2025/10/21

ロスチャイルド家の至宝! ワデスドン・マナー 2

 

昨年の夏の終わりに夫婦で訪れたバッキンガムシャーのロスチャイルド家の超豪華屋敷Waddesdon Manor ワデスドン・マナーで、指定された時間が来たので館内に入ります。

想像はしていましたが、内部も笑っちゃう程豪華‼ 呆れ返る程の金持ち‼

選りすぐりの骨董美術品が所せましと並べられ、その総価値は世界の名だたる国立博物館に引けを取らないとさえ言われています。

この直前に訪れたBasildon Park バジルドン・パークとは、同じNTの元貴族の豪邸とは言え、明らかにケタ違いだとは実感しました。しかし、成金趣味っぽい品の悪さは決して無く、審美眼は確かだったようです。一部屋一部屋が、まるで宝石みたい。

そして、建物、調度や収集品だけが超豪華だった訳ではなく、1889年のヴィクトリア時代に照明等は 既に電化されていて、設備的にも最先端で贅沢でした。レストランの脇には当時の電力設備の建物が残っていて、P太の科学心をすこぶる擽っていました。

これぞ上流階級と言うのを見せ付ける晩餐室では、鳥をテーマにテーブル・セッティングされていました。ここの敷地内に、Aviaryと呼ばれる南国の珍しい鳥を集めた鳥専門の動物園が在るからのようです。

この時代の特権階級は、大抵自宅専用の特注食器を使っていました。ヴィーンのロスチャイルド家は、ヘレンドにオリジナル・デザインの食器を作成させていましたが、この館の食器はフランスのセーヴル焼きだそうです。

19世紀後半にこの館を建てたファーディナンド・ド・ロスチャイルド(フェルディナント・フォン・ロートシルト)は、この総面積2500エーカーの敷地を、マールバラ公爵から買い上げました。当時農業恐慌に寄り、多くのイギリス貴族達が財政難に陥り、不動産や家宝を手放さなくてはならず、骨董美術品を買い集める側にとっては絶好の機会だったと言われています。

また、外観はフランスの16世紀築のシャンポール城を模して、内装は18世紀のロココ風なだけに、この館にはフランスに因む内装や美術品も多く見られます。

壁のほとんどは、パリの取り壊された格式ある屋敷からの移築だそうです。

マリー・アントワネットの書斎机を始め、ブルボン王家の元所持品も多くあります。それは上の写真↑の机ではなく、実物は案外こじんまりした物で、生憎暗過ぎて写真に良く写りませんでした。

この象を模ったオートマタは、かつてペルシャ王が感激した物で、この館の膨大なお宝の中でも特に必見と言われています。ここも半端なく暗い為、前出のマリー・アントワネットの机と共に、Youtubeで見た方が隅々までじっくりと仕掛けまで観察出来ます。象の鼻と尻尾がリアルに動き、音と宝飾の煌めきが夢可愛い逸品です。

現在公開されている部屋は約40室で、美術品や内装を保護する為に外気に触れる時間を制限し、公開時間は一日4~5時間と徹底されています。そのせいか、この日は結構暑い上に来館者は多かったし(例に寄って必死に避けて撮影していますが)、室内では空気が淀んで息苦しさを感じる程でした。 

日本では余り馴染みはありませんが、ヨーロッパではロスチャイルドの名を聞いた事はない人は居ない程、近代史に深く関わって知られています。しかし私同様に大抵の人は漠然としか知らず、ハンガリーの友達にこのワデスドンの話しをしたら、「イギリスにもロスチャイルド家って居るの?」と聞かれました。確かに、ロスチャイルド(ロートシルト)家はヴィーンにも住んでいて、ハプスブルク皇后エリザベートと昵懇だったと記憶しています。

そこで、現在も世界有数の富豪であるロスチャイルド家の歴史をザッとおさらいしてみました。16世紀から続くロスチャイルド一族の繁栄は、それまで自由都市フランクフルトのゲットーに住む貧しいユダヤ人一家だったのにも関わらず、18世紀後半に神聖ローマ帝国領ヘッセン=カッセル方伯領の宮廷御用商人となったマイアー・アムシェル・ロートシルトが、金融に才能を発揮し高利銀行業を確立し、18世紀末の混乱期の欧州各国に「どちらが勝っても負けても儲かりさえすれば良い」と言うスタンスで軍資金を貸し出し、莫大な富を得た事から始まります。 

彼は5人の息子達に、それぞれフランクフルト、ロンドン、パリ、ヴィーン、ナポリに分かれて金融業を拡大させ、19世紀には更に世界最大の私有財産を持つ一族に成長しました。それ故、後に男爵位を叙されたロスチャイルド家の紋章は、長州毛利家の三本の矢ならぬ五本の矢にデザインされています。

この5つの都市に分かれたロスチャイルド家は、資産の分散を防ぐ為にも頻繁に一族内で婚姻関係を結び、絆を弱める事はありませんでした。

しかし、19世紀には栄華を極めたロスチャイルド家も、20世紀には財産がとうとう分散され、また世界大戦のナチスからの弾圧も大きく影響したようで衰退して行きました。今はロンドン家とパリ家のみが残り、また現在のイスラエルにも大きく貢献しているようです。

後にこの館を建てたファーディナンドは、元々はヴィーンのロスチャイルド家の出身でしたが、ロンドン家の”はとこ”エヴェリーナと出会い恋に落ち、彼女との結婚を目指してイギリスに移り住みました。

ところが、大恋愛の末に意を決して移住したのにも関わらず、結婚後二年も経たない内に、愛妻は難産で赤子と共に亡くなります。その後もファーディナンドはイギリスに住み続け、再婚せず一生独身を貫き、骨董美術品収集に没頭して喪失感と孤独を紛らわせたそうです。この巨大な城は、その膨大なコレクションの展示と社交の為に建てられました。つまり使用人を除けば、ここの住人は彼(と実妹のアリス)だけでした。

 

マナーとは呼ばれていますが荘園館ではなく(ただし伯爵領時代には実際に荘園館が存在したのかも)、あくまでカントリー・ハウスと言う、基本的に週末のみを過ごす田舎の別荘でした。

本当に私設博物館として建てられた訳で、この見事なコレクションを披露する為に、ヴィクトリア女王を始めとするイギリスの王侯貴族から、チャーチルを含む著名な政治家、文化人、はたまたペルシャ王まで、錚々たる顔ぶれをこの館を招待し、贅を尽くした遊宴が繰り返されたそうです。特にヴィクトリア女王は、最愛の夫アルバート公を失くして以来すっかり塞ぎ込んだ生活を送っていましたが、この館の評判を聞き付けてからは、珍しく興味を持ち自ら訪問したいと熱望する程だったとか。

しかし実はファーディナンド本人は生来病弱で、ここの招待客に振舞われる、女王も感嘆した程の最上質の美食には縁が無く、また自家ブドウ園で採れる極上のワインも一切飲まず、薬漬けの毎日だったと言うから皮肉です。

ファーディナンドが59歳で突然ひっそりと自宅で亡くなった後、未婚の妹アリスがワデスドンを引き継ぎましたが、当然彼女にも子がなく、その死後はパリ家の大甥のジェームスが相続しました。しかし彼にも子がなく、当時ロスチャイルド家では館の多くが次々と相続人不在で取り壊されていた為、このままではファーディナンドの夢の館も消滅すると危惧し、半分をNTに託す事に遺言したそうです。そのお陰で今は我々一般人にも公開され、ロスチャイルド家の財力を実感出来る貴重な場所となっています。

これだけ巨大な屋敷でも美術収集品が所狭しと並べられているのに、実はコクレクションは更に膨大だったらしく、飾り切れない分は、NTに託された後に大英博物館に移送され展示されているそうです。

念の為、ファーディナンド・ド・ロスチャイルドは自分の趣味の為にだけに莫大な財産を費やしたのではなく、南ロンドンに 亡き妻の名を取った病院を建てたり、欧米のセレブらしく慈善活動や社会貢献も怠りませんでした。其処は今も、NHS(国民健康保険)の子供専門の病院として機能しています。

館全体に夥しい数の絵画が展示されていて、ゲインズボロー等のイギリスを代表する風景画、ルーベンスを始めとするオランダ黄金時代の絵画、イタリアン・ルネッサンス期の作品に、特に力を入れて収集したそうです。この午前中に新聞を読んだり過ごす為の「朝の間」には、特に絵画が集まっています。

実在(物語等の創作ではない)の人物画も多く見られますが、普通はお屋敷では主一家の御先祖の肖像画が多く飾られていたりするのに、ここでは家族の絵画や写真はほとんど見当たりません。美術作品として集められただけの、場所にも一族にも全く関係ない絵画ばかりなのが、歴史好きにとっては物足りなさと物悲しさを感じさせます。 




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