昨年の東京での桜の満開時に、今時の都心としては非常に稀な観光客ほぼナシの穴場の桜の名所青山霊園で、姉と二人で花見&墓ウォッチングをしました。
ここの墓地の興味深い特徴は、明治以降の華族や軍人将校の墓が多い事です。これ程それらが集中している墓地は、東京でも他にないかも知れません。と言うか、そもそも華族自体が極限られた人数だった為、その墓を見るのも相当珍しい機会です。
一般的に仏教徒の墓石正面には戒名、神道であれば諡(おくりな)が記され、もしくは「〇〇家之墓」とか「〇〇家奥津城」と苗字が記された家族墓ですが、華族や軍人の墓には役職・爵位・氏名(俗名)が記されているのが変わっていると思いました。
私の故郷の墓地でも軍人将校の墓は時々見掛けますが、その場合やはり墓標の正面には、戒名ではなく役職と俗名が記されていて独特です。まあその方が、家族以外の参拝者には墓を見付け易くて親切だとは思います。
特に入隊中に亡くなった場合は、墓標を立てる際に国や軍から指導があったとか。すっかり地位を誇示したいが為だと思っていて、済みませんでした。
今は家族墓が普通ですが、戦前は夫婦墓が一般的でした。しかし親子墓は、今も昔も結構珍しいと思います。妻(母)は一体何処へ…、実家に帰ったのか??
また、この青山霊園は日本初の公営墓地で、宗教や宗派を限定せず、更に裕福層が多かった為、様々な形式・デザインの墓石を見る事が出来るのも面白い点です。
例えば、あくまで全体的に自然石に拘ったような墓所。
一方こちらは、丸に拘ったかのような統一感。
普通私が日本での旅行先で墓を訪ねるとなると、古い寺院に属する墓地の、江戸時代(もしくは以前の)城主・藩主や武士の墓所がほとんどでした。こんな傘塔婆型の墓は分限者に多く、高位の武家の墓としても割と見掛けます。
マリア像の隣に神社の鳥居なんて、他では中々見掛ける機会はないはず。
「墓地の中でいきなり神社の境内に迷い込んだのか」と思える程、とんでもなく広い敷地の神葬祭の墓地(墓石も半端なくデカい)もありました。福岡藩主黒田家の墓所です。
どんな人生を歩もうと、出来れば最期はこんな感謝の言葉で締め括りたいと思いました。
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