2026/03/27

水玉のイースター


 

もうすぐ、キリスト教徒にとってクリスマスに次ぐ最大のイベント、復活祭がやって来ます。ネットで復活祭の服装を検索していて、ちょっと印象的な子供用のドレスを見掛けました。

水色地の水玉柄のシンプルなドレスで、裾と袖にはレースが大きめに使用され、腰をピンクのサッシュとコサージュで飾ったのみ。

たったそれだけなのに、何だか品良く可愛く見えたのが返って印象的でした。

それを、ドール服で再現してみました。実物は明るい水色地でしたが、もっと幼い子供用のドレスだったので、年長の子供には渋めの水色地にしました。 

イースターの服装なのに、単に色合いが春らしくパステルってだけで、本当にそれだけでイイの?とは自分でも思いました。 

が、ウサギ耳を着けてバスケットを持たせれば、一応それらしくは見えます。 

このウサ耳は、本当は表面に可愛いイースター・エッグ柄付きの生地を使用しています。 

しかし今回は背景布とは同化し過ぎて見える為、真っ白い裏面を見せています。ピンクのリボンが隠れているのは、その為です。

念の為イースターのバスケットは、イースター・エッグや卵型チョコレートを入れる為の物であって、決して普通はヒヨコは入っていません()

ピンクのラメ付きチュール地のサッシュは、本当に生地を切って結んだだけ。

普通の生地の腰紐でリボン結びにする場合、中々綺麗なリボン結びにならず、また解け易い為、私は大抵予めリボン型を作ってから腰紐に縫い付けます。 

しかしチュールの場合は、そのまま結んでも安定の良いのが利点です。

 ただしこの生地、辺り一面をラメ塗れにします…。

腰のコサージュは、ピンを着けてブローチ式にしています。 

単に、それが一番落ち着きが良かったからです。

こんな単純なサッシュでも、あるとないとではドレスの印象が凄く変わります。腰部分の装飾って、やはり目立って大切なんだと思いました。

他人とは思えないぴよたまちゃんは、久々の登場。 

元々大人用にはイースター向けのドレスって特に販売されていませんし、結局イースターらしいパステル・カラー、または春らしい明るい色合いの服装なら、イースターの格好としてはOKなようです。こんなドレスなら、イースター以外でも着る事が出来ます。 

 

 

 


2026/03/26

古い市場港町ウッドブリッジ

 

昨年の三月に念願の重要な古代遺跡Sutton Hoo サットン・フーを見学した後は、River Deben デベン川の対岸の古い町Woodbridge ウッドブリッジを訪れ、残り時間の許す限り歩く事にしました。


深い谷底を流れるデベン河畔の斜面に横たわる、急な坂道の多い町です。実際住むとなると年をとってからは大変ですが、私は山育ちだから坂の多い町が好きです。 

昔ながらの市場町なので、期待通り古い素敵な家屋を沢山見掛けました。このサーモン・ピンクの外壁は「サフォーク・ピンク」と呼ばれ、サフォーク州の田舎家の特徴の一つだそうです。 

すぐに、この町のヘソと思しき広場に出ました。

見るからにタウン・ホール、即ち町役場の建物のようです。私の知る限り、こんな古風な役場が中心に残っている町や村に、雰囲気の悪い場所はありません。 

その前に立つ、 これまた古風な屋根付き水栓柱。

この広場で、ヴァイオリン店なんてのも見掛けました。恐らく制作と修理を承っているのだと思います。

ここから、イギリスでは珍しくなった古い石畳の雰囲気抜群の小路が伸びていました。

小路は、町の教区教会St Mary the Virginに通じていました。内部も興味深そうでしたが、生憎夕方の4時過ぎで既に閉まっていました。

仕方ないので、墓地ウォッチングをするしかありません。ここには、何故か石棺型が多かったような。

中心部の何処を歩いても、確かに魅力的な建物には事欠きません。

この町では面白い事に、普通は高台に設ける鉄道駅が一番低い場所、つまり谷底の川沿いに在ります。 

ここは海からは8㎞程離れていますが、河口に近いデベン川は入り江と呼べる程幅広く、マリーナを持つ港町です。 

また、お金持ちの町で良く見掛けるチェーン店も多く見掛け、裕福な町である事が感じられました。

それを証明するかのように、丘の頂上近くにはお金持ち独立校があります。イギリスの独立校の学費の高さは、日本の一般的な私立校とは桁違いで、インターナショナル・スクール並みかそれ以上と聞きます。

学校脇の、スリリングな程急な階段状の細い公道。この道を、ジョギング中の女性が物凄いスピードで駆け下り、すぐに驚く程のスピードで登って来ました。

また、町の一番の高台には風車も残っています。しかし、生憎近付いて見れる場所がありません。おまけに、超逆光だし。

反対側へも行ってみましたが、別の風車のリノベされた土台だけが見えました。

そんな雰囲気の良い町だったと思ったら、最後の最後で道路に打ち捨てられた白ブリーフに遭遇‼ しかも、子供用には見えず(…写真撮るなよ、そんなもん)。

ぱんつの写真でこの記事を終わらせるのは流石にあんまりなので、夕陽に照らされた猫ちゃんの写真で締め括りたいと思います。





 

2026/03/25

イースト・アングリア王の墓所サットン・フー 3

 

昨年の春に夫婦で訪れた、イギリスのアングロ・サクソン時代の貴重な遺跡、サフォーク州のイースト・アングリア王家の埋葬地Sutton Hoo サットン・フーで、最後に入り口近くの資料館を見学します。この金属の反り返ったモニュメントは、ここのシンボルの船葬墓で、実際に埋葬されていた木造船をイメージした物。多分実物大で、こんな巨大な物を埋葬した事に改めて驚かされます。

サットン・フーからは、国宝級の英国中世初期の貴重な出土品が多数発掘されましたが、本物は全て大英博物館に展示&保管され、ここには精巧に作られたレプリカが展示されています。

また、アングロ・サクソン時代の社会・生活についても、詳しく説明されいます。大きな仮面のモチーフは、もう一つのここのシンボルでレドワルド王の墓とされる一号基から発掘された兜をイメージしているようです。 

当時の衣装の復元品も、展示されています。右の男性服は、着物の袷に似ていると思いました。

織物自体が意外と鮮やかで、そんな染料を使用する知識・技術があったのかと驚きました。

遊具やボード・ゲームも展示されていました。 

楽器と、その収納袋のようです。 どんな音色でどんな曲を奏でたのか、興味あります。 

アングロ・サクソン時代のそれぞれの階級の人々の役割についても、役者に寄る音声劇付きで詳しく説明されています。例えばこの時代の王妃の存在は、後世よりもずっと大きな物でした。67世紀と言えば日本では飛鳥時代で、天皇は沢山の妃を持っていたものの、その中の頂点である皇后は必ず皇族から選ばれた(※奈良時代の藤原家出身の光明皇后までは)と聞きます。天皇の代行として皇后が政治を司る機会が多かったからだそうですが、アングロ・サクソンの王妃もそれに近い責任や権力を持っていたようです。

ここの出土品のレプリカのメインは、レドワルド国王の副葬品です。日本の古墳の埋葬者がそうであるように、君主達は武装した姿で埋葬されたようです。

紀元1世紀から4世紀までブリテン島のほぼ現イングランド部分を支配していた古代ローマ帝国が撤退すると、入れ替わりにユトランド半島の付け根部分から、アングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人等のゲルマン民族が移住して来て七つの王国を築きました。彼らはこの地に残ったブリトン人(ローマ化したケルト民族)と戦って土地を奪ったと伝えられて来ましたが、実際には交渉協定して平和的に住み着いた場合も多かったようです。

こちらは、一号基の埋葬者がレドワルド王と特定出来る鍵となった、年号の刻まれた金貨。あの世でも経済的に困らないようにお金を共に埋葬すると言う習慣は、世界各地で見られるようです。

一方こちらは、ローマ時代の金貨をペンダントに加工した物。通常は前政権の象徴である通貨は溶かして再利用するの物なのに、そのまま残したと言うのは珍しい例だそうです。

今まで我々夫婦は、アングロ・サクソン人は前のローマ時代より遥かに遅れた文明を持っていた、と勝手に思い込んでいました。しかし金工に関しては、非常に高い技術を持っていたのが、ここの展示物を見て分かりました。 

この銀の匙なんて、今見てもお洒落なデザイン性の高さです。 

これが、レドワルド王の兜のレプリカ(…ちょっとコワイ)。細部まで精密に人物画や文様が型押しされています。 

その裏面まで、びっしり細かく装飾されています。原始宗教からキリスト教への過渡期の再現ドラマも興味深く、小規模ながら学ぶべき事の多い資料館でした。