実際の記念日「Remembrance Day リメンブランス・デイ」は11月11日で、国王も参列する式典や午前11時の黙祷は大抵その直前の日曜日に行われ、今年は既に過ぎていますが、11月周辺はポピーを模した紙製のバッジを付けた人をイギリスでは多く見掛けます。
このバッジは、退役軍人・戦没者福祉団体基金にお金を寄付すると貰える物で、特に政治家やTVのアナウンサー等は、赤い羽根募金同様に必ず身に着けています。
この活動を、「Poppy Appeal ポピー・アピール」と呼びます。紙製バッジはかなりデフォルメされた形なので、一見ポピーとは分かりにくいかも知れません。
人だけでなく、教会や公園等がポピーの造花で埋め尽くされたり、バス等の交通機関も大きなポピーのバッジを正面に着けて走ります。数年前までは、一般車もポピーを付けていたのを良く見掛けましたが、単なる流行だったのか、今ふと気付くとめっきり見なくなりました。
元々11月11日は第一次世界大戦の終結記念日だったのを、今は第二次世界大戦の戦死者も含めて慰霊する日になりました。第二次世界大戦の戦勝記念日は、これとは別にVE Day(対ドイツ戦)、VJ Day(対日本戦)として祝います。
何故ポピーが戦没者追悼の象徴なのかと言えば、カナダの詩人ジョン・マクレーの作品「フランダースの野に」から引用したそうです。自身も第一次大戦に従軍したマクレーは、友人が戦死したベルギーの戦場にポピーの花が咲いていた様子を詩に盛り込みました。イギリスでも時々一面が赤で覆われたヒナゲシ野を見掛けますが、嫋やかな茎や花びらが風にそよぐ様は悲しげで、またそんな赤い花色は負傷者や戦死者を髣髴とさせたのかも知れません。
フィールド・ポピーは開くと一日で散ってしまい、切り花にも向かず花としては儚げで弱弱しい半面、植物自体は道路脇のちょっとした隙間でも成長する程強靭で、瘦せ地を好むとも言われています。
今回のドール服は、フリマで手に入れた赤いポピー柄の多分ビンテージ生地で作りました。そんな訳で、ドール服を作るのなら11月向けにしか思い付きませんでした。
またほんの少しの面積しかない為、シンプルなローウェストのアール・デコ風ドレス位しか作れないだろうと最初から思っていました。
第一次世界大戦が終結したのは1916年で、こんな典型的なデコの服装になる一歩手前の時代です。その頃は女性のスカートの丈は足首を見せる位までは短くなり、クロッシュ・ハットは既に流行していたようです。
ポピーのコサージュはオーガンジーのリボンで作りましたが、ちと大き過ぎ、またこの服装には鮮やか過ぎてバランスの悪さが気になります。裏面にベルクロ・テープの雄を貼り付けているので、大抵の場所にくっ付きます。
ほぼ通年毎週日曜日に開催されるフリマに通っていた頃は(注:コロナを機に閉鎖された)、戦没者慰霊の黙祷を大抵フリマ会場で迎えました。
日本人としてVJ Dayを祝う気には当然なれませんが、戦没者を追悼する気持ちに国境はないだろうと思い、私も黙祷していました。しかしP太は、こう言う行為が国粋主義に繋がると感じて気に入らないようです。確かに愛国主義ではあっても、国粋主義ではなかろうにと私は思います。
現に今戦争を起こしている、また起こしたがっている連中は、戦争で失われる命の事など考えていないからこそ出来るんだろう、としか思えません。世界の雲行きが益々怪しく戦争が身近に感じられる現在(少なくともイギリスでは)、戦没者追悼記念に対する想いもまた変わって来たように感じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿