2022/10/13

王妃の眠るピーターバラ大聖堂 2

 

夏の唯一の観光として、Peterborough Cathedral ピーターバラ大聖堂を訪れました。これから内部を見学します。

正面ファサードは初期ゴシック様式ですが、アングロ・サクソン時代に起源を持ち、建物の多くは12世紀に築造された、イギリスのノルマン様式の大聖堂の代表的な一つです。

アーチの形に、ノルマン様式の特徴が良く表れています。

こちらは、西側のステンドグラス。

13世紀制作の木製天井は、この大聖堂の最大の見所の一つで、ブリテン島では特に珍しく、ヨーロッパ全体でも他に三か所しか例を見ないと言われています。


遠目には寄木細工のように見えますが、菱形の中央には、聖人等の絵画が描かれているようです。

こちらは側廊。

ここに、Edith Cavell イーディス・キャヴェルの記念碑が掲げてありました。彼女は第一次世界大戦時の戦場看護師で、両陣営の兵士を差別なく救ったそうです。「敵味方なく」とは実はナイチンゲールの実績ではなく、このキャヴェルの事だとか。しかし、連合軍側の兵士の脱出に尽力した罪でドイツ軍に捕らえられ、ブリュッセルで処刑されました。この事は、世界的に衝撃を与え大きく批難されたそうです。

この時ロンドンの自然史博物館との協同で、大聖堂内で恐竜展が行われていました。興奮した子供がやたら多かったのは、単に夏休み中だったからだけではなく、この為だったのです。

この先の内陣奥(周歩廊)が、恐竜展の会場で有料です。神聖な場所に似つかわしくない恐竜の雄たけびと子供の奇声が、既に響き渡って聞こえていました。

実はこの大聖堂を訪れた最大の目的は、この人のお墓を見る為でした。ヘンリー八世の六人の妻の中で、最初の王妃Catherin of Aragon キャサリン・オブ・アラゴン。ヘンリー八世の妻の内、最も哀れな運命を辿ったのは、処刑された二人よりも、返って彼女だったのではと私は勝手に思っています。しかし例の恐竜展の為、王妃の墓所が見学出来ないではありませんか。恐竜展の入場料は5ポンド程度だったと記憶していますが、雄たけびと奇声に支払うのには高過ぎます。こりゃあ、別の機会にここを再び訪れるしかないなと思いました。


身廊と翼廊(袖廊)の交わるCrossing=中央交差部は、普通は内陣の手前にあります。しかしここでは内陣の奥に在る為、見学する事が出来ません。中央交差部は中央塔の真下に当たり、大抵は天井が宇宙的で圧巻なのです。聖歌隊席の彫刻も見事ですが、内部には入れないのが残念。

内陣手前の天井から掲げられている赤い十字架は、1970年代の作品。私の偏見ですが、比較的新しい時代の宗教芸術って、どうも神聖さや有難みが感じられないような。…キリスト教徒でもないくせに、本当に余計な意見ですね。

中央交差部が内陣の奥にあるせいか、身廊が大聖堂にしては短いように感じました。

大聖堂の入り口の上部(西正面の内側)には、こんな二枚の絵画が掲げられています。どちらも、墓掘り職人Robert “Old Scarlett” ロバート・オールド・スカーレットの肖像画です。スカーレットじいさんは、三人の「クィーン」を埋葬した事で知られています。


クィーンの一人は、前出の王妃キャサリン・オブ・アラゴン。もう一人は、スコットランド女王メアリー・スチュアート(近隣の城で処刑され一時ここに埋葬されたらしい)。最後の一人は、彼自身の妻のマーガレットです。…ん?何故彼の妻が王妃か女王??かと言えば、本人がそう見なして主張していたのだから仕方ありません。また彼は98歳まで生き、16世紀にしては驚異的な長寿だった為、ピーターバラに住む全世帯の内の少なくとも 二世代に渡る誰かは、彼に寄って埋葬されたであろうと言われる名物人物だったそうです。


正直ピーターバラ自体は、観光的にそう知られた街ではありません。しかし大聖堂だけでも訪れる価値の十分ある、大聖堂マニアには外せない見事な建築物でした。「子供に媚売って余計な事しやがって」の恐竜展のせいで、キャサリン・オブ・アラゴンの墓所を見る事が出来なかったのは残念でしたが、ここを再び訪れる口実が出来ました。


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