2025/07/09

ノルマン様式のロムジー修道院 1

 

昨年の今頃訪れたハンプシャー州の町Romsey ロムジーでは、実は真っ先に修道院Romsey Abbeyを見学しました。 

かつてイギリスには、「abbey=大修道院」 「priory=小修道院」 「friar=托鉢修道院」と呼ばれるローマ・カソリックの修道院=monasteryが国中に沢山在りました。ところが勢力を持ち過ぎた為に、16世紀にカソリックと絶縁した国王ヘンリー八世に寄り強制解散させられ、今残っているのは概ね遺跡ばかりです。 

しかし今でもイギリスで修道院と名乗って存在しているのは、比較的近年に創立された物か、16世紀の修道院解散法以降に特権階級に寄って買収され城館として改築&利用された建物(ドラマの「ダウントンアビー」は多分そう言う設定なのだろう)、または付属教会か礼拝堂だけが教区教会として生き残っている場合です。

故に中者と後者は、実際には修道院として最早機能していないものの、大抵は今でも「修道院」と名乗り続けています。ロムジー修道院は後者で、ノルマン様式の教会建築の特徴を勉強するのに最適なの見本の一つです。

このロムジー修道院は、解散後に町民に寄って王室から100ポンドで買い取られ教区教会となったそうです。今なら私でも買える値段ですが(買わないけど)、当時は物凄い大金だったのでしょう。確かテュークスベリー修道院の礼拝堂も100ポンドで町に買われたらしいから、もしかしたら元修道院は一律100ポンドで売りに出されたのかも。

この近くの庭園で有名なモティスフォントも元々は修道院なので、かつては本当に修道院が乱立と思える程多かったのだと想像します。日本の仏教寺院の宗派同様に、ベネディクト会とかフランシスコ会、聖アウグスティノ会等に分かれていて、モットーや規律が異なっていたからのようです。

修道院と呼ばれる教会は、元付属教会と言えど大聖堂並みに規模の大きな物が多く、確かに国王が恐れる程の権力を持っていた事が伺え、また教会建築好きにとっては見応えがあります。

この修道院はサクソン時代の907年に創建され、その後993年にヴァイキングに破壊された為に再建されました。ベネディクト派の尼僧院で、五百人以上の修道女が生活し従事していたそうです。現在の建物は1120年に建設が始まり、13世紀中頃までに今見る姿になりました。しかしサクソン時代の遺構も、所々に見る事が出来ます。

また、サクソン時代の棺から発見された人髪(うげっ)も、他の発掘物と共に展示されています。

見所は多く、後陣南側の聖アンナ礼拝堂の中央(ステンドグラス下)のキリスト磔刑象もその一つで、イギリス国内でも貴重な960年頃のサクソン時代の石彫です。 

北翼廊の聖ラウレンティウス礼拝堂の16世紀のイタリア風の木製パネル画も、見所の一つ。

私が好きな中世の壁画(12世紀の作)も、見る事が出来ました。

また、地元信者に寄る力作のタペストリーがあちこちに掲げられ、今尚信仰的に重要な場所だと感じられます。   

フローレンス・ナイティンゲールを描いたステンドグラスは、2020年に制作されました。 

ここの南翼廊の聖ニコラウス礼拝堂には、実はアイルランド共和軍のテロリストに暗殺されたルイス・マウントバッテン(ビルマのマウントバッテン伯爵)の墓所が在るのですが、生憎見落としてちゃんと確認しませんでした(この写真↑の下部に少しだけ写っています)。チャールズ国王の大叔父に当たり、数年前の皇太子時代のTVインタビューで思い出して涙ぐんでいたから、王にとってはかなり親しい親戚だったのが想像出来ます。しかし第二次世界大戦時の遺恨で日本人嫌いで有名な人物だったので、私がお参りする意味はなかったとは思います。

その礼拝堂にある、お隣ドーセット州のパーベック半島産の大理石で出来た、13世紀のeffigy(彫像の付いた棺、墓所)。埋葬者は誰なのかはっきりしていませんが、恐らく女性の慈善者であろうと言われています。

大聖堂や大きな教会では、身廊と翼廊が交差する部分Crossingの天井は必見。 

良く見ると、天井近いアーチの合間に、等身大位の像が並んでいます。 

本当に見所の多い、見応えのある修道院です。続いて、建物の外側を見学します。 

 

 

 


 




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