常の平凡な平和や目先の幸福の有難さを噛みしめて生きたいと思います。ブログは楽しく元気に続けます! 新年の御挨拶は今回は控えさせて頂きますが、皆様はどうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

 


2024/12/30

本日のポーランドの切り売りケーキ

 

イギリス人は、クリスマス・ケーキとして伝統的にクリスマス・プディングやミンス・ミート・パイを食べます。今はフランスのブッシュ・ド・ノエル、イタリアのパネトーネ、ドイツのシュトレン等も簡単に買えますが、クリスマス当日の正餐の食後のデザートと言えば、やはりXmasプディングやミンス・ミート・パイが欠かせないようです。が、これらは甘過ぎ&クド過ぎて全く私の口に合わず、P太の家族とのクリスマスでも、私(とドライフルーツが嫌いな姪っ子)だけは毎回食べるのを拒否しています。しかし今年は、義妹がわざわざ目先を変えてチョコレート味のクリスマス・プディングを買って来てくれ、私の分も切り分けてくれたので、一番小さな一切れを選んで食べてみました。……やっぱり無言になる程不味かった。チョコレート味は一体何処へ?と思う位ドライフルーツが多過ぎてクドく(:普段はドライフルーツは好きです)、一年で一番目出度いはずのイベントに何故こんな不味い物をわざわざ食べなくてはならないのかと思うと悲しくなり、イギリス人とはやはり幸せを共有出来ないと考えると益々悲しくなりました。他の皆は、ちょっと変わっていて美味しいと喜んで食べていました。

日にち変わって26日のボクシング・デイに、P太と散歩がてらに街へ行きましたが、「ポーランド食料品店に寄ってケーキでも買おうか?」と言われた時には、是非!と即答しました。ポーランド・ケーキの値段も高騰し、もうお得感がなくなっちゃったなあと前回は思っていましたが、不味い食べ物の悲しい思い出は、美味しい物で上書きするしかありません。今回買ったのは、この↑二種類。


一つは、ナッツのケーキ。上からクッキー生地のそぼろ、メレンゲ、クリーム、ナッツざくざくのスポンジの層となっていて、一つで様々な味や食感が楽しめます。

もう一つは、ポーランドお得意のフレッシュ・チーズのケーキ。ポーランドのチーズケーキにはハズレがなく、このお店でもいつも多くの種類が売られていますが、これはサワー・チェリーのチーズケーキです。ポーランドはチーズ・ケーキ発祥の国とも言われ、その内日本で「ポーチー」とか呼ばれてブームが来るかも知れません()。甘さ、酸味、クリーミー感や爽やかさ、しっとり具合のバランスが良く、やはり今でもイギリスのケーキでは到底敵わない美味しさ&繊細さだと思いました。ポーランド・ケーキの値段が上がったとは言え、夏にNTのカフェで食べたイギリスのケーキは、一皿一切れ分でこのポーランド・ケーキ1パック分(二人分×二回分)の価格でした。しかも、スポンジがパサパサで、思い出しても腹の立つ頗る悲しい不味さでした…。





2024/12/29

健康が一番(※長文注意)

ずばり、今年の一時帰国はキツかった。癌で余命幾許もないと宣告されていた父が、とうとう帰国中に亡くなったのが最大の原因では決してない。海外に住む身で奇跡的に父を見送る事が出来、葬式にも一応参加出来たので、返って安堵している。しかしその前の、父を入院させる&させた後の騒動の方が正直辛かった。何より、自分の健康状態が日本到着直後からずーっと悪かったのには、体力だけでなく精神的にも相当擦り減った。

そもそも、帰国する前から色々と体調が悪かった。夫が家に残るとは言え、三ヵ月も自宅を離れるとなると、その間の準備は十分出来るか忘れ物はないか等、焦るし不安で堪らない。最早渡航にワクチン証明等の面倒な手続きは必要ないとは分かっていても、昨年の帰国の大変さ&体調不良がトラウマになって身に染みていた。また、帰国前に何か不具合が起きたり体調を崩して帰国出来なくなるのではと考えると、ストレスで益々具合が悪くなり、要は異様にナーバスになりビビっていた。

現在イギリスの光熱費は凄まじく高い為、節約の為に自宅の暖房を真っ当に付けて貰えず、冬中どんなに着込んでも寒かったせいもあり、ずっと気分が優れなかった。夫婦でも体感温度の差はあり、しかも歳をとるに付け益々寒がりになって来ている、と言う事をケチな夫は考えるつもりすらなかった。更に夫は「寒さでは人間は風邪は引かない。ウィルスで風邪を引くのだ」といつも言い張るのだが、身体が冷えると免疫力も低下してウィルスに負け易くなるんだっつーの()。その上、週に一度訪れる義母の家が、主要暖房を数年間修理しておらず使用出来ない為、ショボい電気ヒーターを付けても毛布に包まっていてさえ、まるで呪われいるかのようにとんでもなく底冷えがして寒かった。終いには義母の家訪問後に本当に二回程風邪を引き掛けたので、主要暖房の修理が完了するまで行くのを拒否した。そして、事もあろうに帰国の一週間前に、凄いバカな不注意で風邪を引いた夫から風邪を移された。幸運にも重症にはならず、何とか長時間のフライトにも耐えられる体調には回復した。

ところが、東京に到着するや否や、熱っぽく具合が悪いのを感じた。風邪がぶり返したのかと思い、すぐに薬を飲んだ。空港から無事姉の家に到着し、普通に御飯を食べて就寝したが、朝起きると明らかな身体の異変を感じた。直ちに熱を測ると、38度以上ある。私は大人になってからは風邪を引いても熱が出る事はほとんどなく、38度以上の発熱は20年ぶり位かも知れない。解熱剤を飲むと熱は下がり、日中は普通に生活出来たが、毎晩寝る時に熱が出る。発汗もまるで水を浴びたように凄まじく、寝間着とシーツを毎日取り換えなければならない程だった。また疲労感と動悸も激しく、自分の心臓の音で眠れない事も。自覚はなかったが、抜け毛の量も半端なかったらしい。

その状態が一週間続いていも回復の傾向が全くない為、いよいよ只の風邪ではないと確信したので、医者へ行くべきと判断した。何せ最早日本の国民健康保険を持っていないのだから、私が日本で医療を受けるハードルは高い。以前お世話になった近くの親切な内科医院は生憎廃業してしまい、他に評判の良い地元内科は姉夫婦も知らなかった。今姉の家から一番近いのは、新しく出来たばかりの医院。まず其処をネットで調べて医院に電話をし、自分の病状や状況を説明した。更に医院に到着して受け付けで同じ説明をし、別室でコロナの検査を受けさせられた。未だ医療機関のコロナの規制は厳しく、特に海外から帰国したばかりとあっては、小さな町医者はまるで黒船が来たような狼狽えぶりだった。そしてやっと医者に診て貰い、再び同じ説明をした。…何で、今まで長々と説明して来た事を全然聞かされていないの?? 軽く内診を受けただけで、結局普通の風邪薬を処方された。全額自己負担の為、初診代、コロナ検査と薬代も含めて一万五千円位掛かった。電話ではカード支払い可と言われたが、実際には現金のみだった。そして危惧した通り薬は全く効かず、…姉達の中で今後その医院に行く選択は消えた。

それから更に一週間発熱が続いた為、姉のお勧めの大きな病院へ行く決心をした。其処は、姉の家から徒歩で20分以上掛かる。普段なら十分歩ける距離だが、病んだ身にとっては辛い。しかも、予め病院に電話で予約をした当日は酷い暴風雨だった為、タクシーで行く事にした。しかし、そんな日はタクシーの利用者が殊更多く、特に今武蔵野地区は運転手が致命的に不足していて、全てのタクシー会社に無下に断られた。その間にも病院の予約時間はどんどん迫って来ていて、そんな暴風雨の中を病身の体で小走りで向かわなければならなかった。

病院では内科に通され、直ぐに血液&尿検査を受ける事になった。その結果、白血球数と何処かに炎症が起きている事を示すCRP定量が確実に高いと出た。次の週の検診の予約をしてから姉の家に戻ったが、1時間後位に医師から電話が掛かって来て、病院滞在中には未だ結果の出ていなかった甲状腺値が、測定不可能な程高い事が判明した。甲状腺機能が高過ぎ…? すぐさまググってみると、どうやら甲状腺炎と言う、今まで自分の聞いた事のなかった病気らしい。翌日病院に呼び出されて再び訪れる事になり、耳鼻咽喉科に移され、喉のエコー検査を受けた。結果、思った通り病名は「亜急性甲状腺炎」と診断された。

亜急性甲状腺炎は、甲状腺が炎症し一時的に機能が亢進する(バセドウ病と同じ)病気だ。3050歳代の女性に多いらしい。ウィルスで発症すると言われているが、どのウィルスかは今だ解明されていない。只、度々風邪の直後に発症すると言う。凄く心当たりがある。そんな今だ良く分かっていない病気なのに、治療法だけははっきりしていて、ステロイド剤で劇的に回復する。症状がほとんど出ない場合もあり、放って置いても23カ月で自然完治するらしいが、2カ月以上も38度の発熱が出続けていては堪らない。そもそもこんな体調では、最重要目的である福島県の両親に会いに行く事が出来ない。迷わず、ステロイドを服用する事にした。

が、ステロイドは劇薬に近い非常に強い薬だ。自己判断で服用量を増減したり途中で止めるのは勿論厳禁だし、また服用中と後しばらくは免疫力が落ちる為、ウィルス等に感染し易くなるリスクがある。弟は数年前にステロイド治療を受けて以来、高血圧が治らなくなったらしい。私の場合は、最初に処方されたステロイドでは十分利かなかった為、一週間後に量を増やされた。完全に発熱しなくなるまで約2週間掛かり、福島県の実家に帰省するのが予定より一週間以上遅れた。

実家に帰るに当たり、引き続き治療と検査は続けなくてはならないので、病院で紹介状を書いて貰う必要があった。これがまた、スムーズには行かなかった。田舎で交通が不便なので、徒歩で通える病院がベストだが、ネットで調べると、昨年母が緊急入院した病院のHPに甲状腺治療可能と書いてあった為、其処宛に紹介状を書いて貰った。それ自体は問題なかった。ところが実際その病院に行って見ると、これまた黒船が来たような動揺ぶりで、実は甲状腺専門の医師は一か月に一度しか来ない為、別な大きな病院へ行ってくれと言われた。仕方なく、市の中心駅から一番近い病院にまず電話を入れて状況を説明すると、遠方からの一時的な患者(つまり地元民ではない人間)は受け入れられないとにべもなく断られた。次に、駅から15分位歩く病院に電話を入れてみて、やっと受け入れて貰える事になった。其処は甲状腺外科があり、外国人らしき患者も何人か見掛け、治療と検査もつつがなく進んだ。

しかし、この自分を受けれてくれる病院を探すのに苦労しているのとほぼ同時に、未だ自宅で生活していた父の病状が悪化し、父の掛かり付けの市内の別の病院に連れて行かねばならない騒ぎになった。其処で父の検査を待っている間、待合室に置かれている血圧測定器で、ふと自分の血圧を測ってみると、驚愕の結果が出た。下が90,上が200! 普段の自分の血圧は標準よりちょい高め位だったが、200なんて血圧、高血圧症の年寄りでも聞いた事がない。しかしそんなに高い血圧でも、自覚症状もなく普通に生きているのが意外だった。それで自分の次の診察からは、血圧を下げる薬も処方して貰うようになったが、血圧は中々下がらなかった。

そんな中、眼科にも行かなければならない状況になった。元々昨年の夏から、右目の飛蚊症が一気に増え、光視症(眼の端に閃光が走って見える)も出るようになっていた。網膜剥離の可能性もある為に至急病院の眼科へ行ったが(NHS=イギリスの国民健康保険サービスでも流石にこれは直ぐ診て貰えた)、幸運にも網膜剥離にはなっていなかった。ところが日本に滞在中、左目にも光視症が出始めた。実家近くの眼科で診て貰うと、右目は網膜裂肛になっているが、どちらも網膜剥離に発展する可能性は低いと言う。そんな片田舎の小さな眼科医院でも、最新設備がバッチリなのは日本ならではだ。今でも私の両眼には、沢山の浮遊霊浮遊物が見え、邪魔臭い事この上なし。因みに弟の片目は既に網膜剥離と診断されていて、治療法がないと言われて放っておかれているらしい。それでも失明しないのが不思議だが、夜間に車を運転中に光視症が見えて、対向車等が迫って来たと勘違いし易いので焦るそうだ。

そんな訳で、入院中の父への面会も含め、本当に今回の帰国は通院三昧になった。東京の姉の家に戻る際、再び元の病院への紹介状を書いて貰った。耳鼻咽喉科から内科へ移され、血液検査と高血圧の治療を続けた。甲状腺炎は甲状腺機能を亢進させるが、回復する途中で一時的に機能低下になる。しかし中には、その後機能低下(橋本病)になったまま一生戻らない人も居るらしい。橋本病になって生涯薬を飲み続けなくてはならなくなるのも非常に厄介なので(好物の昆布が食べられなくなるのも悲しい…)、ちゃんと正常に戻るかどうか緊張した。

その内、体中に謎の湿疹が出始めて焦った。独身時代は魚介類や薬に当たって度々蕁麻疹が出たものの、イギリスに住み始めてからは、マイコプラズマ肺炎に罹った時以外は出ていない。何か食べ物に当たった、または服で被れた、若しくは処方薬が合わないのかとも疑い、兎に角今はしばらく様子を見るようにと医師から言われたが、一週間後に何とか自然に収まった。結局、あれは何が原因だったのだろう。もしかしたら、すっかり日本の夏の暑さに馴染めなくなった体が、汗疹を起こしたのかも知れないと思っている。

その後甲状腺値は無事正常に戻ったものの、薬を飲み続けても血圧は十分下がらなかった。その為、他に何か病気が潜んでいないかと、更に心電図測定等が加えられ一層詳しい検査が続けられた。特に腎機能の異常を疑われたが、結果は何処にも問題無しだった。結局イギリスへ発つ直前に父が危篤になる間際まで通院し、今回の帰国中始終体調の悪かった私を、心配して面倒を見てくれた姉夫婦には感謝が尽きない。 

イギリスの自宅に帰って程なくすると、血圧は正常値近くに戻った。今回の帰国中の医療費は、全額自己負担で薬代も含め合計で10万円程度掛かった。東京の病院でも福島の病院でも隅々まで詳しく検査して貰ったのだから、その割には安い程だと思う。どちらの病院も、設備が整い機能的で親切な良い病院だった。もしイギリスのNHSだとしたら、まずこれ程迅速&的確に診て貰えないし、全ての検査が終了するのには一年掛かっても無理だろう。そもそも検査結果の用紙の一枚すら貰えず、いつも口頭で伝えるだけ。その上こちらからわざわざ電話を掛けて(繋がるのにいつも20分以上掛かる)結果を尋ねなくてはならないし、時折受け付けがテキトウに間違った結果を伝える。東京の病院の担当医の話では、とある英国在住の日本人患者は、イギリスの医療が余りに役立たずな為、日本に一時帰国する度に数か月分の薬を処方して貰ってからイギリスに戻るらしい。

今回の私の日本での医療費は、加入していた海外旅行保険が全て払ってくれた。ただし高血圧の病歴が付いたので、次回からの旅行保険料の爆上がりするのが怖い。タバコは吸わないし、酒もほとんど飲まない若い頃から酷く不摂生だった事はなく、夜更かしはせずバランスの良い食生活と毎日の運動は心掛けている。それでも歳を取ると、健康で居られるのがこんなに難しいのかと痛感する。今後老いながらどんどん健康を失って行く一方なのに、どうやって生きるモチベーションを持てと言うのだろう。健康第一、ストレス大敵だとは頭では理解していても、これ以上健康の為に努めなければならないのなら、返ってストレスで病気になりそうだ。

 

こんな長ったらしい文章を、最後まで読んで下さり有難うございました! 写真は、夏に撮影したものの出番が今までなかった、今年の我が家の庭のバラ達です。




 

2024/12/28

ロボキャットTシャツ!

 

日本の義兄へのクリスマス・プレゼントは、今年もバカTシャツです。プリントの大きなTシャツが余り流行りじゃないらしく、面白い柄のTシャツは見付けるのが中々難しくなって来ているものの、すっかりイギリスではヲタク屋になったHMVは、いつもパンチのある品揃えを持っています。半分は、日本のアニメ柄なのですが…。其処で今回P太が選んで買ったのは、「ROBOCAT ロボキャット」のTシャツ。

一見ロック・テイストの緻密でシリアスなイラストですが、映画「ロボコップ」の猫版パロディです。下部に「PURRTECT THE INNOCENT. UPHOLD THE PAW」の文字が入っています。PURRTECT は「purr =猫がゴロゴロ喉を鳴らす」と「protect」を掛けた英語の典型的なオヤジ・ギャグで、UPHOLD THE PAWはケーサツの定番の「手を上げろ」の代わりに「肉球を上げろ」と言う意味。

猫の手でどーやって拳銃持つんだと疑問に思いますが、…ロボットだから何でも有りなのか。Tシャツの質自体は、正直値段の割には普通ですけど、プリントの精度は悪くありません。

同じタッチのイラストで、他にも映画の猫版パロディTシャツのこんなシリーズがあります。「HORROR CATS ホラー・キャッツ」とおどろおどろしく言っている割に、絵がドギツイってだけで、全部がホラー映画を題材にしている訳ではない所が微妙にマヌケです。