一昨年姉夫婦とGWに訪れた奥会津で、昼食を取った道の駅「尾瀬街道みしま宿」から更に只見川の上流に向かって進み、金山町の道の駅「奥会津かねやま」で停車しました。
ここの道の駅も、地元産の食品や工芸品が充実していました。
日本は、何処も地元を盛り上げるのに熱心で頑張っていると思います。
この金山町は赤カボチャが特産だそうで、甘みの強いホクホクした食感が人気だとか。しかし赤カボチャを使用したお菓子類の多くは売り切れで、こんな秘境と言われる奥会津でさえ、GWの人出の多さを物語っています。
この道の駅は、只見川の展望台に隣接していました。
川とほぼ並行して走るJR只見線を丁度列車が通過した直後で、絶好のシャッターチャンスを逃してしまいました。何せ、列車の本数が極めて少ない路線なのです。近年やっと全線再開通した只見線は、抜群の眺めの良さから鉄道ファンからの人気が高く、私も一度乗って旅してみたい気持ちになります。
この展望台の右側には、宮崎館跡と言う戦国時代の支城跡が在るようです。眺望の聞く場所は、洋の東西を問わず軍事的に重要でした。また前方の川に半島のように突き出た土地に見える家々は、昔ながらの絵になる家並みとして人気のある大志(おおし)集落のようです。
そしてこの道の駅のすぐ脇に、公開保存されている昔の民家があります。名称は旧五十島家住宅で、県の重要文化財に指定されています。
この地方の気候に適した、母屋と厩(馬屋)が平面L字型に一体化した「厩中門造り」になっています。岩手県南部地方に多い「曲り屋」に近い形式です。
普通は母屋と離して建てる厩を、合体させる事に寄り母屋の暖を厩に送り、農耕馬を寒さから守った工夫です。
また、昔の農家のお手洗いは屋外に別個に建てるのが通常でしたが、この地方の冬は雪が深過ぎて屋外に出れなくなる為、この手の家では例外的に屋内に設置されています。
建立は恐らく18世紀前半以前で、1970年代にこの地に移築復元されました。
部屋は四間で座敷も有り、比較的大きな農家だった事が伺えます。
こう言った建物博物館や昔の室内を再現した展示は、何処でもかなり好きです。しかしここの説明書きの文章は、今読んでも分かり辛い…。
昔の豪雪地帯の厳しい暮らしぶりが、少しだけ垣間見られるように感じました。
0 件のコメント:
コメントを投稿