2025/08/31

ドール用フィッシュテールのデイ・ドレス

 

フィッシュテール、すなわち前面より背面の丈が長くなった、独特なドレープが優雅なスカートのドール用のパーティー・ドレスに挑戦してみたいと思い、試しに型紙を起こして縫ってみました。

選んだ生地は、チャリティショップで手に入れたコットンの端切れで、背景布として活用出来る大きさは十分あったものの、使い辛く中途半端にはみ出した部分がありました。

それが丁度ドール服一着分程度は作れる大きさだったので、切り取って利用する事にしました。

が、ドール服としては相当大きい柄の上に、クセも相当強いデザインなので、1/6ドールとしては最も背の高いバービーさんにモデルになって貰う事にしました。

イギリスのメーカーの布地なのですが、一体何を意味している柄なんでしょね? クラシカルだと言えばそうだし、アール・ヌーヴォーっぽいとも言えなくはありません。

この柄が微妙にシンメトリーでもなければ、布目に対して平行垂直でもなく、規則性がまるでない点は扱い辛いと思いました。

パーティー・ドレスの中でも、夜会用のイブニング・ドレスではなく、コットン製なので日中用のデイ・ドレスです。概ね他人の服装に寛大と言うか無頓着なイギリスでも、この辺の区別は男性でも気付く程伝統的にハッキリされているようです。

前中心にドレープが寄った時に裏面が見えるから、予めアクセントになる色で裏地を付けました。今回は、ピリッと黒をアクセント・カラーに。

では、どうやって線対称な綺麗なドレープを付ける?と考え、予めタックを畳む方法も考えましたが、結局普通にウェストにギャザーを寄せてから、対称にドレープを整えてプレスする方法を取りました。

これで大体対称のドレープにはなりました。…が、思い描いたよりドレープの数が足りないなあと。背面も、膨らみ不足です。

その為には、もっとスカートの幅を広く取らないといけない訳ですが、裏地も付いているせいか、既に寄せたギャザーがウェストに縫い付けるギリいっぱいの量なので、これ以上ギャザーのボリュームを増やすのは無理そう。

スカートの型紙は、大体上↑のような形(※雛型です)を使用しています。 

サーキュラー・スカートに近いみたいに、上↑のような型紙にした方が良いのか?? そうすると、スカートのフォルムはまた変わって、脇のラインがベル型のようにふんわり湾曲はせず、ほぼ直線になるはずです。 

兎に角一度実際に作ってみただけでも、学ぶべき事は色々ありました。

身頃のベアトップの型紙は、一度使った事があるはずなんですけど、同じ年代のスタンダードなボディのバービーでも、仕様に寄ってフォルムが微妙に異なるのか、中々フィットせずダーツを縫い直したりして焦りました。

そして、こんないかにも銀幕の女優風な西洋らしいパーティー・ドレスは、すっかりバービーさんなら十八番であろうと思い込んでいましたが、…意外にも現在のバービーには似合わなくて、また一からモデルを選び直さねばなりませんでした。思うに、スカート丈がミニとか今時のハリウッド・セレブ風の露出が多いアナーキーなデザインじゃないと、今のバービーにはしっくり来ないようです。

結局、このドレスが合うような現代のバービーを、自分でカスタムして作り出さなければなりませんでした。元のバービーさんは、多分コレ。「多分」と言うのは、中古で購入した後に撮影を済ますと、さっさとフェイス・プリントを落としてしまう事が多いからです。そして、そんなのっぺらぼうバービーが、何体か待機しています。一早く元の顔を消し去りたいばっかりに、時々BEFOREの撮影すら忘れる事があります。 

更にリぺ前に首を外して交換し易いように加工する為、このMTMボディがオリジナルなのかどうかも定かではありません。今までのバービーは、暫くお湯に付けてヘッドの素材を柔らかくしないと抜けない程、首のジョイントが強固に出来ていましたが、最新のMTMボディはファンの需要に応え、予め首を外し易い仕組みに出来ているそうです。このMTMバービーは最近フリマで手に入れた中古で、最初は「全部で2ポンド」と書かれた段ボール箱に突っ込まれていました。その箱には、他にも中途半端なバービーの家具や馬がごっちゃり入っていて、幾ら安くとも相当嵩張るなあと買うのを躊躇していました。しかしよくよく確認してみると、2ポンドなのは隣に並べてあったゲームの方で、バービー自体は単独で1ポンドで買えました。

バービーで一番多く基本的な金髪ロング・ストレート前髪無しの髪型が、兎に角在り来たりだしクラシカルな服装に合わないので、まずこれを改造する必要がありました。細かめに三つ編みお湯パーマを掛け、50’sもアール・デコにも似合うボブカットにしました。

やはり自分好みのバービーにするには、描き込み過ぎない事が肝心なようで、最小限で表現するのは一層難しいと実感しました。

肌の色は、金髪バービーとしては普通の地黒なのですが、濃い目のリップの色のせいか服の色の効果か、若干明るく見えます。

 

シーン・セッターに使用した白いラタン風のガーデン・チェアは、最近フリマで50ペンスで購入したバービー用のフランス製の80年代のビンテージです。今まで何かバービー用品がフランスで製造されていたと言うのは聞いた事がなく、少しオドロキです。 

元は、長椅子、コーヒー・テーブル、サイド・テーブル、水色とピンクのラブリーな背もたれ付きクッション・シートとセットだったようです。

(肘掛け部分)と背面には、ハート模様の透かしが入っています。

おまけに、何と足台を引き出せる仕組みなっています。

アウトフィットは、インパクトのある柄の布自体のお陰で、余り装飾は付けなくても間が持つ点は助かりました。 

そしてこんなクセ強な柄を着こなす事が出来るのも、やはりバービーさんだけだろうなと思いました。




2025/08/30

モーヴァン丘陵地帯の旅 ジョン王の眠るウースター大聖堂 3

 

大聖堂には、高位聖職者や貴族等の特権階級、著名人が埋葬されている物ですが、昨年の夏に訪れたWorcester Cathedral ウースター大聖堂も例外ではなく、沢山の棺が安置されているのを見掛けました。
それらの多くは、特に内陣やアプスを囲む周歩廊、礼拝堂や翼廊に集中しています。 
大聖堂に安置されているような貴人の古い墓所は、良く上の写真のような↑ effigy エフィジーと呼ばれる、墓の主を模った石像が棺に乗っています。 

しかし13~16 世紀の間は、エフィジーと違い出っ張らずに礼拝の邪魔をしないとの理由で、線刻彫りの板碑が流行したそうです。上↑の写真のように棺の蓋に嵌め込まれていたり、床に直接嵌め込まれている場合も多くあります。こう言った板碑は、真鍮製はmonumental brass、石製はinscribed stone slabまたは ledger stone呼ばれ、石板に人物像だけが真鍮製で嵌め込まれているのも良く見掛けます。

16世紀に入ると、故人一家の財力にも寄りますが、再びエフィジーが有力者の墓のステイタスとなりました。エフィジーにも二種類あり、大抵は生前の職位や身分を示す衣服を纏って祈りのポーズをするGisant ジザンですが、たまにTransiトランシと呼ばれる腐敗して骸骨や蛆虫などに覆われた死者の姿を表すタイプも見掛け、両方を乗せる二段式も存在するそうです。何故そんな悪趣味な墓を?と異教徒にはとんと理解出来ませんが、「メメントモリ」と言うキリスト教の思想感からのようです。 

墓所には一つ一つ説明書きが付いていますが、ほとんどは聞いた事がない人物です。しかし立派な墓所が残されているが故、何世紀も後世の異国人にさえ知られる事になるとも言えます。また、歴史的には興味を引かなくとも、装飾や素材的には興味深い場合もあります。 

これは17世紀の司教の墓で、生前自らデザインしたそうです。徳のある人物なら、自分の葬儀や墓所は極力簡素にとか遺言しそうな物ですが、当時の聖職者にはそう言う謙虚な発想はなかったのでしょうか??

16世紀の裕福な羊毛生地職人夫婦の墓。説明書きに寄ると、妻の方が10歳以上年上だったのが分かります。こんな変な角度から見ると、ドレスの裾の重なり具合が、リアルなのかも知れないけど(普段見る機会は無いので)奇妙。夫の像の方の足は、犬か何か動物の上に乗せられています。

ウースター大聖堂の最大の見所の一つなのが、内陣の聖歌隊席と高祭壇の間に在る、13世紀の英国王ジョン王の墓。棺の上のエフィジーは、英国内の国王の墓像としては最古と言われています(フランスのルーアン大聖堂に眠る兄のリチャード一世の墓が更に古いからなのだろう)。英国王族の墓所は、大抵はウェストミンスター寺院、近年はウィンザー城内に設けられる事が多いのですが、時々地方でも見掛けます。

ジョン王は、ここより遥か離れたニューアーク・オン・トレントで病没しましたが、遺体は遺言に寄りこの大聖堂に安置されました。兎角評判の悪い王様で、英国王室では二度とジョンとは名付けない程馬鹿だったと噂され、ロビン・フッドの物語で更にイメージが悪く定着しました。しかし彼が余りにも情けない国王だった為、今でも世界の多くの国の憲法の基礎となっている偉大なマグナカルタが生まれたのは事実のようです。 

マグナカルタ自体が残るソールズベリーリンカーンの大聖堂が有名なのに比べ、ジョン王本人の眠るこのウースターは、大聖堂としてはイマイチ地味な存在なのが皮肉です。

もう一つ歴史的に興味深いのが、15世紀のアーサー王子の墓と専用礼拝堂。彼はチューダー朝の祖ヘンリー七世の長男で、ヘンリー八世の兄でした。つまりPrince of Wales 皇太子でしたが、ウースターの北方のラドロウ城15歳で早世した為に、次男のヘンリーが次の国王に即位した訳です。 

ヘンリー八世の一番目の妻キャサリン・オブ・アラゴンは、元々はこのアーサーの妃でしたが、莫大な持参金と共にアラゴンに返すのをヘンリー七世が渋った為、近親婚ではないとの教皇から特許を得て次男に当てがったそうです。この事が、後に英国がバチカンと断絶し国教会を生むのに大きく働いたようです。

最後に、大聖堂を外側から眺めました。 

我々が入ったのは南側の回廊からでしたが、現在の主要な入り口は北に在ります。

こちらが、本来教会建築の正面である西側の、セヴァ―ン川に面したファサード。大聖堂の西ファサード前は大きく広場になっている事が多いのですが、ここのは壇上のテラスになっていて、尖塔が見える程は広くはなく、意外な程こじんまりした大聖堂に見えます。

大聖堂全体を眺めるのにはセヴァーン川沿い、特に対岸に行くのがベストなようです。

夏なのに薄ら寒い程の生憎な空模様で、晴れた日ならどんなに映えたであろうと想像しますが、曇天でも十分美しく見えて楽しめたウースター大聖堂です。一回分の記事に纏めたいと思いましたが、何より自分自身の覚え書きの為に重要で、結局三回にも渡ってしまい…、これもそれも充実して学ぶべき事は少なくなかったからだと思います。




 

2025/08/29

モーヴァン丘陵地帯の旅 ジョン王の眠るウースター大聖堂 2

 

昨年の夏の我々夫婦で訪れたWorcester Cathedral ウースター大聖堂で、いよいよ回廊から本堂の中に入ります。

今や音楽の演奏会を開催する大聖堂は珍しくありませんが、ここは最西側が既に雛段式の客席になっており、コンサートに力を入れている事が分かります。普通最西は教会建築の正面玄関なのですが、ここは最早入り口としては使用していないようです。

大抵は大聖堂で最も大きい、西側のステンド・グラス。上部が円型のバラ窓になっていて、驚異の細かさです。

この大聖堂は7世紀に起源を持ち、現在の建物は11世紀後半にノルマン(ロマネスク)様式で建設が始まりました。その後ゴシック様式が加えられ、また17世紀の市民戦争では荒廃した後に修復され、今では様々な様式が複雑に入り組んでいるそうです。 

大聖堂の長い歴史を考えると、多分そう古い物ではありませんが(多分ヴィクトリア時代)、繊細で清らかな天井画が見事でした。

特に、身廊と翼廊の交差するクロッシング部分の天井には、宇宙的な美しさがあり必見。イギリスの大聖堂は、この真上に最重量の塔(中央塔)が立っている場合が多く、建築工力学の腕の見せ所でもあります。

昔は家畜でさえ大聖堂に入るのを許されたそうですが、ここから先は不浄を禁止する聖域と言う意味で建てられたのが内陣障壁。ここの装飾は、大抵一際凝っています

内陣の聖歌隊席も、特に木彫等に力を入れられています。 

やはり、この部分の天井も美しい。両脇のパイプ・オルガンが、見るだけでも迫力です。

そして、ここの大聖堂には英国最大のノルマン様式の、crypt クリプトと呼ばれる地下聖堂があります。

ヨーロッパ大陸の教会や大聖堂の地下は、棺桶がずらりと並んでいたり、時々骸骨(主にペストで亡くなった)が剝き出しで山積みされていて、入るのに結構度胸が要る場所です。しかしイギリスの大聖堂の地下で、少なくとも一般公開されている部分は、祈りの場所となっています。

ここの墓地に埋葬されていて近年発掘された、15世紀の巡礼者の脚…ではなく(一瞬焦る)ブーツの残骸が展示されていました。遺体は恐らくロバート・サットンと言う洗濯屋だったかも知れない、と言う事まで解明されています。イギリスの巡礼地としては、大聖堂都市カンタベリー~ウィンチェスター間が有名ですが、大聖堂に寄って祀る聖人が異なる為、自分の願いに御利益のある聖人の大聖堂を礼拝に行くのが人気だったそうです。

この地下には、古代ローマ時代の遺跡が残っていました。壁画の描かれているのが、うっすらと見えます。イギリスの~cesterと名の付く市町村は、必ず古代ローマの駐屯地か入植地として関わる場所だったので、その遺跡が残っていても何ら不思議はありません。