2025/02/22

猫は正義

 

今日は日本では猫の日なので、我が家の猫の話題にさせて頂きます。ある日P太が、「タラちゃんは自分の人生の中で最高の猫だ」と言い切りました。確かに容姿、性格、お行儀、啼き声、毛並み、肉球の柔らかさ、尻尾の長さ、どれをとってもタラちゃんは一級品だと、私達夫婦は揃って親バカ街道まっしぐらです。

何より今までの我が家の猫達と違い、P太にも分け隔てなくベタベタに甘え、うちの猫の中でP太に最も愛情を示している猫なのは間違いありません。 

ツンデレのツンが皆無の超絶甘えっ子で、ヘソ天猫吸いし放題、抱っこ大好き、触るNG箇所も無しです。

して言えば、猫特有の独立心や素気無さ、高飛車な所や狡猾さも気まぐれもない為、猫のそう言う性格を好む人にとっては、まるで犬みたいで物足りないかも知れません。

また、寝てる時以外は常に「構って撫でて」を要求する為、当然全てには対応し切れず疲れるのが難点です。作業机やパソコン机の脇、階段の手すりの端(通称御立ち台)に立ってゴロゴロ喉を鳴らしてこちらを見ている時は、作業しながら時々撫でても無駄で、一度作業を中断し、しばらく抱っこするか撫で続けて上げないと満足しません。

これを一日10回位繰り返さないとならず、猫って普通こんなに手が掛かる動物だったっけ?と、常々疑問です。

たまちゃんポコちゃんも甘えっ子だったものの、流石にここまでは手が掛かりませんでした。唯一トラちゃんは「ボクを見て~遊んで構って」をいつも要求していて、タラちゃんに対応するのと同じ位厄介で疲れました。

そしてタラちゃんが自分にとって最高の猫かと言うと、…今現在は間違いなく最高の存在です。しかし、今まで養子として迎え一緒に暮らした猫達も、その時点では皆最高の猫でした。そして心の中では、今でも全員最高の位置に鎮座していて、それぞれの個性や思い出があり、順位は付けられません。

どの猫も私は全力で愛情を注ぎ、幸せな一生を送って貰う為に出来る限りの事をしたつもりです。そして猫達は、それでは未だ足りない程の幸せを私に与えてくれました。

しかし若くして突然失ったトラちゃんに関しては、「もっと遊びに応えて上げれば良かった」「もっと可愛がって上げるべきだった」と、今でも後悔が尽きません。仲の悪かった先住猫のポコちゃんに配慮して、トラちゃんは常に二の次に扱っていたのです。それでトラちゃんは愛情を得る事に、益々執着し躍起になっていたようです。

どう考えても、トラちゃん程私を愛してくれた猫は今まで居ません。もし生まれ変わりと言うのが本当にあるのなら、あの子は再びトラ猫に生まれて来て、私の猫になってくれるのではと願う程です。

全力で愛したつもりでも、して上げられなかった事は山のようにあります。もう一度会ってあの毛皮を撫でたいとも、何度思って泣いたか知れません。しかし今そう思っても仕方ないので、その分もタラちゃんに愛情を注ぐしかないのです。人間より遥かに短い猫のニャン生は、愛されてナンボです。「正義」の基準は時代や社会や状況に寄ってコロコロ変わりますが、何があろうと自分の中で絶対に揺らがない正義、それは猫!

 

 


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