2023/03/17

夜櫻媛

 

以前モンスター・ハイのフランキー人形をリペイントしたら、着物が似合いそうな顔に仕上がったので、やはり一度和装をさせてみたいと思っていました。しかし何せ闇より出でて闇より黒い怪物人形だから、絶対に一筋縄の着物の着こなしでは収まりそうもありません。目指したのは、一応夜の桜の精の妖姫です。

桜柄の和風プリント生地の中でも、ピンク地なので最も桜を簡単にイメージさせる為、今まで何度ドール服として登場した布を使用しました。ruruko用には一度振袖を縫いましたが、同じ布でもっと大きなサイズのドール用の振袖があっても良いだろうと思い制作。

しかし着物が概ね仕上がった時、実際にこの人形に試着させて見て、イッパツでこりゃ駄目だ!!と言う事に気付きました。体型&可動域が根本的に着物に不向きで、着物を真っ当に着こなせないのです。

上半身が異様に華奢な体型は、補正で何とかなるのかも知れませんが、向かって左腕は曲がったままの上、手の甲が大き過ぎて腰に引っ掛かり腕を後方に回す事が出来ず、着物に袖を通すのだけでも一苦労です。そもそも腕が短く両腕を広げられないボディなので、袖を正面に向ける事すら出来ません。

膝の関節は曲がる仕様になっていますが、着物の場合、どちらかと言うとこの和顔バービーのように、例え脚は全く曲がらない固定式でも、肘や手首の関節の曲がるドールのほうが、ポーズのバリエーションを出し易くて扱い易いと思いました。

返って、こんな全く正統派の着物の着こなしじゃないお引きずりだから、未だ誤魔化せているのかも。着物のピンク色が明るい為に闇深さは感じられませんが、デザイン的には彼女に悪くないと思っています。

ペットワークスからかつて発売されたCCS 18SS momokoの、お引きずり姿を参考にしました。そのテーマは「エッジな成人式スタイル」らしいのですが、エッジが利き過ぎてまるでガイジンが考えた着物のようなえっち臭い着こなしで、あんな遊女みたいな格好で成人式に参列したら、親は泣くし周囲もドン引きすると思いますよ(笑)。

しかし後からペットワークスのCCS 18SS momoko DSで確認すると、そのお引きずりの着物は、実は元の構造からして本式の着物の造りとは大きく違う、ウェスト切り替えのある最初から衣紋が大きく抜かれた、どちらかと言うと洋服に近い状態になっていました。一方この着物は、おはしょりを上げてきちんと帯を結ぶと、一応普通に振袖として着付ける事も出来ます。

ちりめんの桜の髪飾りは、昔母が送ってくれた携帯ストラップでした。ストラップとしては今までも今後も絶対に使う事はないものの、こうして無駄になる事なくドールには役立っています。

桜の花って、元々それ用として作られていない限り、造花で表現するのが中々難しい。帯飾りの中心は、デイジーだった造花の花びらの先をピンキング鋏でカットし、重ねて八重桜っぽく見せたつもりの苦肉の策です。

最近玩具店を覗いたら、モンハイの新商品が並んでいました。マテルのライバル社MGAの「レインボー・ハイ」が子供にも大人にも人気を博している為、マテルがそれに対抗するには、かつて一世風靡を起こしたモンハイを再登場させるしかなかったのかも知れません。ファッション・ドールのシェアでは、今でもバービー人形が一番人気だと思いますし、実際売り場面積的にも最大ですが、大人コレクター向けを除いては、どうも商品としての新鮮さやインパクトが薄い印象です。今モンハイが販売されていると言う事は、私にとっては4、5年後にはその中古がまた多く出回ると言う事です。「クリエイタブル・ワールド」や「シンディ・プレイ」の中古人形も、早く手に入らないかと心待ちしている私です(笑)。

 

 

 


2023/03/15

小悪魔の潜むリンカーン大聖堂 4

 

昨年秋に夫婦で訪れた、大聖堂マニアの私にとっては長年念願だったLincoln Cathedral リンカーン大聖堂で、ガイドツアーに参加して内部見学しています。セイント・ヒュー・クワイヤと呼ばれる聖歌隊席を去った後は、その奥の内陣の裏側(東側)へ向かいました。

普段この部分はアプトや周歩廊と呼ばれますが、この大聖堂ではAngel Choir エンジェル・クワイヤと呼ばれています。司教等の特権者の墓所になっており、複雑な彫刻の壮麗な古い石棺が並んでいます。

西洋の中世の貴人の石棺においては、蓋部分に原寸大の死亡時の姿を彫刻するのは良くある事ですが、この墓所の場合、その下に何故わざわざその後の朽ち果てた死体の彫刻を置くかなあ?? 多分「メメント・モリ=死を思え」って意味なんでしょうけど、このセンス、どうにも受け入れ難い。

尖った梁がやたらアナーキーですが、ゴシックの石棺に近年追加されたようです。

ピーターバラ大聖堂を訪れた際、16世紀の国王ヘンリー八世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの墓所がある為、「王妃の眠る大聖堂」と記しましたが、実はこのリンカーン大聖堂にも王妃の墓所があります。13世紀の国王エドワード一世の妻、エレノア(エリナーorエレナ―)・オブ・カスティルの墓です。と言っても内臓だけがここに埋葬され、墓所と呼べるかは疑問ですが、立派な棺は安置されています。夫に捨てられ哀れな最期を遂げたキャサリンとは逆に、エレノアは生涯夫に愛され続け、リンカーン近郊で急逝した際の王の悲嘆は計り知れず、ロンドンまでの葬列の道順に愛のモニュメントとしてエレノア・クロスを建てたのは前途の通りです。しかしエリナーの棺もキャサリンの棺も、内戦時に清教徒軍にブッ壊され、現在安置されているのは19世紀の複製品だとか。

この大聖堂のシンボル・マスコット的なLincoln Imp リンカーンの小悪魔」の石彫(↑写真中央)は、このエンジェル・クワイヤで見る事が出来ます。元はグロテスクの一種だと思うのですが、大聖堂内で悪さをした為に天使に寄って石に変えられたとの、伝説としては余り捻りのない言い伝えを持ちます。

約90分間のガイドツアーは、ここで終了解散。これ以後は、各自自由に見て回れます。この日の外部は暑くも寒くもない気温でしたが、大聖堂の内部は異常に底冷えし、一箇所にしばし立ち止まらなければならないガイドツアーは、私にとってはほんっと寒くて辛く、正直終わった時にはホッとしました。

周歩廊の北側に宝物館のような部屋がありましたが、お布施がこんなに集まり贅沢品沢山買いました、これだけ権力持ってまっせ的な煌びやかさには、正直余り興味が持てません。


ただ、このアメシストの鏤められたミトラ(?)は美しいと思いました。

 

 

 


2023/03/12

小悪魔の潜むリンカーン大聖堂 3

 

昨年秋に訪れた念願のLincoln Cathedral リンカーン大聖堂で、ガイドツアーに参加して内部見学しています。


このScreenと呼ばれる内陣障壁も、多くは大聖堂で最も装飾の凝った見所の一つです。教会や大聖堂は基本的に万人に開かれ、かつては貧しき人も(拝観料を払わずに)浮浪者も家畜でさえ入る事が出来ました。その為、かなり不衛生だったそうです。しかしこれより先は聖域で、不浄な者を遮断した、聖職者や許可された者だけが入る事の出来る特別な領域と言う意味でした。この時はコンサートが開かれる予定だったようで、内陣障壁の前にステージが設置され楽器が並んでいます。しかしドラムって…、教会でロックでも演奏するのか??

スクリーンのみならず、この周辺の彫刻の精巧さは、確かに凄い。

透かし細工の空洞の中も、実は彫刻されています。言わば、日本の宮大工の透かし彫りの石版。石工師の技術を極めたと言うか、執念と言うか、鬼迫のような物さえ感じます。

しかしこれら匠の石彫が、精巧だからって全て美しいかと言えば…、気持ち悪い人物や怪物も沢山彫られています。

この内陣の側廊(周歩廊)の床には、かつては見事な墓標の銅板が嵌め込まれ覆われていたそうですが、全て清教徒軍に引っ剥がされました。確かに当時の文化遺産は地位や権力の象徴でしたが、何でも破壊する清教徒革命。中国の文化大革命を、思い起こさずにはいられません。歴史家にとっては、オリバー・クロムウェルの評価は「民主主義・議会政治の先駆者」とか是非が分かれる所ですが、現在概ね王室を慕っている英国民にとっては総じて不人気です。共和制にしたと言っても、結局独裁者でしたしねー。

ここは内陣のSt. Hugh Choir セイント・ヒュー・クワイヤ。聖歌隊席です。聖歌隊席も、大抵は木彫が非常に細かくて凝った、大聖堂の見所になっています。

様々な天井のヴォールト(ゴシック建築のアーチ型の梁)も、リンカーン大聖堂の見所の一つですが、その中で最も興味深い、この聖歌隊席の天井の非対称に複雑に構成された「crazy vaults 気狂いヴォールト」を、どうも撮影しそこなってしまいました。

聖歌隊席に、一段高い説教壇のような一際豪華な席があります。これが「Cathedra カテドラ=司教座」でして、大聖堂が単なるデカい教会ではないのは、司教座が敷かれたかいないかの違いなのです。「へええ、初めて知った! 面白―い」とP太は驚いていましたが、…そんな事も今まで知らなかったのかよと、夫の歴史と宗教への関心の薄さに改めて内心驚愕しました。君、一応洗礼受けてキリスト教系の学校に通っていたはずだよね?

この聖歌隊席脇の、ガイドさんの説明がなければ絶対見落としそうな地味な棺には(棺とすら気付きにくい)、実は英国王室史にとって結構重要な人物が眠っています。ランカスター公爵夫人キャサリン・スウィンフォードと、その娘のウェストモーランド伯爵夫人ジョウン・ボーフォートです。二人は、ヨーク朝とその後のチューダー朝(※ランカスター家の血を引く)の共通の先祖に当たります。

続いて、この約90分のガイドツアーの最終案内地、祭壇の後ろ側へ向かいます。

 

 

 

 

 

 


2023/03/10

小悪魔の潜むリンカーン大聖堂 2

 

リンカーン観光の筆頭リンカーン大聖堂で、これから内部を見学します。

入り口からこの身廊のみは無料で眺める事が出来、「もしもっと探検したければ料金をお支払い下さい」とサインがあります。つまり、興味が深い人のみ有料と言う事です。イギリスの大聖堂の入場料と言うか拝観料は、無料、寄付金制(大抵カード可)、定額制で5ポンド程度からとありますが、このリンカーン大聖堂は9ポンド(1500)でした。10年以上前にYork Minster ヨークの大聖堂で、やはり拝観料が9ポンドだった為(現在は16ポンドだそうだ!)P太はショックを受け怒って入場を拒否しました。私の分は払ってくれましたが、その時は特に最大の見所である世界最大級の中世のステンドグラスが回収工事中だった為、ボッタクリな程高い…と痛感しました。この体験を踏まえ、今回は予めリンカーン大聖堂の拝観料を調べておいて、大丈夫かどうかP太に尋ねておいたお陰かOKが出ました。

丁度午後一時前に入り、拝観窓口には私達夫婦の前にせいぜい3,4組程度の入場者が並んでいました。しかし、単に拝観料を払うのに、何だか物凄く時間が掛かっています。我々の後ろには、あっと言う間に長蛇の列が出来、皆怪訝そう&イライラし出していました。実はイギリス在住納税者であれば、拝観料から免税として少額が後日返還される為、料金の支払いと共に、住所氏名等を書類に書き込む等の免税の手続きをしているのです。これでは、例え窓口が二つあっても時間が掛かり過ぎて当然です。やっと我々の番となり、同じく免税の手続きをするかどうか尋ねられた処、P太は「いえ、結構です。時間が掛かり過ぎて、後ろで待っている人達に迷惑ですから」と痛烈な嫌味を言い放ちました。返金と言っても、せいぜい12ポンド程度ですからね…。

そして拝観料を払いさえすれば、任意で一日二回のガイドツアーに参加する事も出来るのですが(※屋根巡りツアーは別料金)、P太は私に確認せずに「参加する」と即答しました。これだけ高い料金を払ったのだから、元は出来るだけ取って当然!と言うのは、いかにもケチな彼の考えそうな事です。

私はじっとしているのが大の苦手なので、自分の思った通りに動き回って見る方が好きなんです。ガイドツアーは、確かに自分だけでは気が付けない興味深い話もいっぱい聞けました。しかし、この日の大聖堂の中は異様に底冷えがして、動かないでガイドさんの話を聞き続けていると、余計に寒くあやうくお腹を壊しそうな程でした💦


この時のツアー参加者には30~40人程度で、白人ばかりの概ね中高年者でしたが、中には二十代らしきカップルも混じっていました。総じて熱心な人達が多く、かなり食い入った質問をする人も居ました。

この大聖堂は、映画「ダビンチ・コード」や「ヴィクトリア女王 世紀の愛」等の撮影にも使われました。


これはTournai fontと呼ばれる洗礼盤で、1213世紀初期にベルギーの都市トルネー産の青黒石灰岩から現地の石工に寄って作成されたそうです。

大聖堂の床石には、実は化石がいっぱい。これは、地味に大聖堂あるあるです。石材は、イギリスの大聖堂としては割と珍しく地元産だそうです。

大聖堂内の見逃せない箇所、すなわち内装で一番装飾に手間暇金を掛けている部分は、大抵何処も共通しています。例えば、中央塔の真下に当り身廊と翼廊の交わるTransept(Crossing)中央交差部の天井は必見。圧倒的で宇宙的な美しさを持っている場合が多く、また当時の建築工学のハイライトでもあります。

こちらは、身廊の天井。様々な天井のヴォールトも、リンカーン大聖堂の見所の一つです。ヴォールトは単なる装飾ではなく、ゴシックの高い天井を支える構造上の重要な建築技術である事を考えると、一層興味深く見えます。

巨大な中世のステンドグラスも、多くの大聖堂で見所になっています。ここでは、翼廊(袖廊)の両端に、興味深いバラ窓のステンドグラスがあります。

北翼廊のバラ窓は、「Dean’s Eye 首席司祭の瞳」と呼ばれています。これは言わば、典型的な中世のバラ窓です。

一方南翼廊のバラ窓は「Bishop’s Eye 司教の瞳」と呼ばれ、私は最初は近代の作かと思っていました。しかしガイドさんの説明を聞いていると、元は14世紀の古いステンドグラスでしたが、17世紀の英国内戦で清教徒軍に破壊されたとの事。それを後に修復しましたが、素人がテキトウに破片を繋ぎ合わせた為、まるでモダン・アートのような斬新なステンドグラスに仕上がってしまい、以後そのままだそうです。

しかし南から陽が差すと、出鱈目な配色が返って息を飲む美しさでした。P太は、リンカーン大聖堂でこの「司教の瞳」が最も印象に残ったそうです。