昨年の7月初旬、布を買う為と遺跡を見学に、エセックス州のColchester
コルチェスターを夫婦で訪れた日は、快晴で汗ばむ夏らしいお出掛け日和でした。しかし実はこれが夏らしい気候のほぼ最後の日で、この後の昨年のイギリスの7,8月は、悪天候続きで気温も低く全く夏らしくありませんでした。
鉄道駅の側のSt. Botolph Priory 聖ボトルフ小修道院跡を見学した後は、しばし町の中心部を歩きました。かつてのローマ時代の城壁跡に沿って伸びる、Eld Lane と言う古い建物の多い雰囲気の良い、自動車の乗り入れが規制されている小路です。
暑かったので、ジェラート屋でアイスも買いました。私がラズベリー、P太がクッキー&クリームだったかな。
初めてこの町を訪れた際は、チャリティショップの多さに驚き、恐らくイギリスで最もチャリティ屋の多い町ではと思いました。しかしチャリティ屋は、六年前と比べても激減し多くが姿を消し、今や普通の町と比べても少ない程でした。そして六年前に訪れた際は、愛猫ポコを失った心の傷を癒してくれた町でしたが、今は中心部でも空き店舗が目立ち、あちこちでアル中ヤク中の輩を見掛け、明らかにすさんで来ているのを感じました。
その後、もう一つお目当てにしていた遺跡、St. John’s Abbey
Gate セイント・ジョン=聖ヨハネ大修道院の門を目指しました。
場所はColchester Town駅の南側で、少し高台になっていて、豪華な町役場や改革派教会等の塔の先が見えます。
やって来ました。ここは、本当に門しか残っていません。しかし門と言っても単なる扉だけではなく、上階は門番の住居か見張り台になっていた建物な訳で、gatehouse=門楼と呼ぶ方が正解のようです。
この門楼の外壁は、フリント石のガラス質の断面で図案をモザイク的に装飾した、「flushwork」と呼ばれるイースト・アングリア地方の独特の技術で、建築物としても一見の価値があります。また、当時の修道院の裕福さを今に物語っているそうです。
門を潜った先には、かつては修道院の広大な敷地や建物が広がっていたはずですが、今は一般の住宅地やテニス・コートになっています。
門のアーチの天井は、典型的なゴシック様式です。
ヴォールトには、ゴシックらしくガーゴイルの彫刻。崩れていて、不気味さ倍増です。
左の扉の先は、上階へ登れる階段が続いている物と思われます。
鉄格子越しに覗ける、四つの塔の一つの内部。こんなに日光の乏しい場所なのに、逞しく植物が生えています。
セイント・ジョン大修道院は、11世紀末に創建されたベネディクト会の修道院で、門楼自体は15世紀初頭築と言われています。
門を潜ったほぼ正面で目に入る民家の塀に掲げられた、17世紀のニューカッスル公爵夫人マーガレット・キャベンディッシュ生誕の地の記念碑。修道院の瓦礫を寄せ集めて装飾してあるようです。修道院解散後、この地には彼女の実家ルーカス家の邸宅が立っていました。彼女は作家、哲学者、科学者として活躍し、また実名で著書や作品を出版し、当時の女性としては非常に勇気ある行動だったそうです。
先に見た聖ボトルフ小修道院とは、500mと離れておらず、ヘンリー八世に寄る修道院解散法以前は、乱立と言って良い程修道院の多かった事が伺えます。実際この二つの修道院は、度々小競り合いを起こしていたようです。
門の側に立つ、素敵な民家。窓やドアがゴシック風ですが、元々修道院に関連する建物だったのか、それとも単に修道院跡地の雰囲気に合わせてデザインされたのか。
聖ボトルフ小修道院跡と、この聖ヨハネ大修道院の門、どちらも期待通り興味深い遺跡でした。しかしコルチェスターの荒廃ぶりに、この町へ来ることはもうないかもなーと、P太と二人で思いました。元々エセックスは柄が悪いと専ら知られていますが、こんなに歴史的には面白い魅力的な町なのに残念です。