丁度今頃のイギリスでブルーベルが咲く季節、同じく鬱蒼とした森の地面に「ramson ラムソン」や「熊ニンニク」と呼ばれる 野生のニンニクが群生していて、可憐な白い花を咲かせる。日本で言うとギョウジャニンニクに近いらしいが、うちの近所の遊歩道脇にも生える極在り来たりな野草である。しかし、ヒヤシンスに似た爽やかな芳香を放つブルーベルとは対照的に、ラムソンは咲いているだけで強烈なニンニク臭を辺り一面に漂わせる。とは言え、隣同士で群生している事も良くある。
ブルーベルがイギリス以外ではほとんど自生しないのに対し、ラムソンはヨーロッパ中に生えるらしく、ドイツ在住の日本人女性の話だと、こちらでは手に入りにくいニラ代わりに餃子作りに重宝すると聞く。
ハンガリー人の友達もこのラムソンが大好物で、毎年季節になると意気揚々と森へ収穫へ行く。そして山のように摘んだラムソンを抱えて路線バスで帰宅するらしいのだが、…車内中に物凄い匂いが蔓延するのでは?と気になって仕方がない。ハンガリー人は普段からニンニクを多食するから、誰も気にしないのだろうか?? ところが、こう言ったネギ類は時に強烈な消化不良を起こす事があり(※犬猫にとっては猛毒)、加齢と共にそれは現れ易くなり、友達も一度食後に酷い下痢に見舞われた事がある。それ以来てっきりラムソンを食べるのは諦めたと思っていたが、今年も彼女は収穫を楽しみにしているそうだ。
一方、食に関して非常に保守的なイギリス人は、伝統的に野生の植物を食用する習慣がない。故に、森に大量に自生するラムソンも手付かずのままだし、食用出来ると言う知識すら一般的ではない。もっとも、ここ数年は急増した東欧や中国からの移民が野生のキノコ等を乱獲する為、環境破壊に繋がる問題になっている。
かく言う私も、田舎育ちなのにも関わらず、タケノコ以外の山菜は正直余り好きではない。概ね食べられない程は嫌っていないが、「この季節だけの貴重な味わい」とか「豊かな自然の恵み」とまでは思えず、わざわざ自分で収穫して、または買って料理しようとまでは全く思わない。しかし昨年、一昨年と単独で一時帰国し、福島県中部の実家に滞在していた時、春の田舎での生活は、山菜を避けては通れないのだと痛感した。
特に、私の両親は山菜が大好きだ(だった)。子供の頃は、度々両親と山菜摘みに出掛けた。収穫は楽しかったが、食べる事自体にはまるで興味がなかった。念の為、地方でもこれ程山菜を有り難がるのは、比較的都市部と言うか街に住んでいる人のみで、田園地帯の集落に住んでいる農家の人々は、意外にも山菜に全然関心がなかった。少なくとも、私が子供の頃はそうだった。それ故に、私有地に立ち入って勝手に収穫しても、昔は見逃して貰っていた。 しかし、日本人のグルメ嗜好が進み山菜の知名度と価値が広まるに付け、山菜愛好家が増え農地を荒らす人間も現れ、公立公園内や自然保護区等の規制も厳しくなり、今は勝手に山菜採りの出来る場所は中々ないだろう。また、山菜とは言え栽培も進み、地方でも買うのが(道の駅なんかで)一般的になって来ているとは思う。
一昨年前に私が実家に滞在していた時、一日中ダラダラとTVばかり見ていて動かない両親に、益々身体が不自由になるからと、天気の悪くない寒くない日は少しでも散歩に出るようにとしつこくせっついた。渋々母は散歩に出て、ある日ヨモギの若葉を採って帰って来た。私はヨモギの和菓子は好きだが、それにするには足りない。母は、天ぷらにしろと言う。これだけを天ぷらにするには手間が掛かり過ぎて面倒だと訴えると、母は天ぷらは面倒ではない、そして自分が揚げるから大丈夫と言い張る。
母が天ぷらは面倒ではないと言い切るのは、揚げ油を真っ当に処分しないからだ。案の定母の天ぷら鍋には、いつから使い続けているのか分からない、酸化し捲った人体に有害に違いない恐ろしく古い油が残ったままだった。そして母の料理の腕前は酷いが、天ぷらもやはり不味い。それで全く不本意ながら、やはり自分で天ぷらにするしかないと覚悟した。まずは揚げ油を処理して天ぷら鍋を洗い、急いで天ぷらの他の材料とビール(天ぷらの衣には必須! ついでに私が知る限りアサヒ・スーパードライが最高に合うようだ)を買いに出掛けた。
今までヨモギの天ぷらを揚げた事はなかったが、ネットで検索してみたら、まず小麦粉を塗してから衣を付けて揚げろと書いてある。その通りにしてみると、カラッと揚がり自分でも驚く程サクサクの美味しい天ぷらに仕上がってしまった。…そうなのだ、今まで自分が余り山菜に惹かれなかったのは、母の調理法にも問題があったと改めて実感した。とは言え、やはり天ぷらとしては、サツマイモやカボチャの方が遥かに魅力的だ。
天ぷらは母の希望通り美味しく仕上がったものの、老夫婦+一人では食べる量はたかが知れている。当然しばらく残り、天丼にしたり蕎麦にしたりでやっと天ぷらを食べ終えた時、あろうことか再び母がヨモギを採って来て天ぷらを揚げろと言う。そもそも、母が散歩に行くのは自動車道に沿ってせいぜい200m先で、車の排ガスや犬のおしっこを被ったかも知れない道端のヨモギなのだ。私は、母に内緒で後からそのヨモギを捨てた。
両親は年老いて山菜採りに行けなくなった為、1㎞程離れた家庭菜園で山菜の幾つかを育てていた。ここ数年はその家庭菜園にすら行けなくなったが、弟が其処から山菜を収穫して持って来てくれた。そして、すぐに天ぷらを揚げようと言う。…また天ぷらか! 天ぷら鍋は当然洗っておいたから、すぐに揚げられる状態にはなってはいたが、やっぱりサツマイモやカボチャの方が天ぷらは美味しいんだよ…。
それからしばらく経ち、母が突然体調を崩し入院する事になった。それで、数週間は父と二人で暮らしていた。父は自宅の庭にも山菜を植えていて、今丁度食べ頃のはずだから採って来いと言う。ウルイやウルイッパと呼ばれる、オオバギボウシの若芽である。おひたしや味噌汁に調理し、父は喜んで食べたが、やはり私にとっては茎立ち菜(福島では一般的な春の葉野菜)の方が美味しい。
父と二人で暮らしていたある日、家事も買い物も一段落し、疲れたから夕飯を作り始める前に一眠りしようと丁度思っていた矢先、父のお友達が突然採れ立てのタケノコを数本持って来て下さった。うわ~一休みもさせて貰えないのかよと思いつつ、タケノコは収穫後の数時間が勝負なので一刻と待ってはくれない。家にはタケノコを茹でこぼす為の米糠がなく、再び街へ買いに行くのも真っ平だったので、ググって米粒一掴みと鷹の爪で茹でてみた。採れ立てだったせいか、それでもえぐみはすっかりなくなった。若竹煮や筍御飯にし、休憩を返上して調理した甲斐があると思える程、姫皮まで非常に美味しく頂いた。しかしショックな事に、それからせいぜい一か月後位に、そのお友達は突然亡くなってしまったと聞いた…。
昨年の帰国時では、父が急に入院する事になった。母、伯母、私の交代で父の面会に病院へ行ったが、その病院からの帰りに、母は売店で山菜を山のように買って来た。何故病院の売店で山菜が?と言う所が、いかにも高齢化の著しい田舎あるあるだと思う。兎に角、老人ホイホイなのを心得た品揃えだ。病院は実家から片道1時間以上掛かるので、山菜はすっかりシオシオで新鮮さを失っていた。それを、また天ぷらにしろとは! 内容はタラの芽、フキノトウ、コゴミ、アシタバ、コシアブラの葉だったと記憶している。私はしばらく山菜の奴隷と化して、天ぷらを揚げ捲った。当然大量に出来上がったので、同じ町内に住む弟一家や伯母にも受け取って貰った。それでも私と母は数日間天ぷらを食べ続ける事になり、流石に最後には母でさえ飽きて手を出さなくなった。母と違って食べ物を粗末にするのは嫌いだが、例え残りを冷凍保存しても、母は管理も解凍も真っ当に出来ない為、残った天ぷらは心を鬼にして捨てた。
そして遂に山菜の天ぷらから解放された日、伯母がタラの芽の天ぷらを揚げたので、父の病院でお裾分けを渡すから来いと言う。既にかなり気温が上がって来ており、病室に油の匂いの強い揚げ物を持ち込んで、更に数時間掛けて持って帰るのは絶対に嫌だった。その上、伯母の天ぷらも不味い。何とか伯母を阻止しようとしたが分かって貰えず、最終的には母も私も天ぷらに飽きてしまったと正直に白状してやっと断った。これらの体験を思い出すにつけても、私が山菜を好きになる事は多分一生無いだろうな…とつくづく思う。