午前中から始めたLincoln リンカーン観光で、丘の上に立つリンカーン城を見学した後は、向かいに在る最大のお目当てのリンカーン大聖堂は素通りし、まず周辺を散歩します。何故なら、大聖堂の正面ファサードは決まって西を向いており(※真西じゃない場合もある)、この時は未だ太陽が照らしていなかったからです。朝乗車したシャトルバスで大聖堂近くでも下車出来たのに、まず丘の麓のハイストートを目指したのはその為です。
城と大聖堂に挟まれた広場は、この観光都市の正にヘソだけに、絵になる建物に囲まれています。
大聖堂入り口の脇にも教会。St Mary Magdalene教会だそうです。
その向い側には、「マグナ・カルタ」と言う名のパブ。この大聖堂が、大憲章の写本の一つを所有しているからです。パブの前には金色の郵便ポストが在り、五輪金メダリストを輩出した土地である事を物語っています。
街の目抜き通りであるハイストートが、北へ進むと丘を登る坂道としてスティープ・ヒルと名前を変え、更にこの丘の上ではBailgate ベイルゲートと言う名前で北に続いています。
実はこの道は、Ermine Street アーミン街道と言う、古代ローマ時代からの古道なのです。
城の敷地自体がローマの要塞跡地でしたし、この周辺はローマの遺跡だらけのようです。と言うより、遺跡の上に現在の家並みが立っていると言った具合です。
この民家の入り口は、ローマ時代のポルティコ=ポーチだと書かれています。
ベイルゲート、すなわちアーミン街道を更に進むと、現存の古代ローマ時代の城門に出会います。
Newport Archと言い、三世紀に建設されました。リンカーンの城門は幾つか残っていますが、これは当然最古です。城の北西にも四世紀築のローマ時代のWest Gate 西門、大聖堂の北東にはEast Gate 東門が存在しましたが、今は土台が発掘されただけです。
数々の戦火を潜り抜け、何世紀も生き抜いて来た門です。しかし! 20世紀に入って、トラックで無理矢理潜り抜けようとして、この貴重な文化遺産を破壊した豪快な粗忽者が居るそうです。かつて日本の三十三間堂の山門も、クレーン車に破壊された事がなかったっけ??
この門の脇を見ると、城壁(市外壁)に沿って堀が巡らされていたのが分かります。
この門から引き返し、南へ戻ります。
門の脇に、も一つ教会。Bailgate Methodist Churchだそうです。
これは何かと言いますと、通り沿いの一般民家の窓辺でして、飾ったガラスの花瓶(多分ヴィクトリア時代のウラン・ガラス)の絵柄に合わせ、壁にも合わせたタッチの絵を描いたセンスの良さ。
猫のイラストが面白いってだけの、単なるレストランの宣伝ですが、2コースで18ポンド(約2900円)の昼食は、この観光地のド真ん中では確かにお得かも。例えメイン・コースのみでも飲み物やチップを入れたりすると、昼食でさえ一人最低三千円以上掛かってしまうイギリスの外食です。
素敵な衣料店がありました。クラシカルで上品なデザインばかりで、こんなドレスを着る女性が果たしてイギリスに居るのか?と疑問に思います。
その二階のディスプレイのドレスも、窓のステンドグラスも素敵。
ーーーさて、いよいよ本命の大聖堂を見学するとしますか。
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