2024/08/13

父の旅立ち 1(※長文注意)

今年の三月から六月の間に一時帰国した最大の目的は、肺癌で余命幾ばくも無いと宣告されていた父に会えるのが、私にとってこれで最後の機会になるだろうと覚悟していたからだ。昨年もそう考えて帰国したのだが、未だ父は元気なままだったので今年も再び帰国した。だが、今年は本当に最期になった。父は、私が英国に戻る6日前に亡くなった。告別式は英国行きの便の一日前で(それでもゴリ押しで最短の日程に組んで貰った)、火葬の途中で慌ただしく東京に戻らねばならなかった。巨大なスーツケースの荷詰めも全く済んでいなかった為、パニックになりつつ東京の姉の家で夜遅くまで掛かり荷造りした。

三月に私が日本に到着した時、父は未だ癌の自覚症状もなく普通に家で生活していた。通院するのは、特別な検査を除いては一ヵ月に一回程度だった。ところが帰国直後に私自身が不覚にも発病してしまい、体力も中々戻らなかった為、福島県の両親の家に帰省する日程はどんどん遅れた。父は度々私の滞在先の姉の家に電話を掛けて来て、私の様子を伺った。恐らくの手入れを手伝うと言う約束を、期待して心待ちにしていたのだろう。昨年の帰省の際に実家の片付けはかなり進んだから、今年こそは庭仕事をもっとすると父に約束していたのだ。近くに住む弟は、ほぼ毎日顔を出して両親の面倒を見ているし、姉も帰省する度に両親の家の掃除・洗濯に精を出す。しかし、園芸に関心があり庭いじりが出来るのは、三人の子供達の中で私だけだったから。

しかし四月中旬にいざ福島に帰省してみると、昨年死に掛けた母は返って元気に見えた程だったが、父は目に見えて衰弱していた。父の頭ははっきりしているものの、口が真っ当に動かず呂律が回らない為、何を言っているのか聞き取るのが非常に難しい。ついこの前まで父が電話でしゃべっていた時は、それ程酷くはなかったはずだ。体を動かす事さえ相当難儀になって、一日の大半を居間のテーブルにうつ伏せて寝ている。両脚は何故か無残に腫れ上がり、痛んで歩けない。それまで毎日入っていた風呂には、最近は23日に一度位しか入っていないと言う。食欲も更に落ち、僅かな食事も食べ切れない処か、好物のチョコレートさえも満足に食べられない。しかも私が帰省してから、たった45日の間に一層悪化して行った。

…いや、これどう考えても、最早家では生活出来ない、絶対入院が必要な状態だろう。と思う程父は苦しんでいたのだが、不思議な事に母も弟も、そもそも父本人が、直ちに病院に行くと言う考えには至らなかった。父に問い質すと、丁度一か月も前から苦しくなり始めた、とはっきり憶えていた。次の通院の予定は四日後に迫っていたが、それすら待てない具合の悪さだと思った。姉にも相談し、翌日父を病院に連れて行く事にした。そのまま入院する事を想定し、パジャマや下着類、洗面道具、スリッパ等をバッグに詰め込み用意した。

それでも父は意思だけははっきりしているので、体と会話が思うように行かない事に益々苛立ち、忍耐の無さと我儘と癇癪が一層凄まじくなっていた。自分一人で着替える事さえままならない為、「寒い、早くしろ」と怒鳴り散らした。夜中に叩き起こされて奴隷のようにこき使われる事もあり、このままでは母まで壊れてしまうし、まず一緒に居る事さえ無理だと痛感した。

現に病院へ行く前日も、血圧測定器が見付からないと癇癪を起し、それを何故か私のせいにして、「それじゃあ俺は明日病院になんか行かないからなッ」と意味不明な脅迫で怒鳴り付けた。負けじと私も(未だそんな怒鳴れる元気はあるんだあと内心感心していたが)「じゃあ勝手にこのまま家で苦しみ続けなさい!」と怒鳴り返したら、父は人から激怒される事には免疫がてんで無く、「お前は昔はそんな意地悪じゃなかった…」としょぼくれていた。後でこの事を弟に話すと、「昔よりは随分優しくなったのねえ」とププッと笑っていた。

当日の朝一番に、タクシーで父の掛かり付けの市内の大きな病院に向かった。身体の不自由な年寄りを二人も病院に連れて行くのは私にとっては荷が重過ぎるので、母には家で待機して欲しいと頼んだが、「お母さん、誰にも迷惑掛けないもん(大嘘)」と泣かれた為、やむを得ず母も連れて行く事にした。予約は無いからかなり待たされ、まず医師から診察を受け、採血、採尿、心電図、レントゲン、MRI等の全ての検査を終了して結果を待ち、再度診断を受けるまで結局丸一日掛かった。しかし病院で車椅子を借りたお陰で、歩く事すら難しい父でも広い院内を運び回す事が出来た。その間ずっと母には待合席で荷物と共に待機して貰ったが、案の定父の事が気になって堪らず、すぐに荷物を放ったらかしで出歩くのにはハラハラさせられた。

診断の結果、肺に水が溜まり、心臓も腎臓もかなり衰弱しているとの事だった。脚の浮腫みは、循環機能が良く働いていないせいだった。癌が進行したと言うよりは、高齢の為の衰えと、父自身が薬の飲み方を間違えていたのが原因だった。血中酸素のみは未だ正常値だった為、即入院かどうかは本人の意思に任せると言われたが、遅かれ早かれ入院治療は必須で、異変に気付くや否や、もっと早く病院に来るべきだったと医師から言われた。

その日の医師は父の長年馴染みの医師ではなかった為、三日後に担当医の診断・意見を聞いてからにしたいと、父は即座に入院するのを渋った。しかし、最早体が動かなくてタクシーに乗る事すら非常に難しく、これ以上家で父の我儘と癇癪に振り回されるのは真っ平なので、何が何でも即入院させる事にした。「お父さん、このまま家に帰っても苦しさは変わらない処か、元々予約していた日(担当医の来る)までにはもっと苦しくなるよ!」と怖い顔で説得し、母も同意して、ほぼ無理矢理その日の内に入院させた。手続きが完了する頃には、日が暮れ掛けていた。昼食抜きで一日中立ち回り、帰宅する時には酷い頭痛がした。

 

 


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