2025/09/28

モーヴァン丘陵地帯の旅 「マッパ・ムンディ」のヘレフォード大聖堂 1

 

昨年の夏のMalvern Hills モーヴァン丘陵地帯旅行の最終日は、ヘレフォードシャーの州都で、大聖堂都市Worcester ウースターとはモーヴァン丘陵を挟んでほぼ反対側の西に在る、もう一つの大聖堂都市Hereford ヘレフォードを訪ねる計画です。目当ては、勿論ここの大聖堂。Hereford Cathedral ヘレフォード大聖堂も、どちらかと言えばイギリスの大聖堂としてはマイナーですが、ここには「Mappa Mundi マッパ・ムンディ」と言う観光の目玉があります。向かう途中の道案内にも、全て「この先大聖堂」ではなく「こちらマッパ・ムンディ」と記してありました。

チェスター大聖堂同様に、イングランド西部で多く産出されるらしい赤砂岩で出来ています。イギリスの大聖堂の多くは、一番高い塔が西塔ではなく中央搭なので、本来の正面である西側ファサードは割とこじんまりとして見えます。この西塔は元はもっと大きな物でしたが、18世紀末に崩れたそうです。

実は到着した朝は生憎の曇り空で建物の外観が映えず、やっと晴れて来た午後の去り際に、急いで大聖堂に戻って再び撮影しました。

これが、身廊と翼廊(袖廊)の交差する部分の上に立つ鐘楼である中央搭。流石に大聖堂らしい迫力の大きさです。 

搭の上部を拡大して見ると、ブツブツと細かい彫刻で覆われています。

内部に入ってみましょう。まず身廊です。この場所には8世紀以前から前身の宗教施設が存在し、大聖堂の建設はウィリアム一世征服後の1079年に始まりました。 

その後増改築を重ねゴシック様式が加えられますが、アーチや柱にはノルマン様式の特徴を色濃く残しているように見えました。

アーチには、ノルマン様式らしいギザギザが刻まれています。

大抵は入り口に近くに設置されているフォント=洗礼盤。幾つかの教会では、フォントが最も古く貴重だったりします。このフォントも原始的な彫刻で相当古そうですが、特に何も記されていませんでした。

この大聖堂は、正式名を「Cathedral of Saint Mary the Virgin and Saint Ethelbert the King in Hereford」と言い、聖母マリアと聖エセルベルトの二人の聖人に捧げられています。 

聖エセルベルトは、元はエセルベルト二世と呼ばれたアングロ・サクソン時代の8世紀のイースト・アングリアの若き国王で、敵対するマーシア国王オッファから「こっち来たらうちの娘を嫁にやるだ」と誘き出されて処刑され、大聖堂の立つ前のこの地に埋葬されたと言われています。

その後エセルベルト王の遺体を掘り起こしたら、良くある話で何年も経っているのに全く腐敗していなかったとかで(きちんと調べてません)、巡礼者が押し寄せるようになり、聖人に叙されたようです。

その斬首の様子を描いたプレート(多分ヴィクトリア時代の物)が床に嵌め込まれていますが、こんな風に剣を振り回しては、押さえ付けている従者の命も危ないんじゃないかと。

身廊と翼廊が交わるクロッシング部分の天井。つまり、中央塔の真下です。

内陣部分の聖歌隊席とその奥の主祭壇。手前の天井から吊るされた金属の装飾が、キリストの荊冠を表しているのか、正直刺々しくて見るのも痛々しい。

その点この翼廊の丸い照明&装飾は、和と安らぎに溢れています。やはり宗教は、入信するとこんなに良いでっせとアピールする、心地良い物でなくてはと勝手に思います。




 

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