2024/12/04

モート散歩

 

moat モート」とは、城郭や市外壁を囲む、多くは水を湛えた人工の堀の事です。元々は軍事防衛の機能として築かれましたが、後にイギリスでは金持ちのステイタスでもあるかのように、大きなお屋敷の庭園形式、すなわち装飾品の一つとして、邸宅の周囲にも設けられるようになりました。それ故、モートはイギリスの結構至る所に今でも残っています。数年前にとある国会議員が、自宅のモートに住む鴨の餌代まで、議員活動費用として政府に請求していたのが問題になりました(何処の国にもお粗末な政治家は居るもんだ…)

私が住んでいる町にも、あちこちに幾つかモートが残っています。それらは元マナーハウス(荘園館)や司祭館、豪邸のモートで、中には未だお屋敷が現存し実際に人が住んでいる場合もあります。

紅葉の美しい晴れた秋の日、我が家から一番近いモートへ久々に散歩しに行ってみました。

其処へ行くには公共遊歩道が続いていて、入り口にはいつの間にイングリッシュ・ヘリテイジと地方自治体管理の看板が建てられていました。

大きな広葉樹に囲まれた遊歩道で、落ち葉の絨毯が凄い厚み。落ち葉の量は自然の豊かさの象徴のように見えますが、多過ぎても問題で、イギリスでは毎年線路に積もって列車の遅延や欠行を引き起こします。

これらの巨大な樹木は、多分ここに住宅地が築かれる前から存在している原生林の名残りで、宅地開発後もそのまま合間に残している物と思われます。

モートに到着。ここのモートは典型的な四角形、つまりロの字型のモートです。

多くの部分は、幾つかの個人の裏庭に面して囲まれています。以前は、モートに小舟を浮かべている家も見掛けました。一見優雅そうですが、湿気や洪水、蚊の発生等のリスクも多いと思います。防衛の為でもないのに家の周りに水堀を築くなんて、湿気の多い日本では在り得ない発想です。

このモートは、誰がいつの時代に何の為に築いたのか、未だ解明されていないそうです。

モートに囲まれた中島は、今は高い樹木に覆われているのみ。ここへ通じる、橋のような物も存在しないようです。恐らくこの中島に建造物の痕跡が何も見当たらない為、何の目的で築かれたのか謎のままなのだと思います。

日本の古墳は結界として堀で囲まれている場合もあるので、もしかして埋葬地だったのかも…とか想像してみたり。確か故ダイアナ妃の墓所が、スペンサー伯爵家領内の湖の中島に在ると言うのを思い出しました。

モート用の遊歩道と言えど、実際にモートの姿が見えるのは、木々の合間から僅かに二箇所のみです。以前はほとんど一周近く歩けるようになっていたように記憶していますが、試しにこのモートの反対側の住宅地へ行ってみたら、遊歩道のような通路は扉で閉鎖されていました。

周囲は、築造年は古くないものの、大きなデタッチド・ハウス(完全一戸建て)の多いお屋敷街になっています。

それにしても、うちの御近所の種類に乏しい彩のショボい紅葉でさえ、天気が良いだけで映えるなあと実感。


 距離的にも治安的も自然の豊かさでも、日常の運動としては理想的な散歩コースです。

 

 

 


2024/12/03

円型ルーサイトのクリノリンのインタリオのブローチ

地元のチャリティショップのガラス製キャビネットの中に、一つ2ポンドと記された中古ブローチに混じって、大好きなルーサイトのインタリオが在るのが見えました。ルーサイトのインタリオがこの値段では、即「買い」決定です。キャビネットには鍵が掛かっているので、レジに行ってスタッフに開けて貰う必要がありました。スタッフは一人しか居らず、私の前に並んでいた一人の客の対応をしており、待たねばなりませんでした。たった一名の客なのに、単独で衣料や雑貨を10アイテム以上購入し、チャリティ屋で60ポンド(約一万二千円)近く費やしていました。やっと私の番が回って来て、スタッフにキャビネットの鍵を開けてくれるよう頼むと、何と彼は鍵を見付ける事が出来ず、失くしてしまっていたのです。合鍵はなく、閉店間際まで鍵が発見されるのを待ちましたが、店員は彼一人だからお客の対応もしなけらばならないので、鍵を探してばかりも居られず、結局見付かりません。

では来週また来店するからと、どのブローチが欲しいかを指定して、予約として取り置きしておいてくれるようお願いして店を去りました。名前と電話番号を残して行こうか?と、そのスタッフに尋ねましたが、「君の顔は憶えたから大丈夫だよ~。鍵が見付かってキャビネットが開いたら、あのブローチは取り出して確保しておくよ」と言います。しかし、多分彼は他のスタッフに告げるのも忘れ、うっかり誰かに売っちまったりするんだろうなあと不安に思いながらも(根本的にイギリス人を信用していない)、そう言われてはその時は諦めるしかありませんでした。

翌週そのチャリティ屋に行くと、その日は他の女性のスタッフが店番していて、かのブローチはキャビネットの中に残ったままでした。あの後キャビネットは業者に頼んだかで何とか開けたものの、結局鍵は行方不明のままなので、キャビネットは鍵が掛けられず開けっ放しの状態になっていました。女性スタッフが予約取り置きの話を聞いていた様子も全くなく、危うく他の誰かに買われてしまう所でした。あぶねーあぶねー💦 そんな訳で、値段的には超お買い得だったのにも関わらず、手に入れるのには相当気を揉まされ精神的に疲れたブローチです。

直径は4㎝位の円型で、モチーフはルーサイトのインタリオの定番の一つ、ヴィクトリア時代の下に枠を入れて大きく膨らませたスカート姿の女性、すなわち「クリノリン(ドレス)」です。このアバウトな彫り方で、女性がボンネットを被り髪は背後に編んで垂らし、パラソルを差して一応見える所が凄いと思います。、両脇に描かれた草花は、葉や茎まで細かく表現されています。

もしかしたら元はもっと濃い色だったのが経年で色褪せたのか、全体的に淡くパステル・カラーで彩色されていますが、蛍光ピンクの強めに残っている所が、何ともレトロキッチュで愛おしいと思います。

また、良く見ると彩色部分はパール掛かっています。女性の編んで垂れ下がった髪なんか、パールの粒に見えて可愛い。こんな仕様は初めて見た物で、彫り方が特別なのか塗料が特別なのかは分かりません。

クリノリンのルーサイトのインタリオの中では抜群の可愛さで、無事手に入れる事が出来てつくづく良かったと思います。紛失したままのキャビネットの鍵は、レジ台にいつも置いていたと言っていたので、多分お客の買った商品に紛れ、買い物袋に一緒に入って持って行かれたんじゃないかと疑っていますけどね…。




2024/12/01

初めての「歌を歌おう」絵本

今年のいつものフリーマーケットの最終日で、非常に好みに合う古い絵本を手に入れました。背表紙の解れ傷みや子供の書き込み等のコンディションの難はありますが、イラスト自体は見逃せない可愛さです。しかし、そのストールを覗くのは二度目だったのに、一回目はうっかり見落としていました。

アメリカのGolden Pleasure Books1950年代の絵本だから、好みに合うのは道理です。これは見返し部分。サイズはB4強の、大判の絵本です。

表紙に作者名は記されていませんでしたが、中表紙にはMary Blair メアリー・ブレアとあります。メアリー・ブレアは、初期のディズニーでアニメーターとして活躍した経験のあるイラストレーターです。


内容は子供にとっての初めての歌唱の本で、「童謡」「遊び歌」「讃美歌とキャロル」「子守歌」「民謡と歌謡曲」「輪唱」に分かれています。

中面は、イラストと楽譜の構成。

まず最初に登場するNursery Songs=童謡は、アメリカでは「マザー・グースの歌」と呼ばれているはずです。

イギリスで代理出版していたHamlyn社が、わざわざイギリス英語に書き換えていたのかも知れません。


 どのページのイラストも、額装したい程の可愛さです。

フルカラーではない二色使いのイラストも、しっかり可愛い。

 猫がメインのイラストは、特にお気に入り。

犬よりも猫の方が生き生きとして描かれているような気がして、もしかしたらメアリー・ブレアは猫派だったのでは?と想像してしまいます。

幾つかの楽譜には鉛筆でコードが書き添えられ、元持ち主の家族全員に愛されていた絵本だったのが伺えます。

讃美歌やキャロルの混じっている所が、この時代の絵本ならではかも知れません。もし現代だったら、米英共に移民が急増し宗教が多様化しているので、キリスト教徒の歌のみ掲載するのは文句が来そうです。

左「きよしこの夜」と 右「樅の木」は、ドイツ語の歌詞付き。フランス語の歌も、幾つか掲載されています。

子供の頃、西洋の子守歌に比べ、日本のは「こんなんじゃ眠る気になれねーや」と感じる悲しい旋律の憂鬱な歌ばかりだと思っていました。

それもそのはずで、我が子への愛情を唄った西洋の子守歌に対し、日本の子守歌は児童強制労働させているベビーシッターが嘆いている歌なんですから。


 アメリカの民謡って、どんなんだいと言いますと…

 …「オー、スザンナ」とか「Yonkee Doodle(アルプス一万尺)」なんですね。


 黒人霊歌と呼ばれる歌も、掲載されています。

ジングル・ベルは、元々はクリスマスの歌ではなく冬のソリの歌です。

私は音楽用語としての「Rounds」と言う単語を知りませんでしたが、右頁の歌が「フレール・ジャック」なので多分輪唱の事だろうと思いました。

これは裏表紙。本当に全てのイラストが可愛く、二回目で見落とさず手に入れる事が出来て、つくづく良かったと思える絵本です。