今年の2月に、義母は念願だった腰の手術を受け、術後の生活のヘルパーとして私は数週間義母の家に住み込みました。手術直後から改善を実感し、心配したよりもずっと早く回復した義母でしたが、その後どうなったかと言うと…、残念ながら以前よりも体が不自由になりました。手術を受けていない側の背骨が余計に痛み、股関節や膝は相変わらず痛み歩行が困難で、更にレイノー症候群を発症して両手すら自由が利かなくなったからです。それで、この夏は恒例のシュロプシャー旅行の話もとんと出ませんでした。ところが9月に入って我々が遅い夏休みを取ろうと計画していた時、義母から人生最後かも知れない旅行として、宿泊費は我々の分も負担するから、自分も連れて行って欲しいと申し出がありました。そこで計画を練り直し、歩けない義母でも車に乗ったままで風景を楽しめる旅行先として、湖水地方に二泊三日の旅行に出る事にしました。
二年前に私達夫婦が湖水地方へ行った際は、夜明けと共に出発し、丁度正午頃に湖水地方に到着しました。しかし、今回は予約した宿に夕方に到着し、初日は本当に移動だけで終わってしまいました。義母には朝早く起きるのが困難で、またロンドン内の交通量の多さから、義母宅に迎えに行き更にロンドンから出るのに凄く時間が掛かるからです。途中何度か高速道路のSAでトイレ休憩をするのにも、足が不自由なので結構時間が掛かります(イギリスの高速SAのトイレはいつも建物の最奥)。しかし初日はイングランド北部は始終酷い大雨だったので、早くに到着しても余り意味はありませんでした。
しかし翌日は、狙った通りの快晴となりました。二日目の予定は、景勝道路を出来るだけ車で廻る事でした。まずUllswater アルス湖畔を通り、湖水地方で最も標高の高いKirkstone Pass カークストーン峠を通過する予定でいました。が、その前の移動中に修道院跡のサインを見付け、P太が見たいと言い出して急遽立ち寄る事にしました。
細い田舎道から更に細い行き止まりの道の終点が、その「Shap Abbey シャップ(大)修道院」になってました。ここはEH(イングリッシュ・ヘリテイジ)管轄ですが、廃墟なので入場は無料です。指定の駐車場は、朝一番から既に空きを探すのが難しくなっていました。駐車場から遺跡まで少し歩く為、義母は車の中で待機する事にしました。
中欧の修道院なら、小高い丘の上に築かれているのを何度か見掛けましたが、イギリスの中世の修道院や城は、こんな谷間に築かれた事が多いようです。川の側で、水の確保に便利だった為と思われます。
駐車場はほぼ満杯だったのに、遺跡そのものには誰もおらず、我々夫婦の独占状態でした。駐車場の他の車の主は、もしかしたら地元民で、単に犬の散歩にでも利用しているのかも知れません。遺跡内は草が結構高く茂っている上、昨夜の雨で相当濡れていたので、防水のはずのスニーカーにあっという間に水が入ってしまいました。
シャップ修道院は、正式名称を「Abbey church of St. Mary Magdalene マグダラの聖マリア修道院教会」と言い、地元の貴族に寄って12世紀末にプレモントレ会の修道院として建てられ、16世紀のヘンリー八世に寄る修道院解散法まで運営していたそうです。
西塔を、東側から眺めたところ。
上の写真↑は、EHの案内板の当時の復元想像図。遺跡からだけでは分からなくとも、立派な回廊の在った事が伺えます。
そしてこちらは、同じくEHの案内板の平面図。
遺跡はほとんど土台部分のみで、建物らしいのは西塔以外は余り残っていません。
その西塔もかなり荒廃し、今は鳩の住処になっています。
強制解散後に建物は崩され、近くの城の建設時に石材として持って行かれたからです。
その上、現在は修道院敷地の1/3位が農場になって消えています。
しかし礎石の大きさからは、荘厳な建築物だった事が伺えます。
ここはかつての身廊部分だと思うのですが、…これはもしかして石棺跡?? 例え今は中身はカラでも、棺にはドキッとしますね。
今尚人里離れて隠れるようにひっそりと佇む立地で、俗世を離れ自給自足の生活を営む中世の質素な修道士達の暮らしぶりが垣間見れるような気がしました。このすぐ近くからは古墳やストーン・サークル等も発見されているので、古代から何かしら神聖な場所と見なされていたのかも知れません。
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