2025/07/31

セブン・シスターズで夕食

昨年の七月にイースト・サセックス州のヴァージニア・ウルフの家「Monk's House モンクス・ハウス」を訪れた後は、こんな天気の良い日に近くの景勝地セブン・シスターズに行かない手はないと、崖を眺めるのに手軽で最適なVirling Gap ヴァーリング・ギャップを訪れました。

やはりこのチョークの白亜の絶壁は、青空にこそ映えます。

この日のイギリス海峡は、珍しく荒れ気味で水の色が濁っています。

絶壁の上には、続々と観光客が登って行きます。しかし我々夫婦は、この日は周辺の散歩はせず、潮風に当たってお腹が空いたので(どゆこと⁇)、近くのお気に入りのパブで夕食を取る事にしました。

目指すのは、もう一つの崖スポットCuckmere Haven カックミア・ヘヴンの入り口に在るパブ、Cuckmere Inn カックミア・インです。

この辺りはカックミア川が物凄く蛇行していて氾濫原となり、まるで谷中が湖のように見える事もあります。同時に、多くの水鳥にとっては楽園となっています。

右端にちょこっとだけ、河口際の白い崖が見えます。 

この日は、川で白鷺を見掛けました。かなり大きく見えますが、嘴が黒いのでコサギのようです。英語では、白い鷺はheronと呼ばずegretと呼びます。

白鳥も見掛けました。白鳥の中でも一番大きいmute swan=コブハクチョウです。冬だけでなく一年中見掛け、と言うか、イギリスではコブハクチョウ以外は見た事がありません。

白鷺と白鳥が一緒に居る様子は、結構珍しいかも。こうして見比べると、イギリスで最も大きい鳥と言われるだけあり、コブハクチョウのでかさが際立っています。

このパブは、いつもトレッキング後に一杯ビールを引っ掛けたい人、食事を楽しみたい家族で混んでいます。しかし比較的早い時間だった為、予約無しでもテーブルを確保出来ました。

まず前菜に、デヴォン産カニのケーキを二人でシェアする事に。下に敷いてあるのはレモン・マヨネーズ(流石にこれ程は要らんわ)、周りの緑のソースはバジルのペスト、すなわちジェノベーゼ・ソースです。

ここで言うケーキとは、マッシュポテトの中に魚介の身を混ぜ衣を付けて揚げた、つまり魚介コロッケです。

普通は芋の中に身が気付く程度にちょびっとだけ入っているんですが、これにはカニがふんだんに入って美味!

メインとしては、私は「チキン・パルメジャーナ」を注文しました。チキン・カツのトマト&モッツァレラ・ソース、ベーコン乗せです。イギリスの飲食店のメニューには付け合わせが全て明記してあり、付属するはずのグリーン・サラダが待てど暮らせど来なかったので催促しました。

凄く美味しかったのですが、今ネットのメニュー表を確認したら、この料理だけでカロリーが1300越えで恐怖()

一方P太は、コーンウォール産ビーフのハンバーガーを注文しました。中には、ベーコンとチェダー・チーズも挟まっています。更にビール入り衣のオニオン・リング、その上チーズ・ソースが付きます。

こちらも安定の美味しさでしたが、この一皿だけで1600kcal超えで驚愕。絶対に前菜も含めて、この夕食だけで一日分の必要接種カロリーを遥かに超えています。もし店内のメニューにもカロリーが表示されていたら、選ぶのを躊躇したと思いますが、上手い具合に記されていなかったんだよね…。

イギリスの外食は物凄く高く付くので我々は滅多に出来ず、この予定外の夕食は贅沢で実際に全て美味しく満足でした。が、パブのメニューは全国何処でもほぼ同じだし、カロリーも変わらないはずだから、その点でもイギリスでは外食を頻繁にするものではないと痛感しました。




2025/07/30

ヴァージニア・ウルフの家「モンクス・ハウス」 3

 

昨年の七月に訪れた20世紀前半に活躍した作家ヴァージニア・ウルフの家「Monk’s House モンクス・ハウス」のが、イングリッシュ・ガーデンの魅力的な見本として参考になり得るのは、全体的にはかなり広いものの、異なったテーマ&テイストで結構細かく区切られているからなのも、理由の一つとして考えられます。

中心に小さな池を持つ、敷石で覆われたここは、石像が置かれフォーマルな雰囲気。

 温室も在り、園芸愛好家が憧れる物は何でも揃っています。

中では、次に地植えする為の植物等がスタンバっていました。 

リンゴの実る果樹園も在ります。

その脇には、小屋風の離れも在り。

中には、ウルフ夫妻の写真が展示されています。

モンクス・ハウスの模型も置かれていて、煙突からコインを入れて募金出来る仕組み。

ここは、ヴァージニア・ウルフにとってお気に入りの執筆場所だったそうです。 

かつてヴァージニア・ウルフと同性愛の恋人関係にあった、ヴィタ・サックヴィル・ウェストの住居Sissinghurst Castle シシングハースト城にも執筆用の離れが幾つか在り、作家の中には離れに閉じ籠って執筆活動するのを好む人が多いのかも知れません。

そして庭のほぼ中心に在る、この木陰が心地良さそうな緑地は、実はウルフ夫妻の墓所です。

ヴァージニア・ウルフは、1941年の59歳の時に、このすぐ近くのウーズ川に身を投げて自殺しました。元々鬱病を患っていた上、新作を評論家に酷評されたのが決定打になったそうです。

また夫はユダヤ人で、夫婦揃ってファシズム嫌いだった為、二人の名はヒトラーのブラックリストに載っていたそうです。世界のファシズムや反ユダヤ主義がどんどん過激化して行く時代だったのも、彼女が世の中に絶望する原因の一つになったのかも知れません。

海に近いここは川にも潮汐が在る為、彼女の遺体捜索は難航したらしく、やっと20日後に数マイル程下流で発見された時は、極めて悲惨なドザエモン状態だったと、NTのボランティアさんが話して下さいました。

ヴァージニアとは幸福な婚姻関係にあった夫のレオナードは、地元の村に貢献しながら、1969年に88歳で亡くなるまでこのモンクス・ハウスに住み続けました。

彼の死後この家は親友に遺贈され、1972年にサセックス大学に売却された後、1980年にNTの管理下となり一般公開されるようになりました。

細い道路しか通じていない辺鄙な村に在り、駐車場の数も限られ、何せトイレもないのが不便な為、一度訪れたら十分で、正直そう何度も来る場所ではないとは思いました。しかし確かに庭は素晴らしく、建物もヴァージニア・ウルフについても興味深く、やはり一度は訪れる価値が有ると思います。

 

 

 


2025/07/29

ヴァージニア・ウルフの家「モンクス・ハウス」 2

 昨年の七月に訪れた、20世紀前半に活躍した作家ヴァージニア・ウルフの家「Monk’s House モンクス・ハウス」で、続いて本命の庭を見学します。

 

確かにこれは、一目で魅力的な庭だと感じました。特にこの六~七月の晴れた日は、一番見応えがあるようです。 

一般人にとっては十分恵まれた広さですが、他のNT(ナショナルトラスト)の大豪邸や宮殿クラスのお屋敷の、庶民にとっては全く縁遠い広大なフォーマル・ガーデンに比べたら、程良く小規模で、典型的なコテージ・ペレ二アル(宿根草)ガーデンとして、英国庭園愛好者の良いお手本になります。 

しかし、自然で無造作なように見えても、実は細かく植栽計画され、毎日スタッフに寄って念入りに手入れされ続けているはずですから、やはり一般人にはそっくりそのまま真似出来る訳ではありません。 

こう言ったオープン・ガーデンでは、咲き終わった植物は、例え宿根草であろうとばっさりあっさり引っこ抜いちゃったり。

ここの庭は、何せ借景自体が抜群の素晴らしさ。サウスダウンズ国立公園の美しい丘陵地帯の中に在り、立地自体が恵まれています。北には、鉄器時代の要塞遺跡も在るMount Caburnが見えます。 

東側の丘の上にも、先史時代の古墳等、古代遺跡が点在しています。 

すぐ隣は牧場の長閑さ。田舎の香りは漂って来ますが。 

この季節は、白いアジサイが庭のあちこちで目立って良い仕事をしていました。

オレンジ色のディモルフォセカ?も、目を引きます。

また、所々に置かれた素焼きの壷型植木鉢が、丁度フォーカル・ポイントになっています。

その下に敷かれているのは、石臼の再利用。日本庭園でも、見建物として利用されるアイディアです。

 

この時北側の雲行きは大変怪しいのですが、結局南に来る事はなく、一度も雨に降られる事はありませんでした。





2025/07/28

ヴァージニア・ウルフの家「モンクス・ハウス」 1

昨年の一時帰国中に姉とお喋りしていて、ふと20世紀モダニズム文学の主要な英国女流作家ヴァージニア・ウルフの代表作「オーランドー」の話題が出ました。そう言えばヴァージニア・ウルフの住居「Monk’s House モンクス(マンクスとも)・ハウス」が、自宅から遠くない場所にあるじゃないかと思い出しました。NT(ナショナルトラスト)の会員にも復帰した事だし、イギリスに戻ったら訪ねて見ようと思い、昨年の七月に夫婦で出掛けました。

場所は、城下町Lewes ルイスと港町Newhaven ニューヘイヴンの間のRodmell ロッドメルと言う小さな村です。家から割とすぐ行ける場所で、庭園が中々魅力的と評判で、しかもNT会員なら無料で訪問出来るのにも関わらず、何故それまで一度も訪れた事がなかったと言えば、夏季しか開いておらず、また売店もカフェもトイレもない小規模な施設で、更に公衆トイレも存在しないような小さな村に在るからです。 

自宅からそう遠くないとは言え、トイレに一度も行かずとも済む程は近い距離ではありません。実際、パブのトイレをちゃっかり利用させて頂くしかありませんでした。

本来の玄関は通りに面した西側に在りますが、来館者は東の庭側から建物の中に入ります。南北に長く東西は幅狭く、南東にはコンサヴァトリー(サンルーム)の大きく取られた日当たりの良い家です。

建物自体は16世紀築のコテージ=田舎家で、1919年にヴァージニアと夫でジャーナリスト兼政治活動家のレナード(レオナード)・ウルフに寄って購入されました。原始的な造りだった為、夫妻は何年も掛けて増改築したそうです。

ノルマン様式の内装の残る古い教会に隣接し、もしかしたら実際にmonk=僧侶が住んでいた事があるから、この名が付いたのかも知れません。

イギリスでは意外と少ない一軒家ですし、一般の民家としては十分贅沢な大きさですが、一部屋一部屋はそれ程大きくはなく、何より天井が低いのでこじんまりと見えます。

ミント・グリーンの壁が印象的。二階建てですが、公開されているのは一階のみです。

今尚ナビがないと車でも辿り付けないような、分かりにくい細い道しか通じていない田舎で、20世紀初頭はさぞかし寂しく不便な場所だったのでは?と一瞬考えます。しかし意外と今でも使用されている鉄道駅には近く、中産階級なので当時でも車を使う手はあったかも知れないし、そもそも1940年にロンドンの家を空襲で焼失するまでは、夫妻はこことロンドンを行き来する生活を送っていたそうです。

また、こんな辺鄙な場所でも文化人の来訪者は多く、近くには芸術家で姉のヴァネッサ・ベルが住む、ブルームスベリー・グループのサロンの中心地チャールストン・ハウスも在り、そう寂しくはなかったようです。

内部のインテリアは、実際にウルフ夫妻が執筆活動を続けていた様子が感じられるよう再現されています。

こちらは、ダイニング・ルーム。椅子の背もたれが、いかにもアール・デコ期らしいデザインです。既に大きなテーブルと六客の椅子のみで、部屋のスペースを大方占めているように見えます。

こう言う調度って、後からNTが時代に合った物を買い集めて装飾する場合もありますが、ここのは実際この家に残っていた家具類をそのまま使用しているようです。

お手製っぽい家具が残っているのも、それらしいなと。

チャールストンでも思いましたが、ブルームスベリーのスタイルって、こんなお世辞にも巧とは言えない素人っぽさが持ち味だったのか??

左の大胆な斜め模様の衝立も、今尚斬新なセンスに見えるし。 

この家で特に興味深かったのが、右側の階段を少し登った先に在るヴァージニア・ウルフの寝室。一度屋外へ出ない限り、部屋に入れない不便さです。

建物全体を見ると、この部分は後付けなのが分かります。

部屋自体は、作り付けの棚や洗面台さえ設置されて結構快適そう。

割とモダンに改装されているのは、1941年のヴァージニアの死後も、1969年まで夫のレオナードがこの家に住み続けたからのようです。

ここのテーブルのタイルの柄も、ブルームスベリーの時代らしい素人っぽさが残る絵付けです。 

ゴブラン張りの椅子は、イギリスらしい優雅さ。

そして、極めて初期の使うのが恐ろしそうな電気ストーブは何気に必見。本体は、恐らく熱に強いベイクライトで出来ています。

続いて、庭を歩いてみます。