2025/06/26

銘仙を纏ったバービー達

 

銘仙発祥の地の秩父では、かなり観光的に銘仙に力を入れているようで、街のあちこちで銘仙の着物を纏ったファッション・ドールを見掛けました。 

まず、西武秩父駅近くの観光情報館のバービー人形。

秩父ふるさと館にも、銘仙の着物を着たバービーが。掃除道具が、また粋な小道具になっています。

やはり一番多く見掛けたのは、銘仙専門の博物館であるちちぶ銘仙館です。

ガラス・ケースに入っている為、生憎撮影し辛く見えにくいとは思いますが。 

全て同じ方が制作されていると思われ、着物の知識とドール愛は相当と見受けします。何せバタ臭い顔のバービーの中でも、特に顔のケバい2000年代頃のバービーで、更にボディは大抵最も簡素なタイプで、体型もギミック的にも本来和装に不向きなのに、どれも違和感なくお洒落に着物を着こなしているからです。

ドール・サイズのミニチュアなので、銘仙特有の斬新で大胆な柄布は使われておらず、渋めの着物ばかりですが、どれも地味にならず素敵に着付けされています。 

それにしても、何故モデルがバービーばかりなのか?? 日本では、そう手に入り易いドールではないと思うのですが、作者の方がドールの中でも特にバービー好きなのでしょうか。

この博物館の玄関には、ブライスも居ました。若々しい色の組み合わせは、やはり可愛い。ただし入手の難しい高いお人形なので、盗まれないか心配です💦

兎に角、この銘仙を魅力的に着こなす小さな親善大使達のお陰で、益々銘仙への興味が高まった私達姉妹です。





2025/06/25

秩父の旅 ちちぶ銘仙館 3

 

一昨年訪れた秩父市のちちぶ銘仙館で、最後に会議場だった大きな部屋を訪れました。 

広々とした心地良い空間ですが、ちょっとマネキンのお姐さんが怖い。

この部屋の窓も、また素敵な造りです。どうでも良いけど、Meisenって、スペルがMeissen陶器に似ている(笑)。

この窓は、外から見るとこんな感じ。

 
 
ここにはアンティークの銘仙の羽織が何着か置いてあり、来館者が自由に羽織ってみて良い事になっています。 

他に来館者が居ないのを良い事に、私達姉妹はここで試着し捲って勝手に大盛り上がり。

羽織は流行のロング・カーディガン同様に、普通のファッションに取り込めるのではと前から思っていますが、こんな短い羽織は一層カーデ代わりに違和感ないようです。

私がこの日の格好に羽織ると…、鬼滅のコスプレにしか見えん()。髪型からして善逸?とは自分でも思いました。

これは羽織じゃなくて道行ですよね。この柄は洋服に馴染み易そうで、特に気に入りました。

そして、銘仙とは関係なさそうだけど、アンティークの羽織は裏地の可愛い物が多い。 

黒っぽい羽織は、鮮やかな赤地の梅柄の裏地で魅力倍増です。 

銘仙はカジュアルなお洒落着として発展した為、元々結婚式等のフォーマルな場に着て行く着物ではありません。それ故に今でも銘仙を「安物」「部屋着」と見下す高齢者は居るそうですが(その内絶滅するであろうけど)、和装を気軽に楽しんで悪い事なんて何もないはずです。 

この博物館は、ショップも充実しています。

今でも秩父市内には幾つかの銘仙工房が残り、伝統を受け継いで制作し続けていて、その一部をここで買う事が出来ます。

あ~~、やっぱりこんな生地で仕立てられた着物は、さぞかし素敵だろうな。派手なようで渋い、地味なようで華やかな、不思議な魅力が銘仙にはあります。

概ね大柄が売りなので、生憎古裂は中々ドール服に利用出来そうもありません。

秩父の郷土料理「みそポテト」のキャラクター「ポテくまくん」柄の染め型なんてのも。

結局ここが今回の秩父旅行のメインとも言える、期待した通り訪れる価値の十分ある「ちちぶ銘仙館」でした。充実ぶりもバッチリ過ぎて、二回で纏めるはずだった記事も結局三回分に(苦笑)。要約って、自分にとっては長く書くよりも返って面倒なものですから。

 

 

 


2025/06/24

秩父の旅 ちちぶ銘仙館 2

 

一昨年訪れた秩父市のちちぶ銘仙館で、続いて工場部分を見学します。

本館から、昔の学校に在ったような木造の渡廊下を通って行きます。  

織り機がずらりと並んでいます。窓が多く取られて明るい、快適そうな工場に見えます。 

この工場部分も造りは洋館風で、当時としてはかなり贅沢だったのではと想像します。

 こちらの棟では、銘仙を製造する工程が寄り詳しく説明されています。

銘仙とは絹の平織物の総称で、秩父銘仙は経糸に型染めしてから緯糸を折る「ほぐし捺染」と言う技法が特徴です。仮織りした経糸に染型で柄をズレないよう丁寧に捺染し、染め終わったら布に挟んで巻き、蒸して色を定着させるそうです。伝統的には捺染には和紙と柿渋を用いた型紙と刷毛を利用しましたが、最近は捺染技術の精度を上げて斑が出ないようシルクスクリーンとゴムべらで染めるとか。 

これだけでも非常に手の込んだ面倒な工程に聞こえますが、経糸と緯糸の重なりで角度に寄って色が違って見える「玉虫効果」が得られるらしく、秩父銘仙の重要な魅力になっています。また、先染めで生地の柄に裏表の差がない為、表地が褪せた場合に裏返して仕立て直せる利点があるそうです。

これが、仮織りして捺染した経糸の状態のようです。 

捺染された経糸を織機に掛け、1,300~1,600本の緯糸を織り込んで生地を作って行きます。沢山のカラフルな糸巻きは、会津木綿の工場を思い出させました。

柄の要である捺染用の紙製の染型(ステンシル)を作るのには、「型彫り師」と呼ばれる専門の職人がいます。木版画もそうですが、それぞれの工程で彫師、刷師等の専門家が居る分業で、信頼あってこその連携作業に日本らしさが感じられます。

この銘仙館では、ハンカチの型染めの体験も出来るそうで、沢山の染型の紙が置かれていました。

これは布への試し刷りかな? これだけでもタペストリーにしたい程素敵です。右端なんて、まるでステンドグラスのような柄です。

こちらの新聞紙も試し染めで、無料で持ち帰り出来るとの事。贈る人を選びますが、もしラッピング・ペーパー代わりに使ったら、ちょっとお洒落かもと思いました。

 

 

 


2025/06/23

秩父の旅 ちちぶ銘仙館 1

 

一昨年の姉との日帰り秩父旅行は、毎度ながら急に行先を決めたから、緻密な計画なんてのは全く立てませんでした。しかし即座に基本的な情報はググって、この「ちちぶ銘仙館」は是非訪ねたいと思いました。 

ちちぶ銘仙館、つまり秩父名産の絹織物「銘仙」専門の博物館です。かつての秩父絹織物協同組合の工業試験場の建物を利用していて、古い建築物自体が、ひゃー素敵。 

「近代建築の三大巨匠」の一人でアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトの考案で、大谷石積みを取り入れた洋風建築で、昭和5年(1930)に建設されました。現在は、国の有形文化財に登録されています。

玄関では、銘仙の着物のミニチュアを着たブライスがお出迎え。ここで外履きを脱ぎ、スリッパに履き替えます。

応接室の内装が、また素敵です。当時いかに秩父の絹織物が人気で、この地方の経済が潤っていたかを物語っているようです。

窓や扉の装飾からして凝っています。西洋風建築でも、やはり西洋の物とは異なる独特な「昭和モダン」です。

右端の木のような装飾品は、養蚕農家に伝わる豊作祈願のニワトコの木から作られた小正月飾りで、「削り花」「繭玉」と呼ばれるそうです。 

銘仙の生地から作られた洋装も展示されています。

それでは、順路通りに展示を見て廻ります。

あちこちに、「あの花」のキャラクターも混じっています。

絹織物には欠かせない養蚕についてから、詳しく説明されています。

銘仙は、元々養蚕業と絹織物業が盛んであったこの秩父と、群馬県の伊勢崎が発祥の地と言われ、後に足利、桐生、八王子が加わって五大産地と呼ばれました。

これは、柄の見本帳でしょうか。レトロな印刷物の味が出ています。

当時のパッケージも興味を引きます。

時代に寄るデザインの移り変わりが、また興味深い。明治時代の秩父織物は、こんなに地味だったのです。銘仙は江戸時代中期から存在していたと言われ、クズ繭等の売り物にならない、言わばB級品の絹糸で織られた、元はあくまで自家用の日常着用の生地だったそうです。それ故に柄も縞模様とか単純で、色味も渋い物ばかりでした。やがてその丈夫さが江戸に伝わり、歌舞伎役者や粋な江戸っ子に持て囃されたそうです。

江戸時代は身分に寄って、例えば農民の絹着用は御法度等の厳しい規則がありましたが、明治時代に入ってそれがなくなり、寄り多くの人々が絹の着物を着用出来るようになりました。その為、銘仙は比較的手頃な絹織物として、更に一般市場に広く出回って行きました。

次第に洋装の文化も日本に入って来ましたが、多くの人にとっては、未だ経済的にも習慣的にも手を出すのが難しい高嶺の花でした。そこで女学生や職業婦人を中心に、銘仙のデザインの自由さと手軽さが洋装に匹敵するファッション性の高さと注目され、外出着や生活着として人気が上がって行きました。

明治末(20世紀初頭)には、女学生の服装が華美になり過ぎないよう、「服装は銘仙以下」と校則を定める女学校も出て来ました。銘仙は絹地とは言え、それ程高級と見なされていなかったからです。しかし、若い女性が華やかに装いたいのは今も昔も同じ。 

じゃあ素材が銘仙でさえあれば、どんな柄でも校則違反ではなかろうと抜け穴を見付け、製造側も結託し、当時流行していたアール・デコやキュービズムの要素も貪欲に取り入れ、鮮やかな色彩の斬新な柄が沢山生まれ、銘仙は一大ブームを巻き起こしたそうです。 

恐らく都市部の中産階級以上に限られた現象だとは思いますが、現代でもジェンダー・ギャップ指数がイスラム教国より劣って世界最下位に近く、当時は一層女性の立場がガチガチに制限されていたであろう日本で、女性達が自由にファッションを謳歌していた事に、ちょっと安堵しました。

日本のあちこちで古裂を物色していると、時々アルファベット柄とか、これ本当に昔の着物の生地だったんだよね?と思える不思議な柄に出会う事がありますが、そう言う経緯があったのだと納得。 

戦後もしばらくは和装と洋装の割合が半々位で、着物の需要があったので、銘仙は益々モダンに華やかに発展しました。しかし1950年代にピークを迎え、徐々に洋装が普及して着物の需要は減り、特に日常着物の素材が羊毛に取って変わられると、銘仙製造は大きな打撃を受けました。

しかし現在、銘仙はアンティーク着物として再注目されています。大正ロマンと呼ばれる着物は大抵は銘仙ですし、銘仙の柄の大胆さは現在の着物愛好者の個性的な着こなしに応えてくれるようです。